2011年11月9日水曜日

ちょっと続き

共働学舎について書こうと思っていたら、
最近整理していた荷物の中から、僕が共働学舎を離れる時にみんながくれた、
メッセージがみつかった。
その中にちい(あだ名)の書いてくれたページを懐かしく読んだ。
あれから10年以上が経過したが、改めてありがとうという気持ちになった。
いつか一緒に働いて来た仲間達のことも書きたいが、
今回は彼女の書いてくれたメッセージを紹介する。

佐久間くんへ
初めて佐久間君にあったのは稲刈りのとき。
なんにもわからなかった私は、佐久間くんが年上にみえたっけ。27、8才にみえたよ。
会話をするようになったのは、たしか、牛舎の3階にあったじゃがいもを移動させたとき。話したかったけど、なかなか出来なかった私に、佐久間くんから話しかけてくれた。私さ、男の子と話すの苦手だったけど、佐久間くんは自然体で接してくれた。それが私の中から、かべをとりのぞいてくれたのだろうと思うよ。それからはさ、他のメンバーのみんなとも話せるようになったんだ。てっぺい君(その後、彼と結婚)ともね。おぼえてる?3人で、とおもろこしを刈ったあと、道路でねっころがって、空を見てた。あのとき、学舎のいい所に気づいたんだ。佐久間くんは、仕事は楽しくやるものだと教えてくれたよ。私ずっと時間内でのいそがしい仕事だったから。楽しむことは大切だよね。
今の私は、なんでだろう。昔より笑顔がへったよね。昔がすべて良いわけじゃないけど、いつも笑ってる「ちい」でいたいな。佐久間くんみたいにみんなをひっぱっていくのは、むずかしいけど、みんなと元気にやっていこうと思う。
私が元気ないとき、はげましてくれてありがとう。
相談にものってくれてありがとう。
これからも、佐久間くんらしさで、がんばってね。
私もがんばるよ。連絡ちょーだいね。一緒にあそべたらいいね。
ちいより

これを読み返していて嬉しかった。
もう一つだけお世話になった神林さんからのメッセージを書く。

佐久間くん
5年間 ありがとう。
時には激しく、時には柔和で、
時には赤子のようなあなたを、
小谷の地より、見守っています。
神林

みんなには本当に感謝している。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。