2012年12月19日水曜日

ビリーホリデイ

年末にも関わらず読んで下さる方が多いので、
今日も書かせていただきます。

昨日、AEPニュースの発送も終わったので、引っ越し準備開始。
久しぶりにイサにもモロちゃんにもミヒロにも会える。

先日の日曜日にアトリエを応援して下さるベリーダンスのスタジオの公演があった。
教室だったので顔を出すことは出来なかったけど、
赤嶺ちゃんが一生懸命、繋いで活躍してくれた。
絵も一点、入口に置いてもらった。
ダンス、歌うことや踊ることは、作家たちの描く行為と同じものだし、
人が楽しい気持ちで繋がることができて良かった。
作品も喜んでいただけたようです。

よし子の移動を前に連絡をくれる人達がたくさん。
みんなありがとう。
これからは少し形は変わるけれど、大切なことはいつまでも変わらない。
いつでも前にすすんでいこう。

友の存在は本当に大きなものだ。
と言いつつ、僕には友達は少ないのだけれど。
みんながアトリエやダウンズタウンの活動を自分のものとして、
大切に想ってくれていることが何より嬉しい。
この場や作家たち、よし子や僕が一つのきっかけになって、
一緒に過ごし一緒に学んだ仲間たちと繋がって行って欲しい。

自分自身を考えても語り合った仲間達の存在は大きかった。
まだ経験が浅く、何も知らなかった頃は、
自分を完全にコントロール出来なかったから、
一緒にああでもない、こうでもないと言い合ったり、
認め合ったり批判し合ったり出来たことが自分を成長させてくれた。
特に今のような取り組みを自分が見出しつつあった頃は、
孤独でもあったし、人のこころに感応していくということは、
かなり感覚を研ぎ澄ませて高めて行く必要がある。
慣れない頃は高まって意識のスピードが早くなって行く自分を、
どう扱って良いのか分からなかった。
そんな時に仲間と語り合ったものだ。
みんなそれぞれが自分なりに何かを追求していたのだろう。
僕はその中でも特殊な考えを持っていたと思う。

一番、気があっていた友達のことは語れない。
それぞれが別の道を歩き始め、何人かはこころを病んでしまった。
僕達の相手にしているものは巨大だったから。
あの頃は自分と対象とする相手とのことだけで精一杯で、
仲間を本当に助けることが出来なかった。
僕達はあまりに強烈な体験を若い時期に吸収しなければならなかった。
あまりにおおくの闇や死を見なければならなかった。

よく語り合った友がいる。
彼の方が年上だったが、どちらかと言うと僕の方が何かを教えることが多かった。
彼もそれを望んでいて、結構、僕を頼りにしてくれていた。
教えることが、自分をどれだけ成長させるものなのか、
教えてくれたのも彼の存在だ。
教えているとき、僕は研ぎ澄まされ、開き、意識が高められた。
一緒に見出そうとする作業を続けて来たから、
彼がいなくなり1人になってから、語り合えることの掛け替えのなさが身にしみた。

一人一人と語り合った情景は忘れられない。
その時に見ていた景色や、聴いていた音楽や、世間で起きていた出来事。

お正月は1人で過ごすことになるかも知れない。
そうなったら、あの頃からずっと聴いて来たビリーホリデイでも聴こうか。
あの歌声を聴いていると、色んなことが思い出されてくる。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。