2012年12月26日水曜日

無敵

今日は今年最後の教室。

昨日は夜、イサとモロちゃんが我が家に来てくれた。
モロちゃんのご両親にもお会いした。

モロちゃんは今年はお仕事、大活躍のようだ。立派だ。
朝が早いのに、そして最後の忙しい時期に、こうして会いにきてくれて、
本当に嬉しかった。
イサも研究を頑張っている。一年で必要な単位はとれている可能性が高いそうだ。
来年は東京のアトリエと三重の開拓を手伝いながら勉強する予定。
ゆうたの機嫌があまり良くなかったので、
寝られていないなかでも、はりきって料理を作り、
ケーキも用意している、よし子の姿は子供が産まれる前と変わらない。

みんな変わってないなあ、という微笑ましい部分と、
成長したなあというところと、やっぱり両方感じる。

最近は寒いのでキーボードを打つ手がかじかんで、スピードがでない。

先日、TBSの和田さんも言っていたけど自殺率の高さ。
和田さんはこの場の活き活きした姿を見せることで、
人が命を実感して欲しい、勇気づけたいと話していた。
確かにここにいるみんなは、作家たちばかりでなく、
学生達にしても、楽しい気持ちや幸福感、繋がりを強く感じる。
それが生きている、命の実感となって、笑顔につながる。
なにも難しいことではない。
もしかしたら、普通に考えるよりも、もっともっと簡単なことなのではないか。

この場を経験してみた人は感じるだろうけれど、
私達は日常生活であんまり笑っていないと思う。
それくらい、人は本当はもっと笑う存在だ。
ここでみんなを見ているとそう思う。

そして、もっと感じる存在だ。
もっともっと、感じてみれば、生きている実感は深くなる。
問題なのは感じられなくなってしまっていること。
こころがかたくなって動かなくなっているからだ。
もし、自殺まではいかなくても、
死にたいと少しでも思ってしまっている人がいるなら、
それはこころの動きが固まってしまっている。
自殺率が高いことも問題だけど、
実は生きていてもこころが動かなくなってしまっている人も含めて、
考えていかなければならない。
なんであれ、人の気力を衰えさせ、生命や本能の力を削ぐシステムが、
正しいはずはない。

忘れてはならないのは、内側から何かがわき起こる本能を、
どんな時も手放さないということだ。

僕は思う。
この世に産まれて来た瞬間に誰もが、
参加する、関わるということがスタートしている。
誰も傍観者ではいられない。
これは死の瞬間まで続く。
そこまでどれだけ参加して楽しく出来るかだ。
人はほっておいてもいつかは必ず死ぬ。
でもほっておいても生きられる訳ではない。

子供の頃、玩具がないから自分達でルールをつくって、
遊びを開発していた。
おにごっこの延長のようなゲームだったと思うが、
面白かったのは、電話ボックスの中に入った人には誰も何も出来ない、
という設定だった。
その状況を僕達は「無敵」と呼んでいた。
電話ボックスは一つしかない。ガラス張りなので外が見える。
そこに入っていると全員の動きが見える。
走り回って疲れるとそこに入り、「無敵」になる。
みんなの走り回っている姿がよく見える。
自分が離れているので全体が見える。

僕達が学んだことは、無敵がいかにつまらないか、ということだ。
電話ボックスの中にいる時、外へ出たくてむずむずする。
早くみんなとバカなことをしたい、勝ったり負けたりしたい、
もう無敵なんかいらない、と。
電話ボックスに一日入っている子は1人もいなかった。

ここで結論として、自殺してしまうことが、
この電話ボックスの無敵と一緒で、参加することが生きることだ、
と言ってしまえば簡単なのだけど、そう言いきってしまうことはしない。

それでも、この電話ボックスから2つのことを学んだ。
参加しなければつまらないというより、
参加せずにはいられない本能があるということ、
もう一つは離れて見ることが出来なければ、全体を見ることが出来ないということだ。
少しだけややこしいのは、この無敵の存在がなければ、
見えないことがたくさんある、ということだ。

僕は結構、死のことを思う。
そこからどう生きるかも考える。
10代の頃は命になんの未練もなく、死も全く恐れてはいなかった。
今はやっぱりそんな訳にはいかない。
恐怖心もある。

冬の透明な日射しが薄い緑の葉っぱを貫いて光っている。
葉と葉の間から、水色の濁りのない空が見えている。
風は冷たく、強い。

クリスマスが終わって、少しづつ静かになって行く。

バーバーのアダージョやバッハのエールがやさしく響く。

今、自分のいる場所がどんなところであれ、
そこを少しても良い思いで、ちょっとでも良くする。
多分、それが生きること、参加することだ。
そして、それはとても楽しいことだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。