2012年5月29日火曜日

暴力の問題

これは、書こうかどうか迷ったことではあるが、
実際には存在する具体的な問題でもあるので書くことにする。

僕の任務はダウン症の人たちの可能性を伝えることにあると思っている。
出来れば、生活の中でおきてくるような問題を考えて、
困っているご家族の力になれる専門家がもっと多くいてくれると有難い。

僕のような立場の人間は本来はこのような問題まで手を出すべきではない。
でも、実際に困っておられる方も多く、
その対応に問題を感じるケースも多い。

暴力、特に家庭内における暴力の問題だ。
以前、これも僕などが語るべきではないと感じながらも、
思春期、成人期の問題を書いた。
同じような問題だ。

ダウン症の人たちの場合、本来の性質は平和的でおだやかだ。
これは、誰かが理想化して創られたイメージではなく、
性質として本当にそうなのだ。

だから、そんな彼らが暴力と言う直接的な手段によってしか、
訴えられない状況に追い込まれた場合、これは余程のことだ。
でも、そういうケースはいくつか、いや全体の比較では少ないが、
いくつもあるということは事実だ。

人にも言えず、問題を抱えておられるご家族もあるだろう。

今回のテーマは極めてプライバシーに関わるので、
具体的な事例はあまりあげられない。
この様なテーマ以外でも事例に関しては、本人の名前を書いているもの以外は、
個人を特定出来ないように、多少内容を変えたり、
数名のことを一つの話としてまとめてある場合があることはおことわりしたい。
こころの深い部分で共有したことは、彼らとの無意識の約束がある。

さて、一般論をまず、確認したい。
家庭内暴力やクスリ、アルコール依存に関しては、ご家族では解決は出来ない。
本当に問題が大きくなれば、必ず第三者の手に委ねる他はない。
このことを自覚しないと、すべてが崩壊してしまう可能性がある。

ただ、ダウン症の人の場合、ここまでのケースはほとんどないと思う。
それでも一般的な認識は持っておく必要はある。(基本は同じだから)

実際に暴力行為が始まってしまった人のことを考えよう。
ご家族の問題として考えると、特に男の子の場合お母さんとの関係は難しい。
ここでの役割はどうしても男性の力が必要だ。
離婚されている方や、すでにお父さんが亡くなられている方に、
実はこのようなケースは多い。
お母さんと2人ではお互いにいき場が無くなってしまう。
専門家やお医者さんに相談するしかない。
お父さんがいらっしゃる場合は、ここは父親の役割だ。

僕の場合、アトリエでおきた時、どう対応しているかを書く。
これは数名の保護者の方には何度かお話しした。
それに、ご理解いただけなければ、現場での対応が出来ないので、
充分に納得されるまでお話ししたケースがある。
基本的にはここは制作の場なので、
本当に場や他の人に危険や恐怖心が出てしまう位の状況の人に関しては、
申し訳ないがアトリエでは見ることが出来ない。
その様な場合は基本は一対一でなければならないからだ。

僕が見てかなり良くなったケースだけ書こう。
学校では友達に怪我をさせてしまうくらいに暴れるという子がいた。
椅子や机も投げてしまう。ガラスも割る。
暴れだすとパニックになって止まらなくなってしまう。
僕は初めから、かなりしっかりみつに見なければならないと感じたので、
保護者の方にも覚悟を決めてもらうことにした。
「かなり、厳しく押さえますよ。こちらの判断に任せて下さい。ちょっと最初は可哀想な場面が必ず出て来ます。」と言って、その後におきるであろうことをいくつか、
ご説明した。
これは言っておかなければならない事だから。
暴れている人、暴力をふるう人を止める場合、
かなりの力で押さえつけることがあるが、止めるという行為だって、
暴力の一種であることの自覚が必要だ。
暴力には原因や理由がある、それを見極めなければ解決しないが、
見極めると可哀想になってしまう事もある。
止めるときは可哀想と思ってはいけない。
パニックは余計に強くなってしまう。
僕の場合は相手がちょっと怖いと感じるくらいの勢いで止める。
そうしないと効果はない。
でも、相手に傷を残さないやり方を心得ておかなければならないし、
はっきり言えることは相手との信頼関係が確立されていなければ、
おこなってはならない事だ。

