今日は雨。浄化されるようで雨はいい。
静かになるし。
今日も良い教室になるように。
雨の日、天気の日、それぞれ場の雰囲気が変わってくる。
その中で自然な良い流れに向かっていく。
少し前にテレビである女優さんが、行き詰まった時に海外に行って、
出直ししたという話をしていた。
1年住んだと言う、その場所を再び訪ねるという企画だった。
過去をふりかえる目線がよかった。
素敵な人だと思った。
自分の過去を大切に扱える人は、過去や記憶に助けられる。
僕も何度も記憶に助けられ、救われてきた。
それと海外に行った時の話も、もう一度訪れる場面も、
休み方の上手い人だなと思った。
しっかり休まなければ良い仕事は出来ない。
もう一つご紹介したいお話があるのだが、
これは本に書いてあったことなので、まず本の紹介をしなければならない。
だからここではやめておく。
僕はなるべく、本と音楽と映画の話は書かないことにしている。
あと、趣味の話。
それをしてしまうと、いくらでも話題はあるけど、
人に言葉を話すことをもっと大切にしたいと思う。
誰でも見られるところに、言葉を書くということは、
ある程度、公共の場での行為とみなされなければならない。
本来は、趣味や日常生活の話は控えるべきだと思っている。
今、世の中で飛び交っている言葉はほとんど意味を失っている。
まあ、横道に逸れてしまうのでここまでにしておくが、
自分がどこの誰だとも名乗らずに、言葉を使っている人も悪いが、
その様な読む価値のないものを読む人も、真に受ける人にも責任がある。
これは、大切な事だが、良くないものは受容する人にも責任がある。
悪いものは見てはいけないし、買ってはいけない。
ここでは本や趣味の話はなるべくしない。
もしくは最小限にとどめる。
ここで書いているのは、僕自身の実体験に関わるものばかりだ。
もし、何らかの使える部分があったら、大切に使ってやって下さい。
前にも書いたけれども、経験にはもとでがかかる。
趣味は受け身でもいいが、実践には血と汗が滲んでいる。
身銭をきるとかいい言葉はいっぱいあるが、実感としてはそんなところだ。
自分に投資するということをいつかも書いた。
だから、その場でのその人の仕事や言葉は、
いったいそこへ行くまでその人がどれだけのものを、
そこに費やし、かけてきたのかというところから、見ていくべきだ。
僕自身も、このブログで書いて来ている様なことを、
知るためには本当に多くのものを使って来た。
勿論、お金だけではなく、たくさんの時間と、命と、思いと。
現場においてマニュアルはないと言って来たし、
方法や理屈を考えてもダメだとも言ってきた。
それは確かなことなのだが、僕自身はそこを徹底的に考え抜いたり、
追求した時期があった。
昼も夜も無い状況で、こうすれば少しはこころが動くとか、
重い病気の人の発作が治まったとか。
必死になって振り回されたり、それでももっと良い方法があるはずだと、
試してみたり。
やっと時間が出来ても夜通し仲間と、
ああでもないこうでもないと議論して寝る時間もない。
それでも知りたかったし、自覚したかった時期も確かにあった。
追求することから逃げ出したい時期もあった。
付き合っていた女性ともほとんど会えない。
なんのためになぜ、こんなことをしているのだろうと思ったり。
やめようかなとか。
一度、ふかふかの布団でぐっすり眠りたいとか、
会いたい人にゆっくり会いたいとか。
ある時、ふと気が付いた。すでに何人も死んでいったように、
僕らっていつか死ぬんだなと。
だったら、ぐっすり眠るなんてその時でいいやと。
死ぬ時に、はい、これから休みでいいかなと思った。
それまでは探求しようと。
でも、そんなに真剣になって何かを追求する時期は必要だ。
若いから、色んなものを犠牲にはしてしまう。
でも、そこで何を大切にするかだ。
普通、人が思うほど、人間という存在はあまくはない。
追求しているテーマや目指していること、
一般的には仕事となるかも知れないが、
例えば、仕事と家族とどっちが大切かとか問われて、
即座に家族と言ってしまえるようではダメなのだ。
最終的には家族とかそういう事にならなければ、それも嘘だけど、
少なくとも、今これがなによりも大事という時期は経験しなければならない。
何を犠牲にしても、そこを追求してみたいと思うくらいの時期は必要だ。
でも、これも勿論、いつまでもそれでは困るが。
その様に沢山のものをかけてこそ、本当の仕事が出来るようになる。
前に、制作の場では一つの言葉でも、どんなふうにでも返すことが出来る、
選択肢は無限だという話をした。
でも、一方で誰が聞いたところで「うん、そうだね」としか言えない様なこともある。
だからこの場合、「うん、そうだね」と言うしかない。
そこで同じ「うん、そうだね」がその人のすべてになってしまう。
つまり「うん、そうだね」という言葉にどれだけの存在感を創れるか、
そこにそれまでその人がどう生きて来たのかが、
大袈裟に言えばすべて表現されてしまう。
最後のところで出て来るものがその人の本質だ。
人間力と言って良いかも知れないけれど、
これだけはすぐに身に付くものではない。
日々の積み重ねで長い時間が刻まれていかなければならない。
今日は最初は「休み方」というテーマの予定だったが、話がそれてしまった。
長くなるのでここまで。