少しづつ暖かくなりだした。冬ももう少し。
さて、前回までやや専門的な話題にお付き合いいただいた。
そろそろ、一般的なお話に戻していこうと思っていたのだが、
今回は別の次元で、個人的なお話しになってしまいそうだ。
いつも書いていることだが、僕は制作の場を神聖視している。
土、日曜日の絵画クラスの前日は、万全を期すため早く寝る。
夜は出掛けないし、人にも余り会わない。お酒も飲まない。
気持ちも身体もベストで挑みたいからだ。
勿論、万全を期してもいい状態でばかりあれるわけではない。
正直、今の僕であればちょっと位、体調が悪かろうが、
気持ちが沈んでいようが(それはあんまりないけど)、場に入れば、
すぐにモードが変わる。日常には左右されない。
僕にとってとても重要だった祖母が亡くなった時も、
葬儀の後の教室では自分に全く変化はなかった。
そのうえで、さらに備えるために準備をする。
僕にとっての準備は前日は早く寝ることだ。
でも昨日は夜更かしをしてしまった。
何をする訳でもなく、ずっと音楽を聴いていた。
まあ、一言で言えば悲しかったからか。
共働学舎の仲間の1人からメールがきた。
すでに12時を過ぎていたので、何かあったに違いないと思い、
起きて電気をつける。
学舎のメンバーノブちゃん(のぶこさん。あえてフルネームは書かないことにする)
が亡くなった。50才だった。
身体は健常ではないとはいえ、早すぎる気がする。
ご冥福をお祈りします。
去年も1人、仲間を失った。
神様だか運命だかに言いたい。
ちょっとただでさえ少ない登場人物を、これ以上減らさないで欲しい。
亡くなったから言う訳ではない。
ノブちゃんほどのやさしさを持った人を、僕は他に知らない。
彼女は本当に平等だった。
みんなのことが好きだった。
彼女の愛情は記憶すること、憶えていることで表現されていた。
彼女はずっと同じ場所から(物理的意味でも、精神的意味でも)
人を見守り、愛し、見送り続けた。
彼女はどこへも行かず、去っていく人達を見送り続けた。
そして、どんな人のことも忘れることは無かった。
共働学舎にとっても、生きる歴史そのものだった。
あの時、誰と誰がいて、こんな事があった。
この人と、この人は仲が良かった、悪かった。
そんなすべてを記憶して話してくれた。
自分が忘れたことも彼女が憶えていてくれた。
彼女の記憶によって、自分の帰るべき場所が残っている、
という様なことがあったかも知れない。
憶えていることが、その人への愛情であった彼女に、
僕も記憶で返したい。
ノブちゃんのことを、これからずっと憶えていよう。
絶対に忘れないでいよう。
いつも見送る側で、さみしい想いばかりしてきたノブちゃん。
今は見送られる側にたっている。
僕が経験している悲しみ、さみしさや愛情も、
彼女のそれに比べれば、本当にちっちゃいものにすぎない。
ノブちゃん、たくさんの人や思い出を保存しなければならない器の中に、
僕なんかの場所を作ってくれて、本当にありがとう。
何もかもが変化していく中で、消えて行く中で、
変わらずに、ずっと同じようにいてくれて、
人を記憶し、愛し続けてくれてありがとう。
いっぱいさみしい想いをし続けても、愛すること、憶えていることを、
やめなかった、その姿勢はりっぱだった。
誰のことも憎まず、嫌わず、否定しなかった。
みんなに平等に愛情を持ち、どこへ行っても、その人達の幸せを願っていた。
みんなが仲間であると、本当に教えてくれたのは彼女だった。
若さ故、仲間との議論やケンカも多かった僕に対しても、
いつでも変わらず穏やかに接してくれたね。
僕も少しは見習いたいと思う。
ノブちゃん、長い間、ほんとうにありがとうございました。
きっとどこかで、今でも誰のことも忘れずに憶えていてくれて、
思っていてくれるのだろう。
これからも見守っていてね。