さて、昨日の地震の揺れ方といい少し気持ちが悪い。
大きな地震はやはり、来るのではないだろうか。
何度か、ここでも書いて来ているが、放射能のことは考えていた方がいい。
がれき処理の受け入れの問題が騒がれている。
いくら言ってもきりがないので、この問題にはもう発言しない。
間違った考えがあふれているが、簡単にくい止める事は出来ない。
ただ、言葉で批判するだけになってしまうのなら、
もっと前向きな本当の生き方を真摯に模索しよう。
何がおきようと、生きようと死のうと、毅然と真実を求めよう。
良い生き方と人を幸せにする事だけを考えていればいい。
恐れや不安に支配されている時間はない。
真っすぐ挑むべき事が無限にあるのだから。
悠太のアレルギーで考えさせられる事は多い。
特に食べ物で出るのだけど、同じものでも少量なら反応がなかったりする。
体調もあることは確かだけど。
良く人から言われて来た「色んな種類を少しづつ」食べなさい、
という言葉の深さを思い知らされる。
たんに栄養バランスの話だとばかり思って来た。
でも、つまりはリスクを減らす事であったり、他にも色んな意味がありそうだ。
だから、最近色んな種類をすこしづつという考えを知ろうと思っている。
たとえば、その食べ物をたくさん食べるより、少ししか食べない方が、
リスクが少ないのは誰でも考えそうなことだ。
でも、多分それだけではないような気がする。
つまり、少量にする事より、
むしろここでは色んな種類ということが重要なのではないか。
多様性が一つの効果になるような気がする。
それぞれの悪いものを消し、それぞれのいいのもが活かされる。
そういう可能性だってある。
このことは何にでも言えると思う。
良いものだけ、便利なものだけと考えて他の要素を捨てていくと、
どうなるか。それが今の時代と人の考えの根本にある。
制作の場でも、人生でもそうだ。
種類を減らして機能的にしても上手くいかない。
色んな種類の考えや、人や視点があってはじめて良い場になる。
人生においても色んな経験をして、色んな視点を持つことが大切だ。
一種類の経験ばかり深めようとしても、そうはいかない。
何にでも興味をもって関わってみる。
一つの経験が他の経験をより深めてくれる。
僕が一つの立場や考えに固執しないようにしているのもそのためだ。
ここでも読みようによっては、矛盾したことも書いているだろう。
でも、世界には良いだけのものも、悪いだけのものも存在しない。
ここはいいけど、そこは悪い、という複雑な構造がある。
一番危険なのはこれが絶対という考え方だ。
制作の場においてはスタッフとして、フラットな状態を保つということを書いた。
空っぽになってどこにも偏らない意識でいると。
これは勿論、一番大事なことではあるが、
もう一つ、自分の中にたくさんの視点と考えを同時に持つということも、
大切なこころの使い方と言える。
これは少し訓練しなければ出来ないことだが、
とても力があるこころの使い方だ。
意識を一点に集中させずに、すべての場所に分散させることや、
いくつものことを同時におこなうことや、
様々な角度を同時に見ると言うことが出来ると、
制作の場でも人生でも適切な動きがとれる。
俯瞰で見ることが出来るというのは必須条件だが、
それだけでなく、
時に自分も出来事もバラバラにして同時に扱うということも必要になる。
これもある意味で、色んな種類を少しづつの考え方だ。
でも、色んな種類を少しづつは、実践するのが大変だ。
食に関しては特になかなか時間がない。
こころの使い方としても、現代人が最も苦手としているものだ。
なぜ、色んな種類を少しづつというこころの動かし方が出来ないかと言うと、
「所有」というこれまたやっかいな、
偏ったこころの使い方になれてしまっているからだ。
所有に関しては長くなるので別のきかいに書く。
ただ、言えるのはここでも、ダウン症の人たちの在り方が参考になると言うことだ。
彼らは一つの見解に固執しないし、同時にたくさんの視点を持っている。
さらに「所有」というこころの弱さから来るしがらみから、
比較的自由だ。
彼らを見習うところは本当にたくさんある。
思い出したので、今日のテーマとは関係ないが、
一つエピソードをご紹介して終わりにする。
またまた、ハルコの見えてしまう話。
ゆりあの友達の写真の展示を鎌倉まで見に行ったとき、
ゆりあと一緒に行ったのだが、商店街でグルグルの形の昔懐かしい飴があった。
ペロペロ飴と僕らは呼んでたけど、大きな丸い飴。
それを見て、僕が冗談で「ゆりあが大好きな飴じゃん」と言って、
みんなで笑っていた。
土曜日の教室でハルコがゆりあの絵を描いている時、
その飴を極めて自然に描いて、「ゆりあちゃん好きそうな飴」と言った。
僕とゆりあは一瞬、目を見合わせた。
こんなことが本当によくある。
不思議ではあるのだけど、自然にそうだろうなあと、
繋がりを感じてしまう。
2012年5月30日水曜日
2012年5月29日火曜日
暴力の問題
これは、書こうかどうか迷ったことではあるが、
実際には存在する具体的な問題でもあるので書くことにする。
僕の任務はダウン症の人たちの可能性を伝えることにあると思っている。
出来れば、生活の中でおきてくるような問題を考えて、
困っているご家族の力になれる専門家がもっと多くいてくれると有難い。
僕のような立場の人間は本来はこのような問題まで手を出すべきではない。
でも、実際に困っておられる方も多く、
その対応に問題を感じるケースも多い。
暴力、特に家庭内における暴力の問題だ。
以前、これも僕などが語るべきではないと感じながらも、
思春期、成人期の問題を書いた。
同じような問題だ。
ダウン症の人たちの場合、本来の性質は平和的でおだやかだ。
これは、誰かが理想化して創られたイメージではなく、
性質として本当にそうなのだ。
だから、そんな彼らが暴力と言う直接的な手段によってしか、
訴えられない状況に追い込まれた場合、これは余程のことだ。
でも、そういうケースはいくつか、いや全体の比較では少ないが、
いくつもあるということは事実だ。
人にも言えず、問題を抱えておられるご家族もあるだろう。
今回のテーマは極めてプライバシーに関わるので、
具体的な事例はあまりあげられない。
この様なテーマ以外でも事例に関しては、本人の名前を書いているもの以外は、
個人を特定出来ないように、多少内容を変えたり、
数名のことを一つの話としてまとめてある場合があることはおことわりしたい。
こころの深い部分で共有したことは、彼らとの無意識の約束がある。
さて、一般論をまず、確認したい。
家庭内暴力やクスリ、アルコール依存に関しては、ご家族では解決は出来ない。
本当に問題が大きくなれば、必ず第三者の手に委ねる他はない。
このことを自覚しないと、すべてが崩壊してしまう可能性がある。
ただ、ダウン症の人の場合、ここまでのケースはほとんどないと思う。
それでも一般的な認識は持っておく必要はある。(基本は同じだから)
実際に暴力行為が始まってしまった人のことを考えよう。
ご家族の問題として考えると、特に男の子の場合お母さんとの関係は難しい。
ここでの役割はどうしても男性の力が必要だ。
離婚されている方や、すでにお父さんが亡くなられている方に、
実はこのようなケースは多い。
お母さんと2人ではお互いにいき場が無くなってしまう。
専門家やお医者さんに相談するしかない。
お父さんがいらっしゃる場合は、ここは父親の役割だ。
僕の場合、アトリエでおきた時、どう対応しているかを書く。
これは数名の保護者の方には何度かお話しした。
それに、ご理解いただけなければ、現場での対応が出来ないので、
充分に納得されるまでお話ししたケースがある。
基本的にはここは制作の場なので、
本当に場や他の人に危険や恐怖心が出てしまう位の状況の人に関しては、
申し訳ないがアトリエでは見ることが出来ない。
その様な場合は基本は一対一でなければならないからだ。
僕が見てかなり良くなったケースだけ書こう。
学校では友達に怪我をさせてしまうくらいに暴れるという子がいた。
椅子や机も投げてしまう。ガラスも割る。
暴れだすとパニックになって止まらなくなってしまう。
僕は初めから、かなりしっかりみつに見なければならないと感じたので、
保護者の方にも覚悟を決めてもらうことにした。
「かなり、厳しく押さえますよ。こちらの判断に任せて下さい。ちょっと最初は可哀想な場面が必ず出て来ます。」と言って、その後におきるであろうことをいくつか、
ご説明した。
これは言っておかなければならない事だから。
暴れている人、暴力をふるう人を止める場合、
かなりの力で押さえつけることがあるが、止めるという行為だって、
暴力の一種であることの自覚が必要だ。
暴力には原因や理由がある、それを見極めなければ解決しないが、
見極めると可哀想になってしまう事もある。
止めるときは可哀想と思ってはいけない。
パニックは余計に強くなってしまう。
僕の場合は相手がちょっと怖いと感じるくらいの勢いで止める。
そうしないと効果はない。
でも、相手に傷を残さないやり方を心得ておかなければならないし、
はっきり言えることは相手との信頼関係が確立されていなければ、
おこなってはならない事だ。
止めるときは毅然と、かつ断固として止めること。
自分に迷いを持ってはならない、恐怖心も駄目。
こちらが、恐れてしまうと相手のパニックは強くなる。
ひいてはいけない。一歩でもひくと、次から関係が取り戻せない。
こうやって止める事が一つの関係性になる。
相手を許し、認めつつ、ここから先には絶対に入れないという領域を感じさせる事で、
相手は少しづつ安心していく。
その子の場合、これを2度ほど続けただけで、暴力が無くなったばかりか、
言葉もはっきり出て来た。
成人していて、長い期間我慢して来た人の場合は、
そうすぐには治らない。
少しづつ減っていくという程度だろう。
でも、暴力に関してはいつかは必ず終わるものだ。
成人している人では、何度も警察が来るまでに発展してしまう人がいる。
一番調子が悪い時に、僕と一日散歩した事があった。
道の途中で車に突き飛ばして来ようとしたり、
掴み掛かって来たりする。その度に、僕が押さえつけ、強く目を合わせる。
言葉はない。そのうちに諦めて、落ち込んだように下を向いてあるく。
険悪な雰囲気のまま、バス停まで見送る。
バスが来ると、はっきりと僕の顔を見て笑いかける。
「佐久間さん。今日、ありがとな」
その後、彼はかなりの期間、元気を取り戻していた。
少なくとも僕の前では暴力的な行為はなくなった。
それでも、調子が悪くなるとお母さんに暴力をふるう。
電話でも興奮状態で、何も聞こえていない。
泊まりにきな、と言って次の日は待っている。
実際には泊まりに来ても、何事もない。
テレビを見てラーメンを食べて、お風呂に入って寝る。
「楽しかったあ」と帰って行く。
基本は信頼関係だ。そこを強く求めてくる。
理由があるのだからストレス解消のように捉えて、
暴れるのがおさまるまで、避難して待つという人もいるが、
それでは解決出来ない。女性の方ではそうするしかないだろうが。
例えば、赤ちゃんが泣きじゃくって居る時に、
泣き止むまでほっておくという人がいるが、あきらかに間違いだと思う。
しっかり抱き抱える。あやす。泣く→抱っこのくり返しが、
人との接触の記憶を良いものにし、内面の安心感、信頼感を育てる。
言葉でする教育はもっともっと浅い部分だけだ。
暴力にも同じ対応が要求される。
暴力(訴え)→押さえる(身体接触)のくり返しにによってやがて安心感が生まれる。
勿論、元になる原因を取り除いていく事は忘れてはならない。
この基本構造はすべての人に言える事だが、
力の関係で、他の障害や特に統合失調症の人にはこういうやりかたは、
避けたほうが無難だ。大変危険でもある。
(僕自身はこの方法で解決したケースがたくさんある。今は出来ない。危険。)
ダウン症の人たちの場合はこうして、良くなっていく事が多いが、
危ないと感じた場合は、やはり専門家の手に委ねるべきだ。
そして、なにより、この様な事がおきないように、
少しでも減っていくように、彼らのおかれている状況を見直さなければならない。
ほとんどの場合、彼らの場合、気持ちさえ汲み取っていけば、
そんなに難しくはない。
彼らを理解し、ちゃんとした対応が出来る人材がもっと増えれば、
こんな事は無くなっていくと思う。
とにかく、相手のこころだけを見る。
恐れや不安や、焦りは問題を大きくするだけだ。
同じ問題でも、こちらが大丈夫、それ位、対応出来るよという態度で挑めば、
それ以上大きくはならないし、簡単に解決する事もある。
実際には存在する具体的な問題でもあるので書くことにする。
僕の任務はダウン症の人たちの可能性を伝えることにあると思っている。
出来れば、生活の中でおきてくるような問題を考えて、
困っているご家族の力になれる専門家がもっと多くいてくれると有難い。
僕のような立場の人間は本来はこのような問題まで手を出すべきではない。
でも、実際に困っておられる方も多く、
その対応に問題を感じるケースも多い。
暴力、特に家庭内における暴力の問題だ。
以前、これも僕などが語るべきではないと感じながらも、
思春期、成人期の問題を書いた。
同じような問題だ。
ダウン症の人たちの場合、本来の性質は平和的でおだやかだ。
これは、誰かが理想化して創られたイメージではなく、
性質として本当にそうなのだ。
だから、そんな彼らが暴力と言う直接的な手段によってしか、
訴えられない状況に追い込まれた場合、これは余程のことだ。
でも、そういうケースはいくつか、いや全体の比較では少ないが、
いくつもあるということは事実だ。
人にも言えず、問題を抱えておられるご家族もあるだろう。
今回のテーマは極めてプライバシーに関わるので、
具体的な事例はあまりあげられない。
この様なテーマ以外でも事例に関しては、本人の名前を書いているもの以外は、
個人を特定出来ないように、多少内容を変えたり、
数名のことを一つの話としてまとめてある場合があることはおことわりしたい。
こころの深い部分で共有したことは、彼らとの無意識の約束がある。
さて、一般論をまず、確認したい。
家庭内暴力やクスリ、アルコール依存に関しては、ご家族では解決は出来ない。
本当に問題が大きくなれば、必ず第三者の手に委ねる他はない。
このことを自覚しないと、すべてが崩壊してしまう可能性がある。
ただ、ダウン症の人の場合、ここまでのケースはほとんどないと思う。
それでも一般的な認識は持っておく必要はある。(基本は同じだから)
実際に暴力行為が始まってしまった人のことを考えよう。
ご家族の問題として考えると、特に男の子の場合お母さんとの関係は難しい。
ここでの役割はどうしても男性の力が必要だ。
離婚されている方や、すでにお父さんが亡くなられている方に、
実はこのようなケースは多い。
お母さんと2人ではお互いにいき場が無くなってしまう。
専門家やお医者さんに相談するしかない。
お父さんがいらっしゃる場合は、ここは父親の役割だ。
僕の場合、アトリエでおきた時、どう対応しているかを書く。
これは数名の保護者の方には何度かお話しした。
それに、ご理解いただけなければ、現場での対応が出来ないので、
充分に納得されるまでお話ししたケースがある。
基本的にはここは制作の場なので、
本当に場や他の人に危険や恐怖心が出てしまう位の状況の人に関しては、
申し訳ないがアトリエでは見ることが出来ない。
その様な場合は基本は一対一でなければならないからだ。
僕が見てかなり良くなったケースだけ書こう。
学校では友達に怪我をさせてしまうくらいに暴れるという子がいた。
椅子や机も投げてしまう。ガラスも割る。
暴れだすとパニックになって止まらなくなってしまう。
僕は初めから、かなりしっかりみつに見なければならないと感じたので、
保護者の方にも覚悟を決めてもらうことにした。
「かなり、厳しく押さえますよ。こちらの判断に任せて下さい。ちょっと最初は可哀想な場面が必ず出て来ます。」と言って、その後におきるであろうことをいくつか、
