昨日のアトリエで、よしてる君が描きながら、
「みず色さん、さすがだなあ」とつぶやいた。
そういうあなたがさすがです。
たしかに、僕も流れをずっと見ていて、何かあと一つピッタリ来る色が欲しいと、
感じていた。そこまでは綺麗に進んでいて、最後のところでしばらく立ち止まった。
少し画面を見直してから、再び筆をとった。
空いている場所、数カ所に水色をぬっていく。
絵は見違えるように、生命力をもった。
その時、さっきの言葉がつぶやかれた。
何気ない一言だが、彼がどんな風に制作しているのか、
内面がうかがい知れる。
彼らはみんなそうだが、自分のおもいどおりに作品を構成している訳ではない。
色が色をよび、次に必要とされる形はバランスの感覚でつかんでいく。
調和の法則に則っているといえるかも知れない。
自由にとらわれなく、描いていくが、そこには、
画面が要求しているものを感じとっていく謙虚さがある。
だから、よしいい色を選んで成功したぞ、と思わずに、
水色さん、さすがだなあという、色の持つ力に感動出来る。
こういう認識を生きているからこそ、あのような作品が描ける。
自分がいいものを描いてやろうという作家性とは無縁だ。
そんな彼らには、私達より遥かに色彩が美しく見えているはずだ。
実際に僕もその作品を通して、水色の奥深さを自覚したわけだ。
この前、ちょっとだけ書いたけど、
先日の講演では前半と後半に分けるとしたら、
前半部分で時間オーバーとなってしまった。
アトリエの活動から見えてくる可能性についてはお話し出来たが、
僕自身が経験して来たことを通じてという部分と、
作品の力には触れたけど、では何故、作品にその様な力があるのか、
という部分まではお話し出来なかった。
その後、ご連絡をいただいた方も居て、
かなりの方がこのブログを読んで下さっていることが分かった。
ということで、後半部分はこのブログで書いていきます。
今回はなぜ、この様に彼らの作品が人のこころを動かすのか、
考えてみたい。でも、すでに書いて来たことでもある。
もう一度、まとめ。
まずは、彼らの作品には確実に人のこころを捉える力があり、
それは彼らの可能性だということを確認したい。
講演では展示例やイベントでの人々の反応を例にした。
作品を見て涙を流したり、病院にかけてある絵に癒されたという方のことは、
このブログでもふれた。
美術の専門家達からも高い評価を受けて来たし、
一般の方達や、学生達も彼らの魅力に惹かれている。
作品を展示すれば、必ず良い反応がかえってくる。
彼らの可能性は証明されているといえる。
僕の手元には展覧会等でのお客さんの感想ノートがある。
アトリエの見学者の感想もある。
機会があれば、こういう感想もご紹介したい。
読んでいただくと、作品と彼らのこころに人は何かを感じずにはいられない、
ということがお分かりになると思う。
さて、なぜ彼らの感性は人のこころに響くのか。
何度も書いて来たが、私達の中にある、人間の元の部分、
生命の原初にある調和の原理が、そうさせていると思う。
私達は本来、こころの奥に調和の感覚を持っている。
それがなければ、これまで生存して来れなかったし、
もっといえば、生命体がこの地球に誕生することもなかったはずだ。
私達はそのような調和的感性を失いつつある。
自然から離れ、脳みそだけで生きようとした結果かも知れない。
でも、私達のこころの奥では調和の記憶が残っている。
それが、私達がダウン症の人たちや作品にひかれる訳だと思う。
そこに懐かしさや、心地良さや、自然さを感じる。
分からなくても、何かがあると感じる。
人間としての本能がそうさせる。
だから、彼らは私達に大切な事を思い出させてくれている。
教えてくれている。
そろそろ、素直になってその声を聞いてみよう。
生きている世界が変わってくる。
あえてあんまりこんな言い方はしないようにして来たが、
ある意味で、彼らは人間とは本来はどうあるべきなのかを、
教えてくれる為に産まれて来ているのでは無いだろうか。
僕の仕事は具体的で実際的なことが多いので、
あんまりロマンは語りたくはない。文学的な感傷も嫌だ。
でも、一度、この部分はお伝えしたかった。
もし、彼らがそのようなメッセージを伝える為に産まれているなら、
その示している意味も読み解かず、ひたすら現状の社会システムに
適合させていこうという在り方に問題がないはずはない。
人間は愚かだ。
自然や他の生物をみれば分かるが、
愚かな人間が、その意味も知らずに滅ぼしてしまった世界がたくさんある。
「みずいろさん、さすがだなあ」という言葉の深さを、
私達はどれだけ感じられるだろうか。
水色さんの素晴らしさを、どれだけ知っているだろうか。
彼らの方がよほど、知っている。よほど豊かな世界を生きている。
ところで、よしてる君は最近、新聞を作っている。
以前から写真を撮ったり、取材するとか言っていたが、
最近は記事を書きはじめた。
僕が「アトリエでよしてる新聞とろうかなあ」と言うと、
「じゃあ絵の時にもってくるよ」と了解してくれた。
第一号は待合室にあります。
保護者の方で待合室をお使いの方は是非、読んでみて下さい。
それにしても、新聞をつくる子は多い。
みんなの新聞をいっぱい読んできて、面白かった。
サトちゃんの大きな新聞も懐かしい。