2011年11月28日月曜日

共働学舎2

土、日曜日クラスではみなさんから、お祝いをいただきました。
本当に有り難うございます。

以下、前回の続きです。
読まれていない方は前の回からお読み下さい。

こころの無垢とは何か
共働学舎を再び訪れて

宮島真一郎先生(親方)との対話 つづきから

親方  ダウン症の子が描いた絵はどんなテーマが一番多いのかい。

佐久間 そうですねえ‥‥、人によって異なりますが、身近なもの、
行った事のある場所や好きなものですかねえ。

親方  人物が多いのかな?

佐久間 人物はそんなに多くはないと思います。
お母さんやお父さん、友達といった、テーマはよく出て来る気はしますが。

親方  ものを似せて描くこと。忠実に写し取って描く事が出来るかい。

佐久間 ものを忠実に写し取るというよりも、そのものにある雰囲気とか、
全体に流れる空気の様なものを、捉え、形に表現出来る人達ですね。

親方  ダウン症の子たちはどんなところに障害がありますか?
脳でですか?身体ですか?やはり大きな部分は脳でしょうか?
その様な研究はすすんでいるのだろうか。

佐久間 うーん。‥‥。
僕の知るかぎりでは、ダウン症の人たちに対しての研究は、
まだそんなに進んでいないのではないでしょうか。
染色体に異常があるということまでは分かっていますが、
その事が、どんな意味を持つのか、
身体やこころや知覚にどのような影響あるのか、
まだよく解明されていないのではないでしょうか。

親方  やはり、脳ではないかね。身体はどうだろう。

佐久間 身体も普通の人達に比べれると弱いです。
合併症として心臓に疾患を持つ人も多いですし。

親方  彼らの絵のどこが一番、魅力かな。

佐久間 色彩感覚だと思います。感覚が鋭い。

親方  君達が展覧会を開くと、子供達は喜ぶのかい?
色んな人達が彼らに質問したりしたら、答えられるのかい?

佐久間 そうですねえ。彼らは展覧会そのものよりも、絵を描く事自体を喜びます。
もちろん、見てもらう事も嬉しいし、喜ぶのですが、
絵を描く喜びはそれ以上です。
質問は日常的な事なら、彼らは答えられます。
もっと抽象的な質問は僕達が答えることになります。

親方  ダウン症の子たちは美しいものを感ずる感覚が強いのでは無いかい?

佐久間 まさしくそうです。

親方  感覚が敏感であることは非常に大変な、生きにくい事なんじゃ。
食べ物でも美味しいと感じる感覚が強いかい。
食べ過ぎてしまうのではないかい?

佐久間 食べ過ぎてしまう事は多いですね。

親方  そういう時、ダメとか、今はおやつの時間じゃないとか、
言わないで少しでもいいから、一緒に食べてあげて欲しいんじゃ。
そうすると、とても喜ぶんじゃ。

佐久間 はい。分かります。

親方  まあ、大変な事だけど。本当に敏感だと言う事は大変だけど、
それを一緒に分かってあげることなんじゃ。
本当はこの共働学舎にも、ダウン症の人が居るべきなんじゃ。
でも、ここは過酷だし敏感だと難しいじゃろうなあ。

佐久間 はい。

親方  今は、共働学舎も君達のところだけだからなあ。
ダウン症の子を見ておるのは。報告会でみんなに伝えてくれよ。
(記憶違いで、私達が共働学舎としてダウン症の人たちを見ていると思っているようだ)

佐久間 はい。分かりました。

親方  それから名前をよく呼んであげる事じゃ。名前を呼んであげるだけでも、
深ーいコミニケーションになるんじゃ。手を握ってあげる事も大事じゃ。
きれいな景色を一緒に、きれいだねえと、ゆっくりみてあげることじゃ。
決して急かしたりしてはダメだね。

佐久間 良く分かります。

親方  たくみも小さい頃は大変な子じゃった。
気に入らないと物を壊したり、走って来てわしにぶつかって来たりな。

佐久間 あのたくみさんが、ですか。

親方  そうじゃ。今じゃ考えられんだろう。
わしの所に来た時はたくみもまだ、10幾つじゃった。
どんな事があってもわしが、「たーくみー」と呼ぶと、
喜んで走って来たもんじゃ。