ご説明した。
これは言っておかなければならない事だから。
暴れている人、暴力をふるう人を止める場合、
かなりの力で押さえつけることがあるが、止めるという行為だって、
暴力の一種であることの自覚が必要だ。
暴力には原因や理由がある、それを見極めなければ解決しないが、
見極めると可哀想になってしまう事もある。
止めるときは可哀想と思ってはいけない。
パニックは余計に強くなってしまう。
僕の場合は相手がちょっと怖いと感じるくらいの勢いで止める。
そうしないと効果はない。
でも、相手に傷を残さないやり方を心得ておかなければならないし、
はっきり言えることは相手との信頼関係が確立されていなければ、
おこなってはならない事だ。
止めるときは毅然と、かつ断固として止めること。
自分に迷いを持ってはならない、恐怖心も駄目。
こちらが、恐れてしまうと相手のパニックは強くなる。
ひいてはいけない。一歩でもひくと、次から関係が取り戻せない。
こうやって止める事が一つの関係性になる。
相手を許し、認めつつ、ここから先には絶対に入れないという領域を感じさせる事で、
相手は少しづつ安心していく。
その子の場合、これを2度ほど続けただけで、暴力が無くなったばかりか、
言葉もはっきり出て来た。
成人していて、長い期間我慢して来た人の場合は、
そうすぐには治らない。
少しづつ減っていくという程度だろう。
でも、暴力に関してはいつかは必ず終わるものだ。
成人している人では、何度も警察が来るまでに発展してしまう人がいる。
一番調子が悪い時に、僕と一日散歩した事があった。
道の途中で車に突き飛ばして来ようとしたり、
掴み掛かって来たりする。その度に、僕が押さえつけ、強く目を合わせる。
言葉はない。そのうちに諦めて、落ち込んだように下を向いてあるく。
険悪な雰囲気のまま、バス停まで見送る。
バスが来ると、はっきりと僕の顔を見て笑いかける。
「佐久間さん。今日、ありがとな」
その後、彼はかなりの期間、元気を取り戻していた。
少なくとも僕の前では暴力的な行為はなくなった。
それでも、調子が悪くなるとお母さんに暴力をふるう。
電話でも興奮状態で、何も聞こえていない。
泊まりにきな、と言って次の日は待っている。
実際には泊まりに来ても、何事もない。
テレビを見てラーメンを食べて、お風呂に入って寝る。
「楽しかったあ」と帰って行く。
基本は信頼関係だ。そこを強く求めてくる。
理由があるのだからストレス解消のように捉えて、
暴れるのがおさまるまで、避難して待つという人もいるが、
それでは解決出来ない。女性の方ではそうするしかないだろうが。
例えば、赤ちゃんが泣きじゃくって居る時に、
泣き止むまでほっておくという人がいるが、あきらかに間違いだと思う。
しっかり抱き抱える。あやす。泣く→抱っこのくり返しが、
人との接触の記憶を良いものにし、内面の安心感、信頼感を育てる。
言葉でする教育はもっともっと浅い部分だけだ。
暴力にも同じ対応が要求される。
暴力(訴え)→押さえる(身体接触)のくり返しにによってやがて安心感が生まれる。
勿論、元になる原因を取り除いていく事は忘れてはならない。
この基本構造はすべての人に言える事だが、
力の関係で、他の障害や特に統合失調症の人にはこういうやりかたは、
避けたほうが無難だ。大変危険でもある。
(僕自身はこの方法で解決したケースがたくさんある。今は出来ない。危険。)
ダウン症の人たちの場合はこうして、良くなっていく事が多いが、
危ないと感じた場合は、やはり専門家の手に委ねるべきだ。
そして、なにより、この様な事がおきないように、
少しでも減っていくように、彼らのおかれている状況を見直さなければならない。
ほとんどの場合、彼らの場合、気持ちさえ汲み取っていけば、
そんなに難しくはない。
彼らを理解し、ちゃんとした対応が出来る人材がもっと増えれば、
こんな事は無くなっていくと思う。
とにかく、相手のこころだけを見る。
恐れや不安や、焦りは問題を大きくするだけだ。
同じ問題でも、こちらが大丈夫、それ位、対応出来るよという態度で挑めば、
それ以上大きくはならないし、簡単に解決する事もある。
2012年5月28日月曜日
彼らとスタッフ
昨日は2、4週日曜日クラス。ベテランの多いクラスだ。
午前中あらためて、ゆうきちゃんの制作に圧倒された。
ゆうきちゃんの作品はいつも凄い。
それから、りょうちゃんがいつものようにユーモアで場を盛り上げながら、
描いている途中、作品がグンと深くなる瞬間があった。
僕はかなり離れた場所にいたのだが、意識だけはこの瞬間は逃してはならない、と
強い注意力を注ぐ。その瞬間、作品を見ていたりょうちゃんが、
僕の方に視線をうつしてニッコリ笑う。言葉はない。僕は頷く。
そこで世界は共有される。あとは数分で良い作品が仕上がる。
面白いなあと思うと同時に怖くもある。
あの瞬間を僕が逃していたらどうなっていたか。
多分、分かる人いないな、と察知してそのまま画面をうめて出来上がりだっただろう。
そういう部分で、制作の場ではスタッフもいつも試されている。
午後のクラスはやっぱりこの人達の友情は素敵だなと思う。
このメンバーにしてはじめて出来る場がある。
お互いを知り尽くしているからこその、言葉にしない部分での交流。
制作に関しては、残念ながら一番良い、のびのび描けていた頃は過ぎてしまった。
それぞれが色んなことを経験し乗り越えて来た。
お互いがその事を分かり合っている。
確かに一番輝いていた制作の時期は過ぎたとはいえ、
時に今でしか出来ないような深みが出ることもある。
色々あったからこそ描ける絵というのもある。
何よりもこの関係性が財産だ。
このクラスほど、場は彼ら自身が創ると実感させてくれるクラスはない。
僕自身も本当にリラックスして、自然に進められる。
彼らがお互いを活かし合っている姿が、本当に有難い。
1、3週の日曜日午後クラスは逆に、制作の密度が素晴らしい。
こちらにも俊敏な感覚が要求される。
流れについていく集中力が必要だ。
このクラスもかけがえがない。
特にてる君の制作に向かう透明感はずばぬけている。
こちらも良い意味での緊張感がある。
と言っても柔らかくやさしい空気感が共存しているのだが。
感覚、感性の部分では僕はてる君と居ることで、
かなり鍛えられて来たような気がする。
ある意味で作家とスタッフは一心同体だ。
魂や感覚の領域では、本当に一つになる瞬間がある。
作家とスタッフの共有している世界とは、
仲のいい友達や、家族との一体感とは少し違っている。
日常的な次元から一歩深いところに入った部分だ。
だから、作家たちも友達や家族に望むことと、僕らに求めることは違ってくる。
例えば、これは別の話だから深くは書かないが、
ダウン症の人も統合失調症になってしまうケースがある。
この問題はいつか別の機会に考えたいが、
そうなると、今居る世界や自分の環境から逃れる為に、
彼らはこころの中に別の世界を作る。
本当は私は神様だとか、動物だとか、何かに狙われているとか。
そういう場合は、あきらかに健康を害してしまっているので見ればすぐに分かる。
それとは別に精神的に健康で問題がないのに、
「実は私は地球人じゃないんだ」とか
「今日来たお母さんとお父さんは、本当の親じゃないんだよ。実はね‥‥」
というような話を始める人の場合、また違う意味がある。
それは内面的な真実を語っているといえる。
つまり、ここから入る制作の空間、こころの深い場所は、
友達や家族と過ごす時に出している世界とは違う、
もっと素のこころを描くことで表すよ、というような意味だ。
その様にストーリーを作って、内面を整理する人は多い。
ここで、こんなに自由にしたら、外でわがままになるのでは、と
心配される保護者の方もいらっしゃるが、そういう意味では大丈夫。
違いが分かっているからこそ、どこででも出来ないという自覚がある。
もし、どんな場所でも内面のすべてを出してくれるなら、
制作の場でもスタッフに仕事はない。でも、そうはなっていない。
彼らは言葉より気配で察知している。
こんな事もあった。
ある女の子でずっとアトリエに来ている人だが、
外でフリースクールみたいな場所に通っている。
そこの先生のことが好きで、もう恋愛のような感情にもなっている。
いつもその○○さんの話を楽しそうにしている。
彼女がある日、真剣に制作している姿がかっこ良かったので写真にとっていたら、
「佐久間さん、今の私をとってね。○○さんに見せたいから。○○さんは私のこういう
ところ、しらないからね」と言った。
彼らはその人が自分のどの部分を見ているのか知っている。
どの関係が正しいという話では勿論ない。
様々な関係が必要だ。家族との関係、友達との関係。
先生との関係。
そういう様々な関係の中に、制作に向かう彼らのこころを見るという、
スタッフとの関係の大切さもあげられると思う。
午前中あらためて、ゆうきちゃんの制作に圧倒された。
ゆうきちゃんの作品はいつも凄い。
それから、りょうちゃんがいつものようにユーモアで場を盛り上げながら、
描いている途中、作品がグンと深くなる瞬間があった。
僕はかなり離れた場所にいたのだが、意識だけはこの瞬間は逃してはならない、と
強い注意力を注ぐ。その瞬間、作品を見ていたりょうちゃんが、
僕の方に視線をうつしてニッコリ笑う。言葉はない。僕は頷く。
そこで世界は共有される。あとは数分で良い作品が仕上がる。
面白いなあと思うと同時に怖くもある。
あの瞬間を僕が逃していたらどうなっていたか。
多分、分かる人いないな、と察知してそのまま画面をうめて出来上がりだっただろう。
そういう部分で、制作の場ではスタッフもいつも試されている。
午後のクラスはやっぱりこの人達の友情は素敵だなと思う。
このメンバーにしてはじめて出来る場がある。
お互いを知り尽くしているからこその、言葉にしない部分での交流。
制作に関しては、残念ながら一番良い、のびのび描けていた頃は過ぎてしまった。
それぞれが色んなことを経験し乗り越えて来た。
お互いがその事を分かり合っている。
確かに一番輝いていた制作の時期は過ぎたとはいえ、
時に今でしか出来ないような深みが出ることもある。
色々あったからこそ描ける絵というのもある。
何よりもこの関係性が財産だ。
このクラスほど、場は彼ら自身が創ると実感させてくれるクラスはない。
僕自身も本当にリラックスして、自然に進められる。
彼らがお互いを活かし合っている姿が、本当に有難い。
1、3週の日曜日午後クラスは逆に、制作の密度が素晴らしい。
こちらにも俊敏な感覚が要求される。
流れについていく集中力が必要だ。
このクラスもかけがえがない。
特にてる君の制作に向かう透明感はずばぬけている。
こちらも良い意味での緊張感がある。
と言っても柔らかくやさしい空気感が共存しているのだが。
感覚、感性の部分では僕はてる君と居ることで、
かなり鍛えられて来たような気がする。
ある意味で作家とスタッフは一心同体だ。
魂や感覚の領域では、本当に一つになる瞬間がある。
作家とスタッフの共有している世界とは、
仲のいい友達や、家族との一体感とは少し違っている。
日常的な次元から一歩深いところに入った部分だ。
だから、作家たちも友達や家族に望むことと、僕らに求めることは違ってくる。
例えば、これは別の話だから深くは書かないが、
ダウン症の人も統合失調症になってしまうケースがある。
この問題はいつか別の機会に考えたいが、
そうなると、今居る世界や自分の環境から逃れる為に、
彼らはこころの中に別の世界を作る。
本当は私は神様だとか、動物だとか、何かに狙われているとか。
そういう場合は、あきらかに健康を害してしまっているので見ればすぐに分かる。
それとは別に精神的に健康で問題がないのに、
「実は私は地球人じゃないんだ」とか
「今日来たお母さんとお父さんは、本当の親じゃないんだよ。実はね‥‥」
というような話を始める人の場合、また違う意味がある。
それは内面的な真実を語っているといえる。
つまり、ここから入る制作の空間、こころの深い場所は、
友達や家族と過ごす時に出している世界とは違う、
もっと素のこころを描くことで表すよ、というような意味だ。
その様にストーリーを作って、内面を整理する人は多い。
ここで、こんなに自由にしたら、外でわがままになるのでは、と
心配される保護者の方もいらっしゃるが、そういう意味では大丈夫。
違いが分かっているからこそ、どこででも出来ないという自覚がある。
もし、どんな場所でも内面のすべてを出してくれるなら、
制作の場でもスタッフに仕事はない。でも、そうはなっていない。
彼らは言葉より気配で察知している。
こんな事もあった。
ある女の子でずっとアトリエに来ている人だが、
外でフリースクールみたいな場所に通っている。
そこの先生のことが好きで、もう恋愛のような感情にもなっている。
いつもその○○さんの話を楽しそうにしている。
彼女がある日、真剣に制作している姿がかっこ良かったので写真にとっていたら、
「佐久間さん、今の私をとってね。○○さんに見せたいから。○○さんは私のこういう
ところ、しらないからね」と言った。
彼らはその人が自分のどの部分を見ているのか知っている。
どの関係が正しいという話では勿論ない。
様々な関係が必要だ。家族との関係、友達との関係。
先生との関係。
そういう様々な関係の中に、制作に向かう彼らのこころを見るという、
スタッフとの関係の大切さもあげられると思う。
2012年5月27日日曜日
みずいろさん
昨日のアトリエで、よしてる君が描きながら、
「みず色さん、さすがだなあ」とつぶやいた。
そういうあなたがさすがです。
たしかに、僕も流れをずっと見ていて、何かあと一つピッタリ来る色が欲しいと、
感じていた。そこまでは綺麗に進んでいて、最後のところでしばらく立ち止まった。
少し画面を見直してから、再び筆をとった。
空いている場所、数カ所に水色をぬっていく。
絵は見違えるように、生命力をもった。
その時、さっきの言葉がつぶやかれた。
何気ない一言だが、彼がどんな風に制作しているのか、
内面がうかがい知れる。
彼らはみんなそうだが、自分のおもいどおりに作品を構成している訳ではない。
色が色をよび、次に必要とされる形はバランスの感覚でつかんでいく。
調和の法則に則っているといえるかも知れない。
自由にとらわれなく、描いていくが、そこには、
画面が要求しているものを感じとっていく謙虚さがある。
だから、よしいい色を選んで成功したぞ、と思わずに、
水色さん、さすがだなあという、色の持つ力に感動出来る。
こういう認識を生きているからこそ、あのような作品が描ける。
自分がいいものを描いてやろうという作家性とは無縁だ。
そんな彼らには、私達より遥かに色彩が美しく見えているはずだ。
実際に僕もその作品を通して、水色の奥深さを自覚したわけだ。
この前、ちょっとだけ書いたけど、
先日の講演では前半と後半に分けるとしたら、
前半部分で時間オーバーとなってしまった。
アトリエの活動から見えてくる可能性についてはお話し出来たが、
僕自身が経験して来たことを通じてという部分と、
作品の力には触れたけど、では何故、作品にその様な力があるのか、
という部分まではお話し出来なかった。
その後、ご連絡をいただいた方も居て、
かなりの方がこのブログを読んで下さっていることが分かった。
ということで、後半部分はこのブログで書いていきます。
今回はなぜ、この様に彼らの作品が人のこころを動かすのか、
考えてみたい。でも、すでに書いて来たことでもある。
もう一度、まとめ。
まずは、彼らの作品には確実に人のこころを捉える力があり、
それは彼らの可能性だということを確認したい。
講演では展示例やイベントでの人々の反応を例にした。
作品を見て涙を流したり、病院にかけてある絵に癒されたという方のことは、
このブログでもふれた。
美術の専門家達からも高い評価を受けて来たし、
一般の方達や、学生達も彼らの魅力に惹かれている。
作品を展示すれば、必ず良い反応がかえってくる。