止めるときは毅然と、かつ断固として止めること。
自分に迷いを持ってはならない、恐怖心も駄目。
こちらが、恐れてしまうと相手のパニックは強くなる。
ひいてはいけない。一歩でもひくと、次から関係が取り戻せない。

こうやって止める事が一つの関係性になる。
相手を許し、認めつつ、ここから先には絶対に入れないという領域を感じさせる事で、
相手は少しづつ安心していく。

その子の場合、これを2度ほど続けただけで、暴力が無くなったばかりか、
言葉もはっきり出て来た。

成人していて、長い期間我慢して来た人の場合は、
そうすぐには治らない。
少しづつ減っていくという程度だろう。
でも、暴力に関してはいつかは必ず終わるものだ。

成人している人では、何度も警察が来るまでに発展してしまう人がいる。
一番調子が悪い時に、僕と一日散歩した事があった。
道の途中で車に突き飛ばして来ようとしたり、
掴み掛かって来たりする。その度に、僕が押さえつけ、強く目を合わせる。
言葉はない。そのうちに諦めて、落ち込んだように下を向いてあるく。
険悪な雰囲気のまま、バス停まで見送る。
バスが来ると、はっきりと僕の顔を見て笑いかける。
「佐久間さん。今日、ありがとな」

その後、彼はかなりの期間、元気を取り戻していた。
少なくとも僕の前では暴力的な行為はなくなった。
それでも、調子が悪くなるとお母さんに暴力をふるう。
電話でも興奮状態で、何も聞こえていない。
泊まりにきな、と言って次の日は待っている。
実際には泊まりに来ても、何事もない。
テレビを見てラーメンを食べて、お風呂に入って寝る。
「楽しかったあ」と帰って行く。

基本は信頼関係だ。そこを強く求めてくる。
理由があるのだからストレス解消のように捉えて、
暴れるのがおさまるまで、避難して待つという人もいるが、
それでは解決出来ない。女性の方ではそうするしかないだろうが。

例えば、赤ちゃんが泣きじゃくって居る時に、
泣き止むまでほっておくという人がいるが、あきらかに間違いだと思う。
しっかり抱き抱える。あやす。泣く→抱っこのくり返しが、
人との接触の記憶を良いものにし、内面の安心感、信頼感を育てる。

言葉でする教育はもっともっと浅い部分だけだ。

暴力にも同じ対応が要求される。
暴力(訴え)→押さえる(身体接触)のくり返しにによってやがて安心感が生まれる。

勿論、元になる原因を取り除いていく事は忘れてはならない。

この基本構造はすべての人に言える事だが、
力の関係で、他の障害や特に統合失調症の人にはこういうやりかたは、
避けたほうが無難だ。大変危険でもある。
(僕自身はこの方法で解決したケースがたくさんある。今は出来ない。危険。)
ダウン症の人たちの場合はこうして、良くなっていく事が多いが、
危ないと感じた場合は、やはり専門家の手に委ねるべきだ。
そして、なにより、この様な事がおきないように、
少しでも減っていくように、彼らのおかれている状況を見直さなければならない。

ほとんどの場合、彼らの場合、気持ちさえ汲み取っていけば、
そんなに難しくはない。
彼らを理解し、ちゃんとした対応が出来る人材がもっと増えれば、
こんな事は無くなっていくと思う。

とにかく、相手のこころだけを見る。
恐れや不安や、焦りは問題を大きくするだけだ。
同じ問題でも、こちらが大丈夫、それ位、対応出来るよという態度で挑めば、
それ以上大きくはならないし、簡単に解決する事もある。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。