2012年12月11日火曜日

ほめること

今日も朝の2、30分でブログ書きます。
昨日も夜明けの太陽を見た。
燃えるようでやっぱり感動する。

今日もプレと事務仕事。今週でかなりのところまで終わらせておきたい。
昨日、机に積まれた封筒とプリントの束を見て、
稲垣君が「明日も手伝います」と言ってくれた。

砂糖は麻薬だと言う人がいるくらいだけど、僕はついつい欲しくなる。
(糖は身体が分解して造り出せるもので、砂糖という形でとる必要はないらしい。)
なるべく避けようとはするのだけど、甘いものの誘惑は凄い。
更には苦いコーヒーとの相性は抜群。ゴールデンコンビだ。
疲れると食べたくなる。
甘いものはずっと好きだった。
よし子とお店に入るといつも注文したものが逆に運ばれた。
僕が注文するものは女性的なもので、よし子は逆だったみたいだ。

赤嶺ちゃんにもよく
「佐久間さんって女だよね。おしゃべりとか好きだし」と言われる。
ここで言うおしゃべりは決して哲学的なものではない。
ひたすら意味のない話だ。あの人がどうしたとか、あの店が良いとか。
実際僕は女性的なものが好きだ。
香りや花や色々。

ずっと以前に尊敬するお坊さんがいて、その方から学びたいと思っていたので、
しばらくだけ、中部地方で暮らした事があった。
その時期、僕の部屋はバラの香りにしていたし、
近くのお花屋さんで定期的に花を買って飾っていた。

友達も以前はほとんどが女性だった。

こういう部分は今では「場」の中で女性的な力を使う場面が多いので、
日常的にはそんなに出さなくてもよくなった。

だから、真面目すぎるとか言われたり、
怖い人間に思われると、誤解されてるなあと思う。
最近はぜんぜん行っていないけれど、以前しばらく通った鍼灸院で、
先生がいつも「佐久間さんは強いですよ。」とか言っていて、
時々、「佐久間さんって武道をされていたんでしたっけ?」と聞かれていた。
毎回、違うと否定するんだけど、お酒も強いと思われていた。
身体を触ると、精神的にも身体的にもかなり強いらしい。
「欠点があるとすれば、強すぎて弱い人のことを理解出来ないかも」と言われた。

そうなのかなあ。
身体も実は昔はとても弱かったと思う。

確かに僕は立ち向かわなければならない時は、完全に男になる。
でも、多分、強くはないと思う。
身体的苦痛に弱いし、高い所と水の中が怖い。
結構、苦手なもの、怖いものがある。

こんな話題もただのおしゃべり。

ところで、「場」のことにも少し触れよう。
長くアトリエに通い続けていたイサが、大阪に行っているが、
向こうでも勉強と同時に現場も見ていきたいと、様々な場所で学んでいる。
主に障害を持った人の施設の中でもアトリエがあるところや、
表現活動をしている場を見学させてもらうのだと言う。
「いいところあった?」
「ないですねえ」
(申し訳ないです。学生の生意気をお許し下さい)
「最初にアトリエみちゃってるからね」

そんな中でこんな話題があった。
ある施設のアトリエで制作を見せてもらっているとき、
作家が作品を仕上げてもスタッフはほめない。
作家は作品に何か言って欲しいみたいで、周りの顔を見る。
イサはうちのアトリエをずっと見ていたから、その光景に違和感をおぼえた。
それで、作家が何か言って欲しそうなのを見て、
「良い絵だねえ」みたいなことを言ったらしい。
そうすると、その場の雰囲気が変な感じになった。
あれっ言っちゃいけなかったかな、と思って、
終わった後に代表の方に聞いたところ、こう答えられたという。
以前、作家を褒めたところ、作品が変わってしまった。
自分達は作家に影響を与えない様にほめないことにしている、と。

さて、結論だけ最初に書こう。
この考え方はあまりに素人的だ。
だが、理由を書く前に、この方達の活動については、
世の中に沢山ある施設の中で際立った良い役割を果たしているものだし、
新たな可能性を開拓してもいるということは述べておきたい。
有名な団体でもあるので名前は出さない。
これはあくまでスタッフの役割という、
現場での実践的な事柄についてのみ、見解の甘さを指摘しているまでだ。
その活動自体はなかなかすぐれたものだとは思っている。

まず、このナイーヴな認識は、始まりは良いと思う。
自分達が影響を与えてしまって、
作品を歪めてしまっていることにさえ気がついていない人が多すぎる。
その中で、作家の良さをこちらの世界の影響で歪めたくない、
という志も高いと言える。
だが、関わるスタッフとして、その程度の認識に留まっていてはいけない。
それは出発地点であって、結論ではないはずだ。
まず、言うなら、本当に作家に影響を与えないなどということはありえない。
「影響を与えたくないから、ほめない」というこのスタンスが、
作家たちに影響を与えていることは確実だ。
場所から道具から、そこにいる人の雰囲気から(方針からではない)、
作家たちは絶えず影響を受けている。
このように影響を与えざるを得ない存在であるというのが、
スタッフとしての出発点なのだ。
その事を真に考え抜いて、どう接するべきか確信を持った人間のみ、
関わる資格がある。
例えば「影響を与えていない」と考えれば、責任もないということになる。
スタッフは自分が関わった作家の作品に責任を持つべきだ。
描く人間はこころを持っている。
こころが動かないで良いものが生まれるだろうか。
こころは共感によって動くのだ。
周りの表情を見たその作家は孤独だったに違いない。

別に創作に限らず、教育の問題にしても、
「ほめる」ということに気をつけなければならない事は確かだ。
ほめるということが、相手を方向づけ、支配することにもなりかねない。
ほめられたい人をほめてはいけないということもある。
ほめられるということは、評価を気にするという卑しい心理を誘導してしまう。
でも、こんなことは基本中の基本。
関わることを仕事としているほどの人間なら、
影響を与えないほめ方や、卑しさを引き出さないほめ方くらいは、
出来なければ始まらない。

スタッフはこころというものを熟知していなければならない。
自分や周りの環境が相手にどのように入って行くのか、
見極め、どのように振舞えば、相手の本質であり、
一番良い部分が発現出来るのか知り、適切な影響を与えなければならない。

だから、そこから先が私達の仕事ですよ、ということだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。