彼らの可能性は証明されているといえる。
僕の手元には展覧会等でのお客さんの感想ノートがある。
アトリエの見学者の感想もある。
機会があれば、こういう感想もご紹介したい。
読んでいただくと、作品と彼らのこころに人は何かを感じずにはいられない、
ということがお分かりになると思う。
さて、なぜ彼らの感性は人のこころに響くのか。
何度も書いて来たが、私達の中にある、人間の元の部分、
生命の原初にある調和の原理が、そうさせていると思う。
私達は本来、こころの奥に調和の感覚を持っている。
それがなければ、これまで生存して来れなかったし、
もっといえば、生命体がこの地球に誕生することもなかったはずだ。
私達はそのような調和的感性を失いつつある。
自然から離れ、脳みそだけで生きようとした結果かも知れない。
でも、私達のこころの奥では調和の記憶が残っている。
それが、私達がダウン症の人たちや作品にひかれる訳だと思う。
そこに懐かしさや、心地良さや、自然さを感じる。
分からなくても、何かがあると感じる。
人間としての本能がそうさせる。
だから、彼らは私達に大切な事を思い出させてくれている。
教えてくれている。
そろそろ、素直になってその声を聞いてみよう。
生きている世界が変わってくる。
あえてあんまりこんな言い方はしないようにして来たが、
ある意味で、彼らは人間とは本来はどうあるべきなのかを、
教えてくれる為に産まれて来ているのでは無いだろうか。
僕の仕事は具体的で実際的なことが多いので、
あんまりロマンは語りたくはない。文学的な感傷も嫌だ。
でも、一度、この部分はお伝えしたかった。
もし、彼らがそのようなメッセージを伝える為に産まれているなら、
その示している意味も読み解かず、ひたすら現状の社会システムに
適合させていこうという在り方に問題がないはずはない。
人間は愚かだ。
自然や他の生物をみれば分かるが、
愚かな人間が、その意味も知らずに滅ぼしてしまった世界がたくさんある。
「みずいろさん、さすがだなあ」という言葉の深さを、
私達はどれだけ感じられるだろうか。
水色さんの素晴らしさを、どれだけ知っているだろうか。
彼らの方がよほど、知っている。よほど豊かな世界を生きている。
ところで、よしてる君は最近、新聞を作っている。
以前から写真を撮ったり、取材するとか言っていたが、
最近は記事を書きはじめた。
僕が「アトリエでよしてる新聞とろうかなあ」と言うと、
「じゃあ絵の時にもってくるよ」と了解してくれた。
第一号は待合室にあります。
保護者の方で待合室をお使いの方は是非、読んでみて下さい。
それにしても、新聞をつくる子は多い。
みんなの新聞をいっぱい読んできて、面白かった。
サトちゃんの大きな新聞も懐かしい。
「みず色さん、さすがだなあ」とつぶやいた。
そういうあなたがさすがです。
たしかに、僕も流れをずっと見ていて、何かあと一つピッタリ来る色が欲しいと、
感じていた。そこまでは綺麗に進んでいて、最後のところでしばらく立ち止まった。
少し画面を見直してから、再び筆をとった。
空いている場所、数カ所に水色をぬっていく。
絵は見違えるように、生命力をもった。
その時、さっきの言葉がつぶやかれた。
何気ない一言だが、彼がどんな風に制作しているのか、
内面がうかがい知れる。
彼らはみんなそうだが、自分のおもいどおりに作品を構成している訳ではない。
色が色をよび、次に必要とされる形はバランスの感覚でつかんでいく。
調和の法則に則っているといえるかも知れない。
自由にとらわれなく、描いていくが、そこには、
画面が要求しているものを感じとっていく謙虚さがある。
だから、よしいい色を選んで成功したぞ、と思わずに、
水色さん、さすがだなあという、色の持つ力に感動出来る。
こういう認識を生きているからこそ、あのような作品が描ける。
自分がいいものを描いてやろうという作家性とは無縁だ。
そんな彼らには、私達より遥かに色彩が美しく見えているはずだ。
実際に僕もその作品を通して、水色の奥深さを自覚したわけだ。
この前、ちょっとだけ書いたけど、
先日の講演では前半と後半に分けるとしたら、
前半部分で時間オーバーとなってしまった。
アトリエの活動から見えてくる可能性についてはお話し出来たが、
僕自身が経験して来たことを通じてという部分と、
作品の力には触れたけど、では何故、作品にその様な力があるのか、
という部分まではお話し出来なかった。
その後、ご連絡をいただいた方も居て、
かなりの方がこのブログを読んで下さっていることが分かった。
ということで、後半部分はこのブログで書いていきます。
今回はなぜ、この様に彼らの作品が人のこころを動かすのか、
考えてみたい。でも、すでに書いて来たことでもある。
もう一度、まとめ。
まずは、彼らの作品には確実に人のこころを捉える力があり、
それは彼らの可能性だということを確認したい。
講演では展示例やイベントでの人々の反応を例にした。
作品を見て涙を流したり、病院にかけてある絵に癒されたという方のことは、
このブログでもふれた。
美術の専門家達からも高い評価を受けて来たし、
一般の方達や、学生達も彼らの魅力に惹かれている。
作品を展示すれば、必ず良い反応がかえってくる。
彼らの可能性は証明されているといえる。
僕の手元には展覧会等でのお客さんの感想ノートがある。
アトリエの見学者の感想もある。
機会があれば、こういう感想もご紹介したい。
読んでいただくと、作品と彼らのこころに人は何かを感じずにはいられない、
ということがお分かりになると思う。
さて、なぜ彼らの感性は人のこころに響くのか。
何度も書いて来たが、私達の中にある、人間の元の部分、
生命の原初にある調和の原理が、そうさせていると思う。
私達は本来、こころの奥に調和の感覚を持っている。
それがなければ、これまで生存して来れなかったし、
もっといえば、生命体がこの地球に誕生することもなかったはずだ。
私達はそのような調和的感性を失いつつある。
自然から離れ、脳みそだけで生きようとした結果かも知れない。
でも、私達のこころの奥では調和の記憶が残っている。
それが、私達がダウン症の人たちや作品にひかれる訳だと思う。
そこに懐かしさや、心地良さや、自然さを感じる。
分からなくても、何かがあると感じる。
人間としての本能がそうさせる。
だから、彼らは私達に大切な事を思い出させてくれている。
教えてくれている。
そろそろ、素直になってその声を聞いてみよう。
生きている世界が変わってくる。
あえてあんまりこんな言い方はしないようにして来たが、
ある意味で、彼らは人間とは本来はどうあるべきなのかを、
教えてくれる為に産まれて来ているのでは無いだろうか。
僕の仕事は具体的で実際的なことが多いので、
あんまりロマンは語りたくはない。文学的な感傷も嫌だ。
でも、一度、この部分はお伝えしたかった。
もし、彼らがそのようなメッセージを伝える為に産まれているなら、
その示している意味も読み解かず、ひたすら現状の社会システムに
適合させていこうという在り方に問題がないはずはない。
人間は愚かだ。
自然や他の生物をみれば分かるが、
愚かな人間が、その意味も知らずに滅ぼしてしまった世界がたくさんある。
「みずいろさん、さすがだなあ」という言葉の深さを、
私達はどれだけ感じられるだろうか。
水色さんの素晴らしさを、どれだけ知っているだろうか。
彼らの方がよほど、知っている。よほど豊かな世界を生きている。
ところで、よしてる君は最近、新聞を作っている。
以前から写真を撮ったり、取材するとか言っていたが、
最近は記事を書きはじめた。
僕が「アトリエでよしてる新聞とろうかなあ」と言うと、
「じゃあ絵の時にもってくるよ」と了解してくれた。
第一号は待合室にあります。
保護者の方で待合室をお使いの方は是非、読んでみて下さい。
それにしても、新聞をつくる子は多い。
みんなの新聞をいっぱい読んできて、面白かった。
サトちゃんの大きな新聞も懐かしい。
2012年5月26日土曜日
誕生日
もういいかげん、こういうことも書きたくないんだけど、
今日、ポストを見たら、今年もいくつかの団体から、
展覧会やイベントのお知らせが入っていた。
相変わらす、ひどい内容だ。
どの団体も「障害理解」「社会参加」とうたっている。
中には良い作品もあるのに本当に勿体ない。
はっきり言わせてもらうが、障害理解や社会参加の為に、作品を見る人は居ない。
いたとしたら、逆に誤解を助長させるだけだ。
ここまでは言いたくないが、企画しているあなた方の認識が、
障害理解や社会参加を妨げていることを自覚すべきだ。
作者達をバカにするのもほどほどにしてもらいたい。
さて、個人的なことですが5月24日は僕の誕生日でした。
何をする訳でもなく、いつもと同じように静かにすごした。
今はゆうたと居れれば、何をしていても幸せ。
夜、久しぶりにバックハウスのベートーベンピアノソナタ全集を聴いた。
やっぱり素晴らしい。
音楽の話は書かないと言っているので、ここまでにしておくけど、
これは何度聴いても感動する。
色んな演奏家が居るが、僕にとってはバックハウスこそが一番。
音楽に向かう姿勢は、生き方として見習いたい。
自分もいつかは、あんな風に仕事をしたい。
35になった。これからの10年をどう生きるか、考えたい。
前にパズルのことを書いたけど、経験して来た全てのことが、
パズルのように重なって一つの絵になる光景がみえた。
最近のことだ。
ここが節目になってくることは確かな気がする。
ゆうたが産まれたことが一番大きいが、他にも新たな環境づくりを考えたり、
これから大きく変化していくだろう。
でも、一番の目標は変わらない。
制作の場をどれだけ深めていけるかだ。
本当の僕の仕事はそこにしかない。
僕の仕事は、講演をする事でも、取材を受けることでも、
企画や仕掛けをつくることでもない。
今は必要な時期でもあるので、すべきことはしていくが、
本当の仕事は制作の場で一人一人と向き合うこと、そこにつきる。
これだけでも、一生かけても到達出来ない場所がある。
ともあれ、ここまで生きてこれて親に感謝しなくちゃ。
ゆうたが居てくれて、親の想いが分かる。
子供が可愛くない親など居ないだろう。
僕の生まれ育った環境と十代前半までの人生は平坦なものではなかった。
貧しくもあり、母子家庭でもあり、その他、様々な複雑な要素があった。
お陰で強く育った。
みんなからはいつも、なんでそんなに強いのと聞かれる。
ここぞという、勝負のかかった場面での勘の強さは財産となった。
東京のアトリエでダウン症の人達と向き合って10年だが、
最初に障害を持つ人の魂と出会ったのは16のころ。
今年で19年が過ぎようとしている。もうすぐ、20年だ。
前にも書いたが、本当の生き方や本当の人間の姿を探していた時期に、
僕は彼らを知った。この出会いは幸福なものだった。
僕は彼らのこころとずっと向き合って来た。
こころの奥にあって、まだ外には現れていないすぐれた資質が見えた時は、
全部見せて、全部だしていいからという気持ちで、
どうすれば一人一人が自分の前で裸になってくれるのか追求して来た。
こころを開く一番のキーは共感と共有にあるとすぐに気がついた。
相手と一緒になってこころの奥に潜っていく。
この作業は本当に面白い。
今でも続けている。
見方は確かに変わってきた。
かつては、共感一つとっても、相手が鳥肌たてば、自分もそうなる位だった。
あるいは、自閉症の人で世界が繋がりでは見えていない人と居るとき、
景色のすべてが点のようになって、それぞれのパーツだけが、
クローズアップして見えていた。
文字道理、本当に同じように見えたり、感じられたりする。
そうすると、確実に本人達には良い影響がある。
今はこんな風な共感は使わない。
僕は自分の居る場所から離れずに、一人一人を見る。
こころの動きは見えているが、僕はそこまでは入らない。
これでも同じ結果は得られる。
関わり方で人は変わる。
性質が変わる訳ではなく、外に表している姿が変わる。
だから無限の宇宙を抱えているのに、誰からも見えていないという事がある。
例えば、僕が昔居たところに、統合失調症の人が居るが、
彼は普段おとなしくしているけど、僕と会うと突然歌いだす。
その歌は他の人は聴いたことがないと言う。
5年も経ってからまた会うと、また急に歌いだす。
その5年間、彼は歌っていない。
5年間、あの歌はどこへ行っていたのだろう。
僕はこれまでたくさんの人を見て来たが、
彼らが持っている無限の可能性が、表す場面もなく、誰も気がつかない、
という状況は切ない。
外を歩いていても、ときどき、この人黙ってるけど内側には、
と思ってしまう事がある。
関わり方によっては、色んなものを出してくれる、
見せてくれる、教えてくれる。
これが人間のこころの神秘だ。
こういう可能性をずっと追求して来たが、
僕は誰からも教わったことはない。
尊敬出来る人達とは出会って来たが、
実際の関わりに必要なことは、すべて自分で学んできた。
実際に向き合って来た一人一人が教えてくれたとも言える。
ほとんど、一匹狼に近い状態だったが、
思ってもみないことに、教えて下さいと言ってくる人も多くなった。
自分達の現場で悩まれている方達、
相手のこころが動かない、制作の指導をしている人では、
なかなか描いてくれない、等様々だ。
残念ながら、自分達の現場で起きている問題は、
その現場でしか解決出来ない。
人から学ぶことも大切だが、学ぶのはまず、自分の現場の問題を解決してからだ。
勿論、僕は出し惜しみはしないので、結構教えるし、状況が許せば自分の場も見せる。
何も隠さないし、秘密もない。
良く、盗まれるといって、自分の仕事を見せない人が居るが、
それはケチ臭い発想だと思う。
良いものは、どんどん盗んでもらって、世の中が良くなればいい。
でも、まあ企業秘密が無いわけではない。
というか少しはある。
それは使った人が失敗しないように、使える人にしか教えないと言うことだ。
失敗すると危険でもあるから。
さらに言うと、自分にすら禁じている秘技もある。
秘技と言うとうさん臭いだろうか。
まあ、これは言っても使える人はそうはいないから、
暗示的に言うと、強い意志の力を使うことで、流れを変える。
これは滅多に使ってはならない。
何故なら自然な流れを壊すからだし、
自分にも相手にもふかがかかるからだ。
急を要する時、もうその人と会うことができない時、
そういうやむをえない時にのみ使う。
実は僕も数度だけは使った事がある。
何故使ったのかは言えないのだが、
人生には正しさだけでは乗り切れない場面もあるということだ。
このふかがかかる方法はもう一つあって、
こちらは意志の力を直接使うよりは安全だ。
それは流れを一旦、止めてしまうというものだ。
あるいは、相手の良い力を一度遮ってしまう。
そうすると、一旦止めたことでエネルギーはより強くなる。
強くなった瞬間に解放する。
意志の力よりは安全だけど、これも自然な流れをいじっているので、
危険度は高い。
実際には使わない方が良いだろう。
では何故、言ったかというと、
こういうことがあるということを頭に入れておくと、
自然な流れを自覚的に感じとれるかもしれないからだ。
こういう、こちら側の話ではなく、
一人一人のことでも、言ってはいけない話はたくさんある。
というか、僕のような生き方をしていると、
死ぬまで言ってはいけないことが、こころの中に大量にしまわれている。
大変そうだけど、面白そうでしょう。
それはさておき、これからの10年、
ダウンズタウンを大きく進めていくことは勿論、
制作の場での自分の役割にはさらに、磨きをかけていかなければならない。
2012年5月23日水曜日
意識改革
今日は良く晴れた。
昨日は寒かったのか、ゆうたは一日ぐずっていた。
今日は元気。
終わったことだけど、みなさん、金環日食見られましたか。
僕はよし子とゆうたと3人で見ました。
神秘的。3人で見たこと、多分一生忘れないだろうなあ。
ハルコが「はー。金環日食きにいったあ。あとでもう一回見ようっと」
と言っていたのが面白かった。さすがだ。
