昨日、プレのクラスで何気なく制作を見ていると、
アキが凄いエネルギーでぐんぐん描いている。
あれっ今日違うなあと思っていると、その波は一日続いた。
やっぱり面白いなあ、と思う。
特にアキの場合は、良い時と悪い時の差が激しい。
これは性格でもあるので、そんなに気にすることはないが、
本当によい時の凄さをスタッフはちゃんと知っておかないと、
いざいいモードに入った時に逃してしまう。
それに一枚上手だなと思うのは、相手を見てこの人にはこのくらいでいいやと、
無意識で察知してしまう。
それはともかくとして、昨日のようなテンションになった時のアキは、
本当に凄みがあるし、同じ一つの色でも違って見える。
ただ塗った時は、赤なら赤なんだけど、良い時はその赤が、
特別に光っていて透明感がある。これは不思議だ。
「見える」「見えない」のような話を書いたが、
これも関係性や時と関係していて、どんな人でも「見える」という瞬間はある。
アキが深い制作をしている時、創造性がもわっとその場に見えたりする。
まあビジュアルで見えるというよりは、感じるのだけど、
普通の人が感じるというよりももっと具体的な感じではある。
何人もの「創造性」にふれていると、何か人間にとっての普遍性を感じる。
普通、創造性はその人の個性とみられるが、違う気がする。
人間のこころの深いところに創造性があって、
それに触れると、動きだし沸き上がってくる、
その時、外に現れる瞬間にその人の個性に濾過される。
そんなイメージだ。
制作の時、じっと見ていると、ここまでは個性、
ここから先は普遍的な創造性そのものだなと感じる。
そこへ入ると、描いている方は本当に気持ち良さそうだ。
誰でもそんなふうに描けたり、生きたり出来ればいいのだが、
私達にはなかなか難しい。
ダウン症の人たちは自我によって固定されている部分が薄いから、
すぐにそんなに深いところまでいくことが出来る。
彼らの制作から見えて来ることとは、
人間にとっての創造性とは何なのかということでもある。
少なくとも人間にはこんな可能性もあるぞ、ということが分かるはずだ。
出来上がった作品からも、そんなことが伝わると思っている。
みなさんも機会があったら是非、触れてみて下さい。