さて、意識改革とまで言うと大袈裟だが、
やっぱりどんな場所でも意識を変えていくことは必要だ。
のんびり、ぼーっとしているのも悪いことではないし、
あまりせかせか、ピリピリしない方がいいことは確かだ。
でも、必要なことはやっていかなければならない。
最近も色んな場所に顔を出すことが多いので考える機会がある。
例えばだけど、今のアトリエの活動から言うなら、
ダウン症の人達の現状は見極めつつ考えている。
アトリエだけが良い活動をしていればそれでいいとは思わない。
この小さな場だけが良くても何も変わらない。
だからこそ、外部へ発信する。
彼らを取り巻く環境や社会が変わらなければ、
現状の問題は解決されない。
そのためには、これまで主に福祉の世界でおこなわれていたような、
活動や意識のレベルではとても不可能だ。
そのことをまず、自覚すべきだ。
社会の彼らを見る目線が変わって行く為には、
まず関わっている人達から変わらなければならない。
いつまでも、福祉レベルの見方をしていたのでは、
誰も関心をもって関わってはくれない。
ダウン症の人たちばかりでなく、障害を持つ人達を対象とした活動の多くは、
凝り固まった意識で運営されている、と言いきっていいだろう。
はっきり言うが社会性がない。
そういう関係者だけで成り立ってしまっているからだ。
保護者の方達が中心になっている組織は、特に気をつけなければ難しい。
客観性をすぐに失うからだ。
ちょっと厳しいかもしれないが、
一般の障害となんの関わりもない人達が、積極的に関心を示さないのは、
そのレベルの活動が多すぎるからだ。
障害を持つ人と接する立場の人達や、保護者や家族からまず、
意識改革が必要だと思う。
アトリエでもいくつかブランドと商品を作った。
あくまでチャリティの枠の中とはいえ、これは可能性を広げたと思う。
自分達で手作りで作って売れば、という案もあるが、
初めからそれでは、バザーの域を出ない。
知り合いに買ってもらって、それで良しとしていたのでは、
そこから先には行けない。
色々と不備もあっただろうが、ブランドが扱い、それぞれの店舗に並んだ、
ということが大切だ。
こういう活動を可能にしているのは、
まずは扱う側がどのような認識で彼らの作品を捉えるか、という意識の問題だ。
扱う人間、関わる人達が、今の現状では異なるジャンルで相手にされない。
この部分を、関わる立場の人達や、保護者の方達も自覚して欲しい。
僕のブログは難しいという人も居るようだが、
このような意図を知った上で、難しい、ややこしいと言う前に、
分かろうと少しでも努力していただきたい。
もちろん、僕自身も分かりやすくするように努力はしていく。
認識を変えていくには、時には少し難しいことも、厳しいことも書かざるを得ない。
少し難しかったり、厳しかったりする部分は、
何故、その様に感じるのか考えてみて欲しい。
だいたいは僕が、これまでこのような活動をしている人達と、
違った問題意識を抱えているからだ。
そういった意識を持たずに、進めていたのでは、
いつまでたっても、普通の人には関係のないお話どまりですよ、と言いたい。
もう一度、身近な方々も認識を持っていただきたい。
その事が結果、周りを変えることになる。
保護者の方々は特に、日常に追われてなかなか、考えても居られないだろうが、
少なくとも、何故、私達がこのような意識で妥協せずに取り組むのか、
ご理解いただきたいと思う。
展覧会にしても、外の人はあんなに見に来て下さっている。
前回の講演も、もう少しアトリエに参加している保護者の方の、
参加があっても良かったような気がしなくもない。
もちろん、それぞれにお忙しいのだろうが。
告知もブログにしか出来ていなかったし。
でも、年間のスケジュールにも書いてあったと思う。
私達がまず、これまでのような認識を変えていく。
本当のことを知ってもらいたければ、こちらが本気で挑む。
作品と制作に関わることには妥協しない。
物を作って売るなら、しっかり仕事の意識を持つ。
なんの関わりも持たない一般の方々が、初めて見たとき、
どう思うのか、感じるのか、しっかり客観視して、
同じような世界の人達だけで甘え合うのはやめよう。
昨日は寒かったのか、ゆうたは一日ぐずっていた。
今日は元気。
終わったことだけど、みなさん、金環日食見られましたか。
僕はよし子とゆうたと3人で見ました。
神秘的。3人で見たこと、多分一生忘れないだろうなあ。
ハルコが「はー。金環日食きにいったあ。あとでもう一回見ようっと」
と言っていたのが面白かった。さすがだ。
さて、意識改革とまで言うと大袈裟だが、
やっぱりどんな場所でも意識を変えていくことは必要だ。
のんびり、ぼーっとしているのも悪いことではないし、
あまりせかせか、ピリピリしない方がいいことは確かだ。
でも、必要なことはやっていかなければならない。
最近も色んな場所に顔を出すことが多いので考える機会がある。
例えばだけど、今のアトリエの活動から言うなら、
ダウン症の人達の現状は見極めつつ考えている。
アトリエだけが良い活動をしていればそれでいいとは思わない。
この小さな場だけが良くても何も変わらない。
だからこそ、外部へ発信する。
彼らを取り巻く環境や社会が変わらなければ、
現状の問題は解決されない。
そのためには、これまで主に福祉の世界でおこなわれていたような、
活動や意識のレベルではとても不可能だ。
そのことをまず、自覚すべきだ。
社会の彼らを見る目線が変わって行く為には、
まず関わっている人達から変わらなければならない。
いつまでも、福祉レベルの見方をしていたのでは、
誰も関心をもって関わってはくれない。
ダウン症の人たちばかりでなく、障害を持つ人達を対象とした活動の多くは、
凝り固まった意識で運営されている、と言いきっていいだろう。
はっきり言うが社会性がない。
そういう関係者だけで成り立ってしまっているからだ。
保護者の方達が中心になっている組織は、特に気をつけなければ難しい。
客観性をすぐに失うからだ。
ちょっと厳しいかもしれないが、
一般の障害となんの関わりもない人達が、積極的に関心を示さないのは、
そのレベルの活動が多すぎるからだ。
障害を持つ人と接する立場の人達や、保護者や家族からまず、
意識改革が必要だと思う。
アトリエでもいくつかブランドと商品を作った。
あくまでチャリティの枠の中とはいえ、これは可能性を広げたと思う。
自分達で手作りで作って売れば、という案もあるが、
初めからそれでは、バザーの域を出ない。
知り合いに買ってもらって、それで良しとしていたのでは、
そこから先には行けない。
色々と不備もあっただろうが、ブランドが扱い、それぞれの店舗に並んだ、
ということが大切だ。
こういう活動を可能にしているのは、
まずは扱う側がどのような認識で彼らの作品を捉えるか、という意識の問題だ。
扱う人間、関わる人達が、今の現状では異なるジャンルで相手にされない。
この部分を、関わる立場の人達や、保護者の方達も自覚して欲しい。
僕のブログは難しいという人も居るようだが、
このような意図を知った上で、難しい、ややこしいと言う前に、
分かろうと少しでも努力していただきたい。
もちろん、僕自身も分かりやすくするように努力はしていく。
認識を変えていくには、時には少し難しいことも、厳しいことも書かざるを得ない。
少し難しかったり、厳しかったりする部分は、
何故、その様に感じるのか考えてみて欲しい。
だいたいは僕が、これまでこのような活動をしている人達と、
違った問題意識を抱えているからだ。
そういった意識を持たずに、進めていたのでは、
いつまでたっても、普通の人には関係のないお話どまりですよ、と言いたい。
もう一度、身近な方々も認識を持っていただきたい。
その事が結果、周りを変えることになる。
保護者の方々は特に、日常に追われてなかなか、考えても居られないだろうが、
少なくとも、何故、私達がこのような意識で妥協せずに取り組むのか、
ご理解いただきたいと思う。
展覧会にしても、外の人はあんなに見に来て下さっている。
前回の講演も、もう少しアトリエに参加している保護者の方の、
参加があっても良かったような気がしなくもない。
もちろん、それぞれにお忙しいのだろうが。
告知もブログにしか出来ていなかったし。
でも、年間のスケジュールにも書いてあったと思う。
私達がまず、これまでのような認識を変えていく。
本当のことを知ってもらいたければ、こちらが本気で挑む。
作品と制作に関わることには妥協しない。
物を作って売るなら、しっかり仕事の意識を持つ。
なんの関わりも持たない一般の方々が、初めて見たとき、
どう思うのか、感じるのか、しっかり客観視して、
同じような世界の人達だけで甘え合うのはやめよう。
2012年5月21日月曜日
講演
5月20日の講演、無事終了しました。
お越し下さった皆様、有り難うございました。
ブログを見て遠くから来て下さった方も何人かいました。
本当に有り難うございます。
楽しい集まりでした。
今回はダウン症のお子さんがいる保護者の方が中心でした。
みなさんが、熱心に聞いて下さったので、
僕も少しでも希望に繋がることがお話し出来ればと思いながら進めました。
前半にアトリエの活動から見える彼らの可能性を、
そして後半に僕自身の経験からのお話を、と思っておりましたが、
前半部分に時間を使い過ぎてしまいました。
僕自身の体験はまた、何かの機会にと思っています。
でも、今回は初めて聞く方も多かったので、
あまり細かいところに突っ込んだお話より、
アトリエでの活動とそれに関わる社会の動きを全体的に見て、
という流れで良かったような気がします。
聞いて下さった方達が少しでも、
ダウン症の人たちの可能性を感じてくれたなら、良かったと思います。
彼らの世界と作品には力があるし、
それにこころ動かされる人は多いということを、
アトリエ・エレマン・プレザンという活動の中から例をだして、
お話ししました。
クリちゃんのだんなさんの、のぶおさんや、
いつもアトリエを応援してくれる、シトミ君も来てくれました。
講演が終わったあと、駅の近くでのぶおさん、シトミ君とお茶をしていると、
「先ほど、お話お聞きしました」という方に会いました。
子供が産まれたばかりの頃、どうしていいか分からず、戸惑っていて、
このブログに行き当たったそうです。
このブログを読んで希望を持てたと仰って下さいました。
そして、講演を聞きにきて下さったそうです。
こういう方と出会えて嬉しかったです。
少しでも誰かのためになれるなら、
少しでも彼らの魅力や可能性を伝え、
それを希望として下さる方がいるなら、
私達のすすめていることには意味があるのだと、思えます。
みなさんのその様な言葉に、私達も励まされます。
また、たくさんの方に出会うことができました。
僕自身のことを考えると、これまで作家たちの支えなることは、
かなり出来て来たと思っている。
でも、保護者の方達や家族の方達に
少しでも希望を持ってもらえる存在であれたかは、本当に心許ない。
保護者の方達のこころの支えは必須だと思っている。
そこに関しては僕では役不足なので、もっと適任者がいるだろう。
今後はそんなことも考えていきたい。
作家たちだけでなく、その家族みんなに幸せになってもらいたい。
微力ながら、制作の場をより充実させていくと共に、
これからさらに輪を広げ、みんなが支え合えるような場を創っていきたい。
お越し下さった皆様、有り難うございました。
ブログを見て遠くから来て下さった方も何人かいました。
本当に有り難うございます。
楽しい集まりでした。
今回はダウン症のお子さんがいる保護者の方が中心でした。
みなさんが、熱心に聞いて下さったので、
僕も少しでも希望に繋がることがお話し出来ればと思いながら進めました。
前半にアトリエの活動から見える彼らの可能性を、
そして後半に僕自身の経験からのお話を、と思っておりましたが、
前半部分に時間を使い過ぎてしまいました。
僕自身の体験はまた、何かの機会にと思っています。
でも、今回は初めて聞く方も多かったので、
あまり細かいところに突っ込んだお話より、
アトリエでの活動とそれに関わる社会の動きを全体的に見て、
という流れで良かったような気がします。
聞いて下さった方達が少しでも、
ダウン症の人たちの可能性を感じてくれたなら、良かったと思います。
彼らの世界と作品には力があるし、
それにこころ動かされる人は多いということを、
アトリエ・エレマン・プレザンという活動の中から例をだして、
お話ししました。
クリちゃんのだんなさんの、のぶおさんや、
いつもアトリエを応援してくれる、シトミ君も来てくれました。
講演が終わったあと、駅の近くでのぶおさん、シトミ君とお茶をしていると、
「先ほど、お話お聞きしました」という方に会いました。
子供が産まれたばかりの頃、どうしていいか分からず、戸惑っていて、
このブログに行き当たったそうです。
このブログを読んで希望を持てたと仰って下さいました。
そして、講演を聞きにきて下さったそうです。
こういう方と出会えて嬉しかったです。
少しでも誰かのためになれるなら、
少しでも彼らの魅力や可能性を伝え、
それを希望として下さる方がいるなら、
私達のすすめていることには意味があるのだと、思えます。
みなさんのその様な言葉に、私達も励まされます。
また、たくさんの方に出会うことができました。
僕自身のことを考えると、これまで作家たちの支えなることは、
かなり出来て来たと思っている。
でも、保護者の方達や家族の方達に
少しでも希望を持ってもらえる存在であれたかは、本当に心許ない。
保護者の方達のこころの支えは必須だと思っている。
そこに関しては僕では役不足なので、もっと適任者がいるだろう。
今後はそんなことも考えていきたい。
作家たちだけでなく、その家族みんなに幸せになってもらいたい。
微力ながら、制作の場をより充実させていくと共に、
これからさらに輪を広げ、みんなが支え合えるような場を創っていきたい。
2012年5月19日土曜日
伝えること
昨日、よし子と悠太が帰って来た。
次の三重行きまでに話し合っておくべきことは多い。
それにしても、悠太が可愛くて朝も離れがたい。
アトリエに来る時間がギリギリになってしまう。
今度は3週間だったのに、またまた大変化に驚く。
今の時期は早いなあ。猛スピードで成長しているのか。
下の歯が2本ほどはえてきた。
「悠太、おかえり」と言うと、全身で笑って「ウウー」と返してくれる。
様々な状況で難しいところもあるけど、
一緒に過ごす時間をなによりも大切にしたい。
今の関わりは今にしか出来ない。
これは制作の場でも同じだ。
今、この瞬間に関わっていくことが重要だ。
あとで何を思おうと、ほとんど無意味だ。
後悔も反省も、良かったという満足感も、あまり意味がない。
何が出来るのか。何を残してあげられるのか。
結局、相手に残るものとは、愛情だけだと思う。
良い記憶を刻むこと。それが、良い人間に育つ元になる。
教育の専門家達の考えは分からない。
はっきり言って先生と呼ばれる人達、あるいは親でもそうだけど、
本当に子供の幸せを思っているのだろうか。
将来、役に立つと言う、訳の分からない理由で、
デジタルな知識と技術を詰め込む。
人のこころはどんどん壊れていく。
本当のことを言うと、役に立つ、お金が稼げるなんてことは、
人間としてレベルの低いことだ。
そんなことはほうっておいても、必要に応じてやらざるを得ない。
人間としてのもとを創らないで、ゲームを教えてどうなるのか。
コンピューターゲームだけがゲームではない。
今、ITと称して大人達が進めている仕事自体がゲームのようなものだし、
記憶テストのような受験だってゲームみたいだ。
ゲーム脳が生きやすい社会を作っておいて、ゲームを批判している。
学校の先生達も良い人間が増えて来ている。
志の高い方がたくさんいらっしゃる。
昨日は絵画クラスに通う男の子の学校に呼ばれて、お話しして来た。
校長先生がとても良い方で、学校で彼をどう見ていくべきか、
真剣に考え、彼のことを知ろうと努力されている。
こういう場面では僕も真剣に伝えたいと思う。
そうすることが、彼らを取り巻く環境を良くしていくことに繋がる。
前にも書いたが、お医者さん達も真剣に取り組もうとされている方が増えている。
専門家たちが変わり始めている。
保護者の方達も意識を変えていって良い時期だ。
他人事として言っている訳ではない。
僕自身が悠太の父親として思うことだ。
子供達にどんな風になって欲しいだろうか。
役に立つからやっておこうというのは、実はずるい考えだ。
少なくとも、自分の役に立つのではなく、人の役に立つを考えるべきだ。
役にたつという言葉で、損得勘定を植付けている。
役にたつかたたないかで教育を考えてはいけない。
正しいか、正しくないか、本当か嘘か。
本物かにせまのか。それが基準であるべきはずだ。
しかも、だいたい大人が役立つと考えたことが、
将来なんの役にもたたなかったりする。
そもそも、世間が良しとする教育の通りにすべてを進めて、
良い人間が育っていくなら、世の中とっくに良い人であふれかえっているはずだ。
事実はむしろ逆だろう。
子供の事を考える前に、自分の人生観を問い直してみる必要がある。
ではどうすべきか。
今というこの時に、愛情を傾け、一緒に吸収していくこと。
親と子でも、家族でも、先生でも友達でも、
最小単位での良い関係が築かれている人は、全ての基本に信頼が生まれる。
それが人間のもとだ。
もとさえ創ればそれでいい。でももとを創るのが一番難しい。
僕は悠太がどんなことをしても、何を選択してもいいと思っている。
彼の人生は彼が創る。
ただ、幸せを感じて欲しい。生まれて来て良かったと思える人生をおくって欲しい。
苦労して欲しくないとも思わない。
苦労した方がいいだろう。その苦労が自分のためにするものでなく、
他人の為や何か大きなものの為にする苦労であって欲しい。
どんな風にどんなリズムで育ってもかまわない。
大切なのは本当の経験をかさねること。それだけだろう。
まあただ、悠太が女性に対しては凄く愛嬌をふりまくので、
父親に似てしまうかと心配な時もある。
男女関係は失敗もするだろうけど、あんまり激しい生き方はしないでくれ、
とやっぱり思うかも。
昨日も校長先生や先生方とお話ししたが、
彼らのことを知ろうとして下さる方が増えて来ている。
伝えることが大切だ。
私達は1人では何も出来ない。
僕が一生かけても、関われる人の数は限られている。
だから、自分の無力さを自覚して、たくさんの人に伝えて、
みんなで協力することだ。
昨日もゆりあからのメールがなければ、うっかり忘れるところだった。
朝、ゆりあから「佐久間さん、今日学校だよ」と連絡が来た。
僕が忘れていることを察知したようだ。
こういう何気ないことに、人は力づけられる。
アトリエでの僕の動きをちゃんと見ていないと、分からないことだ。
前後にどんな仕事があったか、どんな調子か、良く見ているから、
あっ今日忘れてそうだなとなる訳だ。
そうすると、僕は守られてる、助けられている、と感じる。
制作の場で必要なのはそういう観察力と注意力だ。
何気ないふるまいで、作家たちがこの人、自分のことを見ている、
注意を払っていると感じ、安心して制作できる。
次の三重行きまでに話し合っておくべきことは多い。
それにしても、悠太が可愛くて朝も離れがたい。
アトリエに来る時間がギリギリになってしまう。
今度は3週間だったのに、またまた大変化に驚く。
今の時期は早いなあ。猛スピードで成長しているのか。
下の歯が2本ほどはえてきた。
「悠太、おかえり」と言うと、全身で笑って「ウウー」と返してくれる。
様々な状況で難しいところもあるけど、
一緒に過ごす時間をなによりも大切にしたい。
今の関わりは今にしか出来ない。
これは制作の場でも同じだ。
今、この瞬間に関わっていくことが重要だ。
あとで何を思おうと、ほとんど無意味だ。
後悔も反省も、良かったという満足感も、あまり意味がない。
何が出来るのか。何を残してあげられるのか。
結局、相手に残るものとは、愛情だけだと思う。
良い記憶を刻むこと。それが、良い人間に育つ元になる。
教育の専門家達の考えは分からない。
はっきり言って先生と呼ばれる人達、あるいは親でもそうだけど、
本当に子供の幸せを思っているのだろうか。
将来、役に立つと言う、訳の分からない理由で、
デジタルな知識と技術を詰め込む。
人のこころはどんどん壊れていく。
本当のことを言うと、役に立つ、お金が稼げるなんてことは、
人間としてレベルの低いことだ。
そんなことはほうっておいても、必要に応じてやらざるを得ない。
人間としてのもとを創らないで、ゲームを教えてどうなるのか。
コンピューターゲームだけがゲームではない。
今、ITと称して大人達が進めている仕事自体がゲームのようなものだし、
記憶テストのような受験だってゲームみたいだ。
ゲーム脳が生きやすい社会を作っておいて、ゲームを批判している。
学校の先生達も良い人間が増えて来ている。
志の高い方がたくさんいらっしゃる。
昨日は絵画クラスに通う男の子の学校に呼ばれて、お話しして来た。
校長先生がとても良い方で、学校で彼をどう見ていくべきか、
真剣に考え、彼のことを知ろうと努力されている。
こういう場面では僕も真剣に伝えたいと思う。
そうすることが、彼らを取り巻く環境を良くしていくことに繋がる。
前にも書いたが、お医者さん達も真剣に取り組もうとされている方が増えている。
専門家たちが変わり始めている。
保護者の方達も意識を変えていって良い時期だ。
他人事として言っている訳ではない。
僕自身が悠太の父親として思うことだ。
子供達にどんな風になって欲しいだろうか。
役に立つからやっておこうというのは、実はずるい考えだ。
少なくとも、自分の役に立つのではなく、人の役に立つを考えるべきだ。
役にたつという言葉で、損得勘定を植付けている。
役にたつかたたないかで教育を考えてはいけない。
正しいか、正しくないか、本当か嘘か。
本物かにせまのか。それが基準であるべきはずだ。
しかも、だいたい大人が役立つと考えたことが、
将来なんの役にもたたなかったりする。
そもそも、世間が良しとする教育の通りにすべてを進めて、
良い人間が育っていくなら、世の中とっくに良い人であふれかえっているはずだ。
事実はむしろ逆だろう。
子供の事を考える前に、自分の人生観を問い直してみる必要がある。
ではどうすべきか。
今というこの時に、愛情を傾け、一緒に吸収していくこと。
親と子でも、家族でも、先生でも友達でも、
最小単位での良い関係が築かれている人は、全ての基本に信頼が生まれる。
それが人間のもとだ。
もとさえ創ればそれでいい。でももとを創るのが一番難しい。
僕は悠太がどんなことをしても、何を選択してもいいと思っている。
彼の人生は彼が創る。
ただ、幸せを感じて欲しい。生まれて来て良かったと思える人生をおくって欲しい。
苦労して欲しくないとも思わない。
苦労した方がいいだろう。その苦労が自分のためにするものでなく、
他人の為や何か大きなものの為にする苦労であって欲しい。
どんな風にどんなリズムで育ってもかまわない。
大切なのは本当の経験をかさねること。それだけだろう。
まあただ、悠太が女性に対しては凄く愛嬌をふりまくので、
父親に似てしまうかと心配な時もある。
男女関係は失敗もするだろうけど、あんまり激しい生き方はしないでくれ、
とやっぱり思うかも。
昨日も校長先生や先生方とお話ししたが、
彼らのことを知ろうとして下さる方が増えて来ている。
伝えることが大切だ。
私達は1人では何も出来ない。
僕が一生かけても、関われる人の数は限られている。
だから、自分の無力さを自覚して、たくさんの人に伝えて、
みんなで協力することだ。
昨日もゆりあからのメールがなければ、うっかり忘れるところだった。
朝、ゆりあから「佐久間さん、今日学校だよ」と連絡が来た。
僕が忘れていることを察知したようだ。
こういう何気ないことに、人は力づけられる。
アトリエでの僕の動きをちゃんと見ていないと、分からないことだ。
前後にどんな仕事があったか、どんな調子か、良く見ているから、
あっ今日忘れてそうだなとなる訳だ。
そうすると、僕は守られてる、助けられている、と感じる。
制作の場で必要なのはそういう観察力と注意力だ。
何気ないふるまいで、作家たちがこの人、自分のことを見ている、
注意を払っていると感じ、安心して制作できる。
2012年5月16日水曜日
ジグソーパズル
今日は纏まりのない話題になってしまうかも。ごめんなさい。
今は様々なことを同時に進めて行かなければならない。
とにかく、精一杯やるだけ。
一昨日の夜中に悠太のアヒルの玩具が鳴き出した。
お腹の部分を押すとガーガーガーと鳴くのだけど、
それが勝手になるようになってしまって、何度もおこされる。
何となく悠太が呼んでいるのかと、心配になってしまった。
翌日、様子を聞くと何ともなかったので良かった。
それだけの話なんだけど、離れているとこんな些細なことで心配になったりする。
それが親と言うものなのか。
結局、アヒルの玩具は次の日も鳴止まず、仕事場の箱の中に入れた。
声は聞こえなくなったが、少し可哀想な気がして今日は持って帰るかも。
「プロフェッショナル」という番組だけはよく見る。
面白いし、自分も頑張ろうという気になれるから。
「情熱大陸」も良い時はあるのだけど、最近はぜんぜんだ。
この前、見たのは外科手術のお医者さんだった。
本当に頭の下がるお仕事をされている。
病院で仮眠をとって、自宅には日曜日しか帰らない。
ひたすら手術のことだけ考えている。立派な方だった。
改めて、外科とは職人技なのだと思った。
手技と一つ一つの作業を丁寧に続けることでしか、人を助けることは出来ない。
しかも彼らの場合、文字道理命がかかっている。
緊張感の連続は私達には想像もつかないものだろう。
世の中には偉大な人がいるもので、
そういう人を見ると、人間にはもっともっと可能性があるのだなと感じる。
最近、パズルに興味がある。
いったい誰が考えたのだろう。
もともとはあまり好きではなかった。
以前、科学とスポーツは一面的すぎると書いた。
それと同じ印象がパズルにはある。
もっと複雑で立体感が欲しいと。世界はそんなに単純な平面的なものじゃないはず、
と感じていたのだけど、
最近、いやこの世界も人生もパズルのようなものじゃないかと感じだした。
きっかけはやはり、アトリエの作家たちだ。
みんなの話を聞いていると、色んなパーツがランダムに出て来て、
どこかで、あっピッタリ重なったということが多い。
ハルコはいつも幾つかの要素、出来事、名前や、行った場所、
を思いつくままに話す。しばらくくり返していて、
あっそうだ、あれとあれ一緒だということを見つけた時、
とても気持ちよくなるみたいだ。
そうやって物事を理解している。
色別に分けたり、言葉の響きの似通ったものを合わせてみたりして、
最後はみんなぴったり重なる。
ハルコだけではなく、アキにしても、ゆうすけ君にしてもそうだ。
出来事はデコボコした色んな形のものとして現れるけど、
どこかでピッタリ一つの絵のようになる、
その瞬間に世界が感じとれ、満足感がわく。
そうやって自分の周りでおきていることも、見ていくと面白い。
共感の不思議さを前にも書いた。
深い共感にいると、その人の見たものが自分の見たものになる。
ジグソーパズルが楽しいという感覚も実は、てる君から来たものだ。
てる君は実際にパズルが大好きで、
「パズルをしていたよ」という言葉が多い。
それを聞いているうちに、自分の中にパズルが入って来た。
ところで、グレングールドというピアニストがいるが、
彼の演奏もまさしくパズルだ。
正確にパーツを置いていく感じで、音と音が彼の信じる場所に、
置かれて行くと一枚の絵のようにピッタリとはまる。
機械的なまでの弾き方は、そのためにあるのだろう。
個性的にみえて、実は個性を否定している。
聞いていて違和感を感じる人が多いのは、彼が感情を否定するからだ。
多分、彼はパズルのようにパーツをはめていく気持ち良さを追求したのだろう。
ジグソーパズルが気持ちいいという感覚は、
何か人間に共通の知覚に関わるのかもしれない。
「プロフェッショナル」に出ていた外科医も、
「ただ、使命をはたしていくだけ」と言っていたが、
人には使命というものが本当にある。
それもパズルのようにピッタリ収まる場所として。
たくさんのことがおきたし、たくさんの人に出会った。
たくさんのものを見て来た。見せてもらった。
一つ一つがおきるべくしておきたのだなと、今は思う。
今は様々なことを同時に進めて行かなければならない。
とにかく、精一杯やるだけ。
一昨日の夜中に悠太のアヒルの玩具が鳴き出した。
お腹の部分を押すとガーガーガーと鳴くのだけど、
それが勝手になるようになってしまって、何度もおこされる。
何となく悠太が呼んでいるのかと、心配になってしまった。
翌日、様子を聞くと何ともなかったので良かった。
それだけの話なんだけど、離れているとこんな些細なことで心配になったりする。
それが親と言うものなのか。
結局、アヒルの玩具は次の日も鳴止まず、仕事場の箱の中に入れた。
声は聞こえなくなったが、少し可哀想な気がして今日は持って帰るかも。
「プロフェッショナル」という番組だけはよく見る。
面白いし、自分も頑張ろうという気になれるから。
「情熱大陸」も良い時はあるのだけど、最近はぜんぜんだ。
この前、見たのは外科手術のお医者さんだった。
本当に頭の下がるお仕事をされている。
病院で仮眠をとって、自宅には日曜日しか帰らない。
ひたすら手術のことだけ考えている。立派な方だった。
改めて、外科とは職人技なのだと思った。
手技と一つ一つの作業を丁寧に続けることでしか、人を助けることは出来ない。
しかも彼らの場合、文字道理命がかかっている。
緊張感の連続は私達には想像もつかないものだろう。
世の中には偉大な人がいるもので、
そういう人を見ると、人間にはもっともっと可能性があるのだなと感じる。
最近、パズルに興味がある。
いったい誰が考えたのだろう。
もともとはあまり好きではなかった。
以前、科学とスポーツは一面的すぎると書いた。
それと同じ印象がパズルにはある。
もっと複雑で立体感が欲しいと。世界はそんなに単純な平面的なものじゃないはず、
と感じていたのだけど、
最近、いやこの世界も人生もパズルのようなものじゃないかと感じだした。
きっかけはやはり、アトリエの作家たちだ。
みんなの話を聞いていると、色んなパーツがランダムに出て来て、
どこかで、あっピッタリ重なったということが多い。
ハルコはいつも幾つかの要素、出来事、名前や、行った場所、
を思いつくままに話す。しばらくくり返していて、
あっそうだ、あれとあれ一緒だということを見つけた時、
とても気持ちよくなるみたいだ。
そうやって物事を理解している。
色別に分けたり、言葉の響きの似通ったものを合わせてみたりして、
最後はみんなぴったり重なる。
ハルコだけではなく、アキにしても、ゆうすけ君にしてもそうだ。
出来事はデコボコした色んな形のものとして現れるけど、
どこかでピッタリ一つの絵のようになる、
その瞬間に世界が感じとれ、満足感がわく。
そうやって自分の周りでおきていることも、見ていくと面白い。
共感の不思議さを前にも書いた。
深い共感にいると、その人の見たものが自分の見たものになる。
ジグソーパズルが楽しいという感覚も実は、てる君から来たものだ。
てる君は実際にパズルが大好きで、
「パズルをしていたよ」という言葉が多い。
それを聞いているうちに、自分の中にパズルが入って来た。
ところで、グレングールドというピアニストがいるが、
彼の演奏もまさしくパズルだ。
正確にパーツを置いていく感じで、音と音が彼の信じる場所に、
置かれて行くと一枚の絵のようにピッタリとはまる。
機械的なまでの弾き方は、そのためにあるのだろう。
個性的にみえて、実は個性を否定している。
聞いていて違和感を感じる人が多いのは、彼が感情を否定するからだ。
多分、彼はパズルのようにパーツをはめていく気持ち良さを追求したのだろう。
ジグソーパズルが気持ちいいという感覚は、
何か人間に共通の知覚に関わるのかもしれない。
「プロフェッショナル」に出ていた外科医も、
「ただ、使命をはたしていくだけ」と言っていたが、
人には使命というものが本当にある。
それもパズルのようにピッタリ収まる場所として。
たくさんのことがおきたし、たくさんの人に出会った。
たくさんのものを見て来た。見せてもらった。
一つ一つがおきるべくしておきたのだなと、今は思う。
2012年5月14日月曜日
彼らが教えてくれたこと
絵のクラスもプレも、充実している。作家たちも元気な方だ。
暖かくなってきたし、気持ちの動き方が違ってくる。
今週、よし子と悠太が帰ってくる。
悠太とお散歩したいなあ。
さて、少し前にもお知らせしましたが、佐久間の講演、いよいよ次の日曜日です。
20日14時30分から、世田谷区総合福祉センターでおこないます。
ふたばの会の総会だそうです。
午前はアトリエをしてから、午後のクラスはゆりあとよし子に任せて、
うかがいます。
ご連絡によると、ふたばの会会員以外に数名ですが、
このブログを読んで下さっている方がご参加されるそうです。
一般の方の参加も可能だそうです。
お時間のある方は是非いらして下さい。
詳細はふたばの会HPをご覧下さい。
ブログで書かないことを、なるべくお話します。
テーマは「彼らが教えてくれたこと」です。
彼らとはダウン症の人たちです。もちろん彼女らも含みます。
この様な深い部分に関わる話題では、
少し自分自身の体験を話す必要があります。
はじめての方も多いと思いますので、
アトリエの活動を紹介するのに半分は時間を使うと思いますが。
一番大切なのは、自分自身にとって彼らの意味するものはいったい何なのか、
と言うことです。
それが見えた時にはじめて、みんなにとっての彼らの意味が分かります。
普遍的なことをみつけるには、個人的な体験を深める必要があります。
彼らが教えてくれたこと、彼らが教えてくれていることを、
みんなで共有したい。みんなで分かち合いたい。
みんなで、彼らの声を聞き取り、みんなで関わって行きたい。
みんなにとって生きやすい社会。
本当の平和。
そこへ行く為に、私達は彼らの示しているものを、
自らの体験を通じて正確に読み解いて行く必要がある。
アトリエ・エレマン・プレザンの実践や僕自身の経験して来たことは、
その一つの例といえる。
ここから何か普遍的なものが見えて来て、
それがどんな人にとっても良いものになりますように。
暖かくなってきたし、気持ちの動き方が違ってくる。
今週、よし子と悠太が帰ってくる。
悠太とお散歩したいなあ。
さて、少し前にもお知らせしましたが、佐久間の講演、いよいよ次の日曜日です。
20日14時30分から、世田谷区総合福祉センターでおこないます。
ふたばの会の総会だそうです。
午前はアトリエをしてから、午後のクラスはゆりあとよし子に任せて、
うかがいます。
ご連絡によると、ふたばの会会員以外に数名ですが、
このブログを読んで下さっている方がご参加されるそうです。
一般の方の参加も可能だそうです。
お時間のある方は是非いらして下さい。
詳細はふたばの会HPをご覧下さい。
ブログで書かないことを、なるべくお話します。
テーマは「彼らが教えてくれたこと」です。
彼らとはダウン症の人たちです。もちろん彼女らも含みます。
この様な深い部分に関わる話題では、
少し自分自身の体験を話す必要があります。
はじめての方も多いと思いますので、
アトリエの活動を紹介するのに半分は時間を使うと思いますが。
一番大切なのは、自分自身にとって彼らの意味するものはいったい何なのか、
と言うことです。
それが見えた時にはじめて、みんなにとっての彼らの意味が分かります。
普遍的なことをみつけるには、個人的な体験を深める必要があります。
彼らが教えてくれたこと、彼らが教えてくれていることを、
みんなで共有したい。みんなで分かち合いたい。
みんなで、彼らの声を聞き取り、みんなで関わって行きたい。
みんなにとって生きやすい社会。
本当の平和。
そこへ行く為に、私達は彼らの示しているものを、
自らの体験を通じて正確に読み解いて行く必要がある。
アトリエ・エレマン・プレザンの実践や僕自身の経験して来たことは、
その一つの例といえる。
ここから何か普遍的なものが見えて来て、
それがどんな人にとっても良いものになりますように。
2012年5月13日日曜日
佐藤よし子という人
昨日、東京も教室日だったが、よし子も三重でアトリエをしていたそうだ。
肇さんと敬子さんが少し体調をくずしているみたいだ。
来客続きで疲れも出たのか、熱をだしているという。
それで、よし子が三重のアトリエをみた。
悠太を背負いながらやっていたという。
大変だっただろうが、良い教室だったに違いない。
今の彼女にしか出来ない「場」というものがあると思う。
彼女の人間としての変化が場にあらわれる。
制作の場とは人生と切り離せないものだ。
しばらく、今後の取り組みについて書いて来たが、
今日はまた、内面的な話をしてみたい。
なぜ、よし子の三重での教室が良い形になったと言いきれるのか。
ずっと、彼女を見て来たから、子供を産み、もう一つの段階に入って、
それが深みを創らないはずはないと思う。
そういう人生のステップを、全身で自分のものにして、
誰かに分け与えようとしてきた場面を何度も見ているからだ。
普段はこんな話は滅多にしないので、
今日は佐藤よし子という人のことを書く。
僕にとってパートナーとしての彼女のことではなく、
あくまで制作の場における佐藤よし子という人のことを。
日常生活での彼女は普通の女性だ。
寂しがりやで、ちょっと子供っぽくて、家と料理が好きで、
家族のことや人のことを考えすぎる。
あまり変化が好きではなく、落着いた静かな時間を好む。
刺激や娯楽をほとんど求めない。
そういう感じの普通の女性と言える。
仕事での彼女はかなりストイックなところがある。
かなり厳しい。妥協しない。
真面目すぎる部分もある。
僕が最もこの人は貴重な存在だなと感じるのは、制作の場においての彼女。
場を創り、守る存在としての彼女。
そして、一人一人とのこころの共有の深さ。
ここが他の誰にも真似の出来ない、彼女ならではの能力と言える。
はじめて彼女と出会ったのは、もう16、7年も前のこと。
彼女はまだ17、8才だったはずだ。
当時、僕は共働学舎というところで、様々な障害を持つ人達と暮らしていた。
一年に40名もの研修生がやってきた。
将来、保育士や福祉士になる人達が研修に来て、一緒に寝泊まりしながら、
学んで行く。特に保育士になる子たちは2週間の間、ずっと一緒に暮らす事になる。
たくさんの人達がその場に入って、障害を持った人達のこと、
一緒に生活しながらどう関わるかを学ぶ。
僕は障害を持つメンバー達のことを知り尽くしていたから、
研修生、実習生の人達の見方や接し方に違和感を感じていた。
最初のうちは、ただそれって違うよという態度だったけど、
関わりも長くなってくると責任感も出て来て、
じゃあこの人達に伝えれば、
外での環境ももっと良くなるはずだと考えるようになった。
(今、思うと彼ら彼女らより僕の方が年下だったのだけど)
2週間あれば、だいたい最後の3日くらいで凄く良くなる人が多かった。
でも、伝えることは難しいことでもある。
例えば障害を持っている人達に、身体的な介助をしてあげたり、
何かを教えてあげることは、少し勉強すれば誰にでも出来る。
でも、彼らの世界に入って行って、一つになって行くことは、
なかなか難しい。
実は僕自身はそんなに難しさを感じたことはなかったのだけど、
多くの人達を見ていて、それを感じるようになった。
理想的な関係を創れる人は100人に1人、居るかいないかだった。
しかも、時間も結構かかる。
研修生や実習生が帰って、来客もいない時期に、農業の学校からの、
専攻実習というはじめての形で、佐藤よし子という人がやって来た。
僕はまた、2週間くらいしたらちょっと変わるかなという感じで、
まだ会ったことも無い人のことを考えていた。
ご飯を食べにみんなの集まる部屋に入ったとき、
はじめて彼女を見て、えっなんだ、と思った。
もう既にメンバー達のこころの深くに入って、景色に溶け込んだ彼女がいた。
それが出来るというのが、
普通の人が想像するより遥かに難しいということを知っていた。
その頃から彼女の現場での力は変わらない。
普通の人が想像するより難しいと書いたが、
制作の場での意識の使い方にしてもそうだ。
これは見ていて分からないことだとおもうが、
想像以上に体力と気力を要する。
はじめてやってみるとヘトヘトになる。
一度、場に入ってしまえば、一瞬たりとも気をそらすことは出来ない。
よし子の場合はこういうことをする為に生まれて来たのでは、
と感じるような存在だ。
多分、僕とはまたぜんぜん違う部分がある。
そこに対してはいつも尊敬する気持ちがある。
彼女はかなり個性的な場を創る。
僕はどちらかと言うと、もっと相手に合わせた感じだ。
(勿論、彼女が相手に合わせない訳ではない)
だから、僕みたいな在り方には、今のゆりあの方が近いかもしれない。
ゆりあがきっちり継承していってくれるな、と感じている。
よし子のような存在は他にはいないし、誰も真似出来ないだろう。
それは本当に貴重なことだ。
だから、子供を産んでさらに深まった彼女の現場が見てみたい。
肇さんと敬子さんが少し体調をくずしているみたいだ。
来客続きで疲れも出たのか、熱をだしているという。
それで、よし子が三重のアトリエをみた。
悠太を背負いながらやっていたという。
大変だっただろうが、良い教室だったに違いない。
今の彼女にしか出来ない「場」というものがあると思う。
彼女の人間としての変化が場にあらわれる。
制作の場とは人生と切り離せないものだ。
しばらく、今後の取り組みについて書いて来たが、
今日はまた、内面的な話をしてみたい。
なぜ、よし子の三重での教室が良い形になったと言いきれるのか。
ずっと、彼女を見て来たから、子供を産み、もう一つの段階に入って、
それが深みを創らないはずはないと思う。
そういう人生のステップを、全身で自分のものにして、
誰かに分け与えようとしてきた場面を何度も見ているからだ。
普段はこんな話は滅多にしないので、
今日は佐藤よし子という人のことを書く。
僕にとってパートナーとしての彼女のことではなく、
あくまで制作の場における佐藤よし子という人のことを。
日常生活での彼女は普通の女性だ。
寂しがりやで、ちょっと子供っぽくて、家と料理が好きで、
家族のことや人のことを考えすぎる。
あまり変化が好きではなく、落着いた静かな時間を好む。
刺激や娯楽をほとんど求めない。
そういう感じの普通の女性と言える。
仕事での彼女はかなりストイックなところがある。
かなり厳しい。妥協しない。
真面目すぎる部分もある。
僕が最もこの人は貴重な存在だなと感じるのは、制作の場においての彼女。
場を創り、守る存在としての彼女。
そして、一人一人とのこころの共有の深さ。
ここが他の誰にも真似の出来ない、彼女ならではの能力と言える。
はじめて彼女と出会ったのは、もう16、7年も前のこと。
彼女はまだ17、8才だったはずだ。
当時、僕は共働学舎というところで、様々な障害を持つ人達と暮らしていた。
一年に40名もの研修生がやってきた。
将来、保育士や福祉士になる人達が研修に来て、一緒に寝泊まりしながら、
学んで行く。特に保育士になる子たちは2週間の間、ずっと一緒に暮らす事になる。
たくさんの人達がその場に入って、障害を持った人達のこと、
一緒に生活しながらどう関わるかを学ぶ。
僕は障害を持つメンバー達のことを知り尽くしていたから、
研修生、実習生の人達の見方や接し方に違和感を感じていた。
最初のうちは、ただそれって違うよという態度だったけど、
関わりも長くなってくると責任感も出て来て、
じゃあこの人達に伝えれば、
外での環境ももっと良くなるはずだと考えるようになった。
(今、思うと彼ら彼女らより僕の方が年下だったのだけど)
2週間あれば、だいたい最後の3日くらいで凄く良くなる人が多かった。
でも、伝えることは難しいことでもある。
例えば障害を持っている人達に、身体的な介助をしてあげたり、
何かを教えてあげることは、少し勉強すれば誰にでも出来る。
でも、彼らの世界に入って行って、一つになって行くことは、
なかなか難しい。
実は僕自身はそんなに難しさを感じたことはなかったのだけど、
多くの人達を見ていて、それを感じるようになった。
理想的な関係を創れる人は100人に1人、居るかいないかだった。
しかも、時間も結構かかる。
研修生や実習生が帰って、来客もいない時期に、農業の学校からの、
専攻実習というはじめての形で、佐藤よし子という人がやって来た。
僕はまた、2週間くらいしたらちょっと変わるかなという感じで、
まだ会ったことも無い人のことを考えていた。
ご飯を食べにみんなの集まる部屋に入ったとき、
はじめて彼女を見て、えっなんだ、と思った。
もう既にメンバー達のこころの深くに入って、景色に溶け込んだ彼女がいた。
それが出来るというのが、
普通の人が想像するより遥かに難しいということを知っていた。
その頃から彼女の現場での力は変わらない。
普通の人が想像するより難しいと書いたが、
制作の場での意識の使い方にしてもそうだ。
これは見ていて分からないことだとおもうが、
想像以上に体力と気力を要する。
はじめてやってみるとヘトヘトになる。
一度、場に入ってしまえば、一瞬たりとも気をそらすことは出来ない。
よし子の場合はこういうことをする為に生まれて来たのでは、
と感じるような存在だ。
多分、僕とはまたぜんぜん違う部分がある。
そこに対してはいつも尊敬する気持ちがある。
彼女はかなり個性的な場を創る。
僕はどちらかと言うと、もっと相手に合わせた感じだ。
(勿論、彼女が相手に合わせない訳ではない)
だから、僕みたいな在り方には、今のゆりあの方が近いかもしれない。
ゆりあがきっちり継承していってくれるな、と感じている。
よし子のような存在は他にはいないし、誰も真似出来ないだろう。
それは本当に貴重なことだ。
だから、子供を産んでさらに深まった彼女の現場が見てみたい。
2012年5月12日土曜日
そこにしかないもの
もう数日でよし子と悠太が帰ってくる。
もうすぐハイハイしそうな気配。楽しみ。
悠太といると本当に時間がすぐに経ってしまう。
仕事もしなければ。
前回まで、三重での新しい環境づくりについて書いて来た。
誤解のないように書くが、東京のアトリエはよっぽどのことがない限り継続する。
むしろ、連携をとって、より充実したものになって行くだろう。
前回も書いたが、グループホーム、作業所、法人を持った支援団体、
製品を販売して行く会社、各アトリエ(制作の場はこれまで通りプライベートがいいだろう。理由は知りたい人がいたらご説明します)、それぞれに責任者が必要だ。
これからは人材も多く必要になってくる。
東京アトリエの活動は今、必要とされていることを実感している。
ただ、保護者の方達や関わる方達も、
もしものことだけは考えた方が良いと思う。
もし、東京が駄目になったら、どうやって生きていくか、守って行くか。
東京が駄目になる、その可能性は充分にある。
現在、予想されている大地震の一つでも来たらどうなるか。
経済の崩壊もあるだろう。
富士山の噴火というのだって、可能性がある。
でも、最も恐ろしいのはやはり放射能だろう。
この問題は全く解決していないにもかかわらず、無かったことにされたままだ。
こころある人達はどうか、安全について真剣に考えていただきたい。
自分のためではない。家族や次の世代を考える時だ。
いざという時の為にも、次を考えた環境づくりに取り組まなければならない。
アトリエではダウン症の人達の感性を、調和的と考えて来た。
このことが意味することは何か。
彼らの作品やその世界は、人と人を繋ぐ力がある。
その世界を見た人達は関わらずにはいられない。
前回も書いたが、だからこそここには人が集まってくる。
イベントのお誘いを受ける。作品を展示する。
それぞれの環境が、彼らの作品の力で、より良くなり、
人のこころが動く。感じた人が次のプロジェクトを考える。
そうやって今まで様々な事に挑んできた。
どの活動を通しても、彼ら作品はその環境と調和した。
私達はただ、彼らの内側の声に耳を傾けて、聴き取ろうとするだけだ。
作品の中に何かを見出した人達が集まる。
そして、何かをする。その輪が広がって行く。
そうやって少しづつだけど、環境が良くなって行く。
これがこれまで実際におきていることだ。
誰かが何かをしてくれるのを待っていても駄目だ。
積極的に自分達で環境を変えて行く。
10代の頃、僕の周りにはヒッピーのような人達がたくさんいた。
その人達は、
インドやタイを行き来していたり、スペインで物売りをしていたりしていた。
彼らと良く話した。彼らの甘さを好きになれなかった。
でも、僕だって日本を放浪していたのかもしれない。
みんな、何かを求めて彷徨っていた。
彼らは結局、求めていたものに辿り着けたのだろうか。
求めている場所はあったのだろうか。
真剣に仕事に取り組みだしてからは、放浪は出来なくなった。
それで、良く旅行に行くようになった。
日本の自然は奥深く素晴らしかった。
美しいものはたくさんある。
でも、行った場所でガッカリさせられることの方が多かった。
これはみんなそうだと思う。
なぜ、こんなにいい場所にこんなお店があるの?とか、
そこにある必然性がないものがあふれている。
そのうち、どこへ行っても同じという国になってしまった。
地域の人達というのは、自分達の土地の良さを理解していないケースが多い。
人は何を求めてそこまでやってくるのか。
みんな自分達の生きている場所に無いものを求めてくる。
そこにしか無いもの。そこにしかない安らぎ。
これからの観光も変わって行くだろう。
それには、そこにある良さを自分達が自覚する必要がある。
何故、観光のことを書いたか。
人が集まる場を考えたいからだ。
僕は時々、福祉の世界や学会や何かの業界のようなものに、
批判的なことを書くが、それはこの観光と同じだ。
どのように伝えるか。何を伝えるかというところの視点がズレているから、
知らない人が興味を示さない。
どんな世界でも、人が興味を示さないと言うことは、何か問題がある。
伝えること、見せることには、絶えずどのようにという意識が必要。
どのように、どこを伝え見せるのかを知るには、
そこにある自分達の良さを客観視出来なければならない。
ものを売る商売も同じだろう。
ダウンズタウンはそういった良さを発信出来る場でありたい。
これまでの活動がたくさんの人達に響いて来たのも、
作家たちに魅力があるからだし、アトリエの場に良いものがあるからだ。
そして、見に来てくれた人や、触れてくれた人に、
そこにしかないものを体験してもらって来た。
そこにしかない、かけがえの無いもの。
どこにでもあるものを、もっと増やして行ってなんの意味があるのか。
私達はそこにしかない場所を創ろうとしている。
そこにしかないもの、一言でいえば、世界で一番平和な場所ができたら、
どんなに素晴らしいことだろう。
もうすぐハイハイしそうな気配。楽しみ。
悠太といると本当に時間がすぐに経ってしまう。
仕事もしなければ。
前回まで、三重での新しい環境づくりについて書いて来た。
誤解のないように書くが、東京のアトリエはよっぽどのことがない限り継続する。
むしろ、連携をとって、より充実したものになって行くだろう。
前回も書いたが、グループホーム、作業所、法人を持った支援団体、
製品を販売して行く会社、各アトリエ(制作の場はこれまで通りプライベートがいいだろう。理由は知りたい人がいたらご説明します)、それぞれに責任者が必要だ。
これからは人材も多く必要になってくる。
東京アトリエの活動は今、必要とされていることを実感している。
ただ、保護者の方達や関わる方達も、
もしものことだけは考えた方が良いと思う。
もし、東京が駄目になったら、どうやって生きていくか、守って行くか。
東京が駄目になる、その可能性は充分にある。
現在、予想されている大地震の一つでも来たらどうなるか。
経済の崩壊もあるだろう。
富士山の噴火というのだって、可能性がある。
でも、最も恐ろしいのはやはり放射能だろう。
この問題は全く解決していないにもかかわらず、無かったことにされたままだ。
こころある人達はどうか、安全について真剣に考えていただきたい。
自分のためではない。家族や次の世代を考える時だ。
いざという時の為にも、次を考えた環境づくりに取り組まなければならない。
アトリエではダウン症の人達の感性を、調和的と考えて来た。
このことが意味することは何か。
彼らの作品やその世界は、人と人を繋ぐ力がある。
その世界を見た人達は関わらずにはいられない。
前回も書いたが、だからこそここには人が集まってくる。
イベントのお誘いを受ける。作品を展示する。
それぞれの環境が、彼らの作品の力で、より良くなり、
人のこころが動く。感じた人が次のプロジェクトを考える。
そうやって今まで様々な事に挑んできた。
どの活動を通しても、彼ら作品はその環境と調和した。
私達はただ、彼らの内側の声に耳を傾けて、聴き取ろうとするだけだ。
作品の中に何かを見出した人達が集まる。
そして、何かをする。その輪が広がって行く。
そうやって少しづつだけど、環境が良くなって行く。
これがこれまで実際におきていることだ。
誰かが何かをしてくれるのを待っていても駄目だ。
積極的に自分達で環境を変えて行く。
10代の頃、僕の周りにはヒッピーのような人達がたくさんいた。
その人達は、
インドやタイを行き来していたり、スペインで物売りをしていたりしていた。
彼らと良く話した。彼らの甘さを好きになれなかった。
でも、僕だって日本を放浪していたのかもしれない。
みんな、何かを求めて彷徨っていた。
彼らは結局、求めていたものに辿り着けたのだろうか。
求めている場所はあったのだろうか。
真剣に仕事に取り組みだしてからは、放浪は出来なくなった。
それで、良く旅行に行くようになった。
日本の自然は奥深く素晴らしかった。
美しいものはたくさんある。
でも、行った場所でガッカリさせられることの方が多かった。
これはみんなそうだと思う。
なぜ、こんなにいい場所にこんなお店があるの?とか、
そこにある必然性がないものがあふれている。
そのうち、どこへ行っても同じという国になってしまった。
地域の人達というのは、自分達の土地の良さを理解していないケースが多い。
人は何を求めてそこまでやってくるのか。
みんな自分達の生きている場所に無いものを求めてくる。
そこにしか無いもの。そこにしかない安らぎ。
これからの観光も変わって行くだろう。
それには、そこにある良さを自分達が自覚する必要がある。
何故、観光のことを書いたか。
人が集まる場を考えたいからだ。
僕は時々、福祉の世界や学会や何かの業界のようなものに、
批判的なことを書くが、それはこの観光と同じだ。
どのように伝えるか。何を伝えるかというところの視点がズレているから、
知らない人が興味を示さない。
どんな世界でも、人が興味を示さないと言うことは、何か問題がある。
伝えること、見せることには、絶えずどのようにという意識が必要。
どのように、どこを伝え見せるのかを知るには、
そこにある自分達の良さを客観視出来なければならない。
ものを売る商売も同じだろう。
ダウンズタウンはそういった良さを発信出来る場でありたい。
これまでの活動がたくさんの人達に響いて来たのも、
作家たちに魅力があるからだし、アトリエの場に良いものがあるからだ。
そして、見に来てくれた人や、触れてくれた人に、
そこにしかないものを体験してもらって来た。
そこにしかない、かけがえの無いもの。
どこにでもあるものを、もっと増やして行ってなんの意味があるのか。
私達はそこにしかない場所を創ろうとしている。
そこにしかないもの、一言でいえば、世界で一番平和な場所ができたら、
どんなに素晴らしいことだろう。
2012年5月11日金曜日
自然に人が集まる場所
さてさて、前回の続きを書こう。
東京のアトリエは発信場所であり、社会の様々な要求に応えていく場でもある。
つまりは、絶えず攻めの活動でもある。
本拠地は本当に安心出来る静かな場であった方がいい。
このバランスが大切だと思う。
今、創っていこうとしているのは、安定した生活部分の環境だ。
これまで以上にみんなの協力が必要になる場面があるだろう。
その時はどうか、ご協力お願いします。
大切なのは作家たちの感性が守られて行くこと。
そして、その場が他の人達にとっても、良い場であること。
生活部分は、グループホームの制度の中で整えると書いた。
でも、既成のグループホームを作る訳ではない。
あくまで、これまでの活動に相応しい、明るくあたたかい環境をつくるために、
様々な制度を使う、ということだ。
既存の施設にあるような、閉鎖的で、一般の人達が近付きにくい場はつくらない。
暗い、汚い、何かダサイ(あえてこんな言葉を使わせていただくが)という、
今までの施設を、これから増やしていっても何の意味もない。
グループホームの部分、作業所の部分、それから支援団体は法人化する。
株式会社も作って行く。
という風に一つ一つ、部門ごとにそれにあった体制を考えたい。
それらが集まってダウンズタウンの土台になっていけばいい。
まずは三重の自然環境の中で、最初の生活部門を考えている。
最初に始まる部分の体制が、グループホームなのか、作業所なのか、
それともケアホームなのか。
いずれにしても、最善の策をとって、一番重要な中味の部分を整えて行きたい。
最初の形がモデルになるのだから、中味は本当に良いものにしたい。
これからは東京と三重でしばらく、
よし子と僕は分担して進めて行くことになるだろう。
みんなで協力し合えば、良い環境を創ることが出来る。
このことは僕自身、関わって来た一人一人に教わったことだ。
作家たちも、学生達も、アトリエに関心を示してくれた多くの方達も、
日々、その事を教えてくれた。
この活動は自然にみんなが協力してくれようとする。
これまで、たくさんの人達が力を貸してくれた。
みんなこころのどこかで、同じことを願っている。
同じことを求めている。
平和な場が欲しいと、みんな感じている。
その想いが一つになれば、現実は動くはず。
今度の講演でテーマに選んだ「彼らが教えてくれたこと」とは、
人間、一人一人の調和へ向かうこころが、他の人のこころを動かし、
繋がりを生み、環境を変えて行くことが出来ると言うことだ。
この数年間は特に、本当にたくさんの人達がこのアトリエに集まって来た。
みんながここに何かしらの夢を描き、協力したいと願った。
今の世界に本当の場所がないから、
混乱と暴力と無知と孤立が、どこまでも広がっているから、
私達はこの社会から居場所を失った。
でも、そこに気が付いた人達がやり直そうとしている。
人間を信じ、自分達ですすんで良いものを生み出そうとしている。
世界に調和と平和を、みんなで創ろうとしている。
アトリエのささやかな活動に共感して下さり、
集まって下さる人達が、そのことを証明している。
これが希望の原理だ。
なぜ、ダウン症の人たちの作品に人は感動するのか。
なぜ、その環境に人は集まるのか。
これまで、おこなって来た様々な活動を通じて、
調和の力を人は無視することが出来ないのだと確信した。
そして、共感する人達、一人一人がこの活動を創っているということが。
私達は受け身ではない。誰かの提案を鵜呑みにしている訳ではない。
素晴らしい作品が外にある訳でもない。
みんながこころの内側に同じ美と調和と希望を持っている。
みんなが自ら見出し、動きだし、響き合っている。
東京のアトリエにも、いつの間にか自然にたくさんの人が集まって来た。
みんなが家族のように過ごして来た。
こういった場を広げて行きたい。
東京のアトリエは発信場所であり、社会の様々な要求に応えていく場でもある。
つまりは、絶えず攻めの活動でもある。
本拠地は本当に安心出来る静かな場であった方がいい。
このバランスが大切だと思う。
今、創っていこうとしているのは、安定した生活部分の環境だ。
これまで以上にみんなの協力が必要になる場面があるだろう。
その時はどうか、ご協力お願いします。
大切なのは作家たちの感性が守られて行くこと。
そして、その場が他の人達にとっても、良い場であること。
生活部分は、グループホームの制度の中で整えると書いた。
でも、既成のグループホームを作る訳ではない。
あくまで、これまでの活動に相応しい、明るくあたたかい環境をつくるために、
様々な制度を使う、ということだ。
既存の施設にあるような、閉鎖的で、一般の人達が近付きにくい場はつくらない。
暗い、汚い、何かダサイ(あえてこんな言葉を使わせていただくが)という、
今までの施設を、これから増やしていっても何の意味もない。
グループホームの部分、作業所の部分、それから支援団体は法人化する。
株式会社も作って行く。
という風に一つ一つ、部門ごとにそれにあった体制を考えたい。
それらが集まってダウンズタウンの土台になっていけばいい。
まずは三重の自然環境の中で、最初の生活部門を考えている。
最初に始まる部分の体制が、グループホームなのか、作業所なのか、
それともケアホームなのか。
いずれにしても、最善の策をとって、一番重要な中味の部分を整えて行きたい。
最初の形がモデルになるのだから、中味は本当に良いものにしたい。
これからは東京と三重でしばらく、
よし子と僕は分担して進めて行くことになるだろう。
みんなで協力し合えば、良い環境を創ることが出来る。
このことは僕自身、関わって来た一人一人に教わったことだ。
作家たちも、学生達も、アトリエに関心を示してくれた多くの方達も、
日々、その事を教えてくれた。
この活動は自然にみんなが協力してくれようとする。
これまで、たくさんの人達が力を貸してくれた。
みんなこころのどこかで、同じことを願っている。
同じことを求めている。
平和な場が欲しいと、みんな感じている。
その想いが一つになれば、現実は動くはず。
今度の講演でテーマに選んだ「彼らが教えてくれたこと」とは、
人間、一人一人の調和へ向かうこころが、他の人のこころを動かし、
繋がりを生み、環境を変えて行くことが出来ると言うことだ。
この数年間は特に、本当にたくさんの人達がこのアトリエに集まって来た。
みんながここに何かしらの夢を描き、協力したいと願った。
今の世界に本当の場所がないから、
混乱と暴力と無知と孤立が、どこまでも広がっているから、
私達はこの社会から居場所を失った。
でも、そこに気が付いた人達がやり直そうとしている。
人間を信じ、自分達ですすんで良いものを生み出そうとしている。
世界に調和と平和を、みんなで創ろうとしている。
アトリエのささやかな活動に共感して下さり、
集まって下さる人達が、そのことを証明している。
これが希望の原理だ。
なぜ、ダウン症の人たちの作品に人は感動するのか。
なぜ、その環境に人は集まるのか。
これまで、おこなって来た様々な活動を通じて、
調和の力を人は無視することが出来ないのだと確信した。
そして、共感する人達、一人一人がこの活動を創っているということが。
私達は受け身ではない。誰かの提案を鵜呑みにしている訳ではない。
素晴らしい作品が外にある訳でもない。
みんながこころの内側に同じ美と調和と希望を持っている。
みんなが自ら見出し、動きだし、響き合っている。
東京のアトリエにも、いつの間にか自然にたくさんの人が集まって来た。
みんなが家族のように過ごして来た。
こういった場を広げて行きたい。
2012年5月7日月曜日
緑の響き
5月20日(日)に、日本ダウン症協会東京世田谷支部ふたばの会の総会で、
佐久間が講演をおこないます。
これは一般の方もお越し頂けるのかな?
テーマは「彼らが教えてくれたこと」です。
いつも話したり書いたりしていることよりもうちょっと、
体験の角度から話してみたいなあ、と今は思っていますが、
どんな内容になるのかは当日まで分かりません。
さて、先日、三重県のアトリエに行って来た。
今回はこれからに向けて、もう一度、三重の環境を見ておきたい、
という目的もあった。
これから、いよいよ一番重要な活動を展開していきたいと思う。
一緒に考えたり、創ることに協力してくれる方にも、
今後は参加してもらう様に呼びかけることになるだろう。
ダウンズタウンをどこから始めるかだが、
伝える、仲間、同志を増やす、社会に浸透させていく、
という部分は現在の東京アトリエの活動で良いと思う。
もう一つの安心出来る、安定した「場」が必要だ。
それにはどんな環境がふさわしいのか。
まず、三重にはアトリエとギャラリーが既に整っている。
これからダウン症の人たちの文化発信地として、さらに整備していけばいい。
ここの場所は佐藤家の家を提供している形なので、
今後はもっとパブリックな方法を考えていく。
これから必要なのは、ゲストハウスもそうだが、
まず一番最初は作家たちが暮らせる「家」だ。
この一年は特に、これからの10年、20年を見据えて、
考えて、考えて来た。
何が最善なのか。どうすれば大切なものを守っていけるのか。
このままで良い訳がないと感じ続けている。
私達、気がついた人間、一人一人が行動をおこさなければ、
黙っていては何も変わらない。
国も政治も助けてはくれない。頼りには出来ない。
これからを生きる人達のことを、本気で考えていかなければならない。
私達に何が出来るのだろうか。
制作現場を見て来た人間として、
僕は人間のこころの平和と、異なった存在同士の共生とつながり、
調和というものが最も大切な、育んでいくべき要素だと考える。
そのことの楽しさも、難しさも、たくさん経験して来た。
一生をかけて挑むべきテーマだと思う。
これまでは、その場所が物理的にどんな影響下にあっても、
こころの調和を見つけ、育てていくことが出来ていた。
でも、3•11以後の世界では物理的条件を無視は出来なくなった。
こころという最も大切で、最も繊細なものを扱うということは、
細部にまで注意力が必要になってくる。
どんな環境が良いだろうか。
人が安心出来る。自分を取り戻せる環境。
作家たちの敏感なこころを守るためだけではなく、
こんな時代にどんな人でも望んでいる、ホッとして、
人間性や自然やつながりへの信頼を取り戻せる環境。
僕は「森」のような場所が良いと思う。
前にも書いたが、ただ場所が良くてもダメで、
場には人の思いが宿るのだから、良い場を創ろうという思いを、
たくさん集める。
なぜ、森かというと、森は多様性にあふれているからだ。
目的や一つのことのために、脇目をふらない、
同じ能力の、同じ種類の人間だけで集まる、
そんな種類分けで現代の社会は出来ている。
だから、繋がりを失って、人は病む。争いもおきる。
そんな環境で育てば、人やものを排除して、目的を達成すれば良い、
という人間になっていくのは当然だ。
海にも森にも沢山の生き物がいる。
空や風。土。
沢山の音や色や形がある。全部がそこにあるから良い。
私達の経験出来ないもの、見えないもの、聞こえない音がある、
という事が大切だ。
分からないものが目の前にあるから、謙虚さや畏怖する気持ちが育つ。
このような感覚がつながりを実感させる。
その実感がないと人は孤独感を抱え続ける。
もう一つ大切なのは、サイズ感だ。
私達の社会は大きくや多くということばかり目指して来た。
これは「数」の考えだ。
大きく多くしていくと、気持ちが通い合わなくなる。
気持ちやこころというものは数の対極にある。
これからはむしろ、小さくて、気持ちのこもったものを、
大切にしていく時だと思う。
小さくて充実して、いいなあ、あたたかいなあと感じられるもの。
そんな環境があれば、じゃあもう一つ小さな場を創ろうとなる。
小さな場が沢山できて、浸透していけばいい。
ダウンズタウンの生活部分、第一号もまずは最小単位でと考えている。
良いものが出来て、これがモデルとなっていく。
生活の部分は長い目で見て、安定したものでなければならないので、
現行のグループホームの制度で整えていけたらと考えている。
どこまで可能か、これから実践していきたい。
さて、長くなってしまうので今日はここまでに。
次回は東京アトリエの様に人の集まる場を考える。
沢山のコミニティを見て来たが、人が来なくなってしまった場は、
やっぱり問題を感じるところが多かった。
いる人だけが幸せとか、あるいは隔離されている印象があったりとか、
やっぱり交わることが大切で、
そのためには絶えず、どんな人にとっても居心地の良い場を、
創っていくべきだ。
僕は見た。
新緑の緑に囲まれて、三重のアトリエが遥かな昔と、
遥かな未来が一つになっていつまでもそこにある形を。
自然とこころの奥で、
人々が響き合い、集まって、希望を生み出すであろう情景を。
佐久間が講演をおこないます。
これは一般の方もお越し頂けるのかな?
テーマは「彼らが教えてくれたこと」です。
いつも話したり書いたりしていることよりもうちょっと、
体験の角度から話してみたいなあ、と今は思っていますが、
どんな内容になるのかは当日まで分かりません。
さて、先日、三重県のアトリエに行って来た。
今回はこれからに向けて、もう一度、三重の環境を見ておきたい、
という目的もあった。
これから、いよいよ一番重要な活動を展開していきたいと思う。
一緒に考えたり、創ることに協力してくれる方にも、
今後は参加してもらう様に呼びかけることになるだろう。
ダウンズタウンをどこから始めるかだが、
伝える、仲間、同志を増やす、社会に浸透させていく、
という部分は現在の東京アトリエの活動で良いと思う。
もう一つの安心出来る、安定した「場」が必要だ。
それにはどんな環境がふさわしいのか。
まず、三重にはアトリエとギャラリーが既に整っている。
これからダウン症の人たちの文化発信地として、さらに整備していけばいい。
ここの場所は佐藤家の家を提供している形なので、
今後はもっとパブリックな方法を考えていく。
これから必要なのは、ゲストハウスもそうだが、
まず一番最初は作家たちが暮らせる「家」だ。
この一年は特に、これからの10年、20年を見据えて、
考えて、考えて来た。
何が最善なのか。どうすれば大切なものを守っていけるのか。
このままで良い訳がないと感じ続けている。
私達、気がついた人間、一人一人が行動をおこさなければ、
黙っていては何も変わらない。
国も政治も助けてはくれない。頼りには出来ない。
これからを生きる人達のことを、本気で考えていかなければならない。
私達に何が出来るのだろうか。
制作現場を見て来た人間として、
僕は人間のこころの平和と、異なった存在同士の共生とつながり、
調和というものが最も大切な、育んでいくべき要素だと考える。
そのことの楽しさも、難しさも、たくさん経験して来た。
一生をかけて挑むべきテーマだと思う。
これまでは、その場所が物理的にどんな影響下にあっても、
こころの調和を見つけ、育てていくことが出来ていた。
でも、3•11以後の世界では物理的条件を無視は出来なくなった。
こころという最も大切で、最も繊細なものを扱うということは、
細部にまで注意力が必要になってくる。
どんな環境が良いだろうか。
人が安心出来る。自分を取り戻せる環境。
作家たちの敏感なこころを守るためだけではなく、
こんな時代にどんな人でも望んでいる、ホッとして、
人間性や自然やつながりへの信頼を取り戻せる環境。
僕は「森」のような場所が良いと思う。
前にも書いたが、ただ場所が良くてもダメで、
場には人の思いが宿るのだから、良い場を創ろうという思いを、
たくさん集める。
なぜ、森かというと、森は多様性にあふれているからだ。
目的や一つのことのために、脇目をふらない、
同じ能力の、同じ種類の人間だけで集まる、
そんな種類分けで現代の社会は出来ている。
だから、繋がりを失って、人は病む。争いもおきる。
そんな環境で育てば、人やものを排除して、目的を達成すれば良い、
という人間になっていくのは当然だ。
海にも森にも沢山の生き物がいる。
空や風。土。
沢山の音や色や形がある。全部がそこにあるから良い。
私達の経験出来ないもの、見えないもの、聞こえない音がある、
という事が大切だ。
分からないものが目の前にあるから、謙虚さや畏怖する気持ちが育つ。
このような感覚がつながりを実感させる。
その実感がないと人は孤独感を抱え続ける。
もう一つ大切なのは、サイズ感だ。
私達の社会は大きくや多くということばかり目指して来た。
これは「数」の考えだ。
大きく多くしていくと、気持ちが通い合わなくなる。
気持ちやこころというものは数の対極にある。
これからはむしろ、小さくて、気持ちのこもったものを、
大切にしていく時だと思う。
小さくて充実して、いいなあ、あたたかいなあと感じられるもの。
そんな環境があれば、じゃあもう一つ小さな場を創ろうとなる。
小さな場が沢山できて、浸透していけばいい。
ダウンズタウンの生活部分、第一号もまずは最小単位でと考えている。
良いものが出来て、これがモデルとなっていく。
生活の部分は長い目で見て、安定したものでなければならないので、
現行のグループホームの制度で整えていけたらと考えている。
どこまで可能か、これから実践していきたい。
さて、長くなってしまうので今日はここまでに。
次回は東京アトリエの様に人の集まる場を考える。
沢山のコミニティを見て来たが、人が来なくなってしまった場は、
やっぱり問題を感じるところが多かった。
いる人だけが幸せとか、あるいは隔離されている印象があったりとか、
やっぱり交わることが大切で、
そのためには絶えず、どんな人にとっても居心地の良い場を、
創っていくべきだ。
僕は見た。
新緑の緑に囲まれて、三重のアトリエが遥かな昔と、
遥かな未来が一つになっていつまでもそこにある形を。
自然とこころの奥で、
人々が響き合い、集まって、希望を生み出すであろう情景を。
2012年5月5日土曜日
関わる責任
三重のアトリエに行ってきました。
緑に囲まれて、これからのヴィジョンが見えました。
そのことは次回から順をおって書いていきます。
コレクトポイント原宿店での展示は無事終了致しました。
来て下さった皆様、ありがとうございます。
今回の企画では色々と考えさせられることがありました。
展示についてもあります。
来ていただいた方々にお詫びと訂正だけさせていただきます。
展示期間中、後半からは私達がおこなった展示構成とは違う形になっていました。
昨日、コレクトポイント原宿店に搬出にうかがいました。
正面の作品を見て、アレっと思いました。
作品の順番が変わっている。更に絵の位置も高さもズレていてガタガタ。
うーん。これはどうしたことか。
お話をお聞きすると、イベントがあって途中一度、作品をはずしたそうです。
まあ、誰が悪い訳ではない。
でも、あったものはあった場所に戻すべきでしょう。
このような機会を頂いて、様々な場面で助けていただいたのだから、
先方には感謝の気持ちでいっぱいだ。
それでも、責任上伝えなければならない。
今回の展示はアトリエが構成した形と違うものになっていた時期があった、
という部分を皆さんに知っていただき、ご理解いただければと思います。
来ていただいた方にはベストな状態をお見せ出来ずに申し訳ございませんでした。
あまり言いたくはないし、そんなことはわざわざ言うことではないが、
展示構成は大変な作業だ。
本来はそれを専門にするプロがおこなうベきことだ。
アトリエの場合、美術館でだけ展示している訳ではないので、
キュレーター、学芸員のいないところで展示を行うことの方が多い。
そういった方が居る場所でなら、その方が信頼出来れば全てお任せする。
大切なのは外に出て行く。
他のジャンルと交わって、より普遍的なものを目指すことだと思っている。
だから、作品を扱う専門の方が居ない場所でも良い形を創る。
そういう機会を作って来たから、このようなリスクも承知の上だ。
良い機会だから考えてみよう。
作品を展示するということは、作品と関わるということだ。
制作の場に入るということも、作家たちの内面と関わるということだ。
関わること、そこには責任が伴う。
このブログでもこれまで、作家たちのことだけでなく、
関わる人間のこともテーマの中心にしてきた。
それは、もちろん僕自身が関わる立場にいるからだ。
例えば、アトリエでは絵の指導はおこなわない。
本人から出てくる作品にのみ力を感じるからだ。
誰かの目が入っているな、描かされているな、という作品は見ればすぐに分かる。
これは何度か書いたが、
だからといって私達が彼らに全く影響を与えないかと言うと、
やっぱりそんなことはない。
道具も環境もアトリエで用意しているし、
人がそこにいるということは、何らかの形で響き合うということだ。
つまりは私達は関わることなくしては何も出来ない。
だから、大切なのはどう関わるかだ。
関わることに責任を持つことだ。
僕自身は自分が関わった以上、その人がいつもよりその人らしく、
その人の本質が出てくる様にと思っている。
そして、少しだけそれが出来る様になったと感じている。
関わることは楽しいことだし、深いことだ。
そして、怖いことでもある。
制作の場でも、展示でも、私達が目指しているのは同じことだ。
作家たちの一番本質にある、最もその人らしい優れた性質を引き出すこと。
引き出すと言うと、ちょっと強引な感じだが他に言葉が見つからない。
実際には出産のようなものだと感じる。
スタッフとはお産婆さんの様なものではないか。
あくまで産むのは本人だし、自然の力しかない。
引き出してもいない。産まれるということだ。
でも、こちらも命がけというところも似ている。
展示にしても場所によって活きる作品は変わるし、
一枚の絵を変えたら、他の絵も全部変わってしまう。
順番も一ヶ所入れ替えてしまったら、すでに文脈は変わり、
意味を失うこともある。
これは専門的な話ではない。
世の中を見渡していると、本当に関わることも、責任も、
自覚が失われて来ているなあと思う。
適当に仕事をしている人も多い。
本人達は自分で自分をダメにしていっていることに気がつかない。
本気で生きようよ。まじめにやろうよと思う。
さて、前回、新しい繋がり、「家」や「家族」がキーになると書いた。
このテーマをこれから考えていきたい。
本当の意味のこころの通い合った「家」を創りたい。
エコールやプレで実践して来たことを、もっと発展させていきたい。
まずは最小単位の場を考えたい。
次回は、この「家」にふさわしい「環境」を考えていきたい。
緑に囲まれて、これからのヴィジョンが見えました。
そのことは次回から順をおって書いていきます。
コレクトポイント原宿店での展示は無事終了致しました。
来て下さった皆様、ありがとうございます。
今回の企画では色々と考えさせられることがありました。
展示についてもあります。
来ていただいた方々にお詫びと訂正だけさせていただきます。
展示期間中、後半からは私達がおこなった展示構成とは違う形になっていました。
昨日、コレクトポイント原宿店に搬出にうかがいました。
正面の作品を見て、アレっと思いました。
作品の順番が変わっている。更に絵の位置も高さもズレていてガタガタ。
うーん。これはどうしたことか。
お話をお聞きすると、イベントがあって途中一度、作品をはずしたそうです。
まあ、誰が悪い訳ではない。
でも、あったものはあった場所に戻すべきでしょう。
このような機会を頂いて、様々な場面で助けていただいたのだから、
先方には感謝の気持ちでいっぱいだ。
それでも、責任上伝えなければならない。
今回の展示はアトリエが構成した形と違うものになっていた時期があった、
という部分を皆さんに知っていただき、ご理解いただければと思います。
来ていただいた方にはベストな状態をお見せ出来ずに申し訳ございませんでした。
あまり言いたくはないし、そんなことはわざわざ言うことではないが、
展示構成は大変な作業だ。
本来はそれを専門にするプロがおこなうベきことだ。
アトリエの場合、美術館でだけ展示している訳ではないので、
キュレーター、学芸員のいないところで展示を行うことの方が多い。
そういった方が居る場所でなら、その方が信頼出来れば全てお任せする。
大切なのは外に出て行く。
他のジャンルと交わって、より普遍的なものを目指すことだと思っている。
だから、作品を扱う専門の方が居ない場所でも良い形を創る。
そういう機会を作って来たから、このようなリスクも承知の上だ。
良い機会だから考えてみよう。
作品を展示するということは、作品と関わるということだ。
制作の場に入るということも、作家たちの内面と関わるということだ。
関わること、そこには責任が伴う。
このブログでもこれまで、作家たちのことだけでなく、
関わる人間のこともテーマの中心にしてきた。
それは、もちろん僕自身が関わる立場にいるからだ。
例えば、アトリエでは絵の指導はおこなわない。
本人から出てくる作品にのみ力を感じるからだ。
誰かの目が入っているな、描かされているな、という作品は見ればすぐに分かる。
これは何度か書いたが、
だからといって私達が彼らに全く影響を与えないかと言うと、
やっぱりそんなことはない。
道具も環境もアトリエで用意しているし、
人がそこにいるということは、何らかの形で響き合うということだ。
つまりは私達は関わることなくしては何も出来ない。
だから、大切なのはどう関わるかだ。
関わることに責任を持つことだ。
僕自身は自分が関わった以上、その人がいつもよりその人らしく、
その人の本質が出てくる様にと思っている。
そして、少しだけそれが出来る様になったと感じている。
関わることは楽しいことだし、深いことだ。
そして、怖いことでもある。
制作の場でも、展示でも、私達が目指しているのは同じことだ。
作家たちの一番本質にある、最もその人らしい優れた性質を引き出すこと。
引き出すと言うと、ちょっと強引な感じだが他に言葉が見つからない。
実際には出産のようなものだと感じる。
スタッフとはお産婆さんの様なものではないか。
あくまで産むのは本人だし、自然の力しかない。
引き出してもいない。産まれるということだ。
でも、こちらも命がけというところも似ている。
展示にしても場所によって活きる作品は変わるし、
一枚の絵を変えたら、他の絵も全部変わってしまう。
順番も一ヶ所入れ替えてしまったら、すでに文脈は変わり、
意味を失うこともある。
これは専門的な話ではない。
世の中を見渡していると、本当に関わることも、責任も、
自覚が失われて来ているなあと思う。
適当に仕事をしている人も多い。
本人達は自分で自分をダメにしていっていることに気がつかない。
本気で生きようよ。まじめにやろうよと思う。
さて、前回、新しい繋がり、「家」や「家族」がキーになると書いた。
このテーマをこれから考えていきたい。
本当の意味のこころの通い合った「家」を創りたい。
エコールやプレで実践して来たことを、もっと発展させていきたい。
まずは最小単位の場を考えたい。
次回は、この「家」にふさわしい「環境」を考えていきたい。
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書いている人
- 佐久間寛厚
- アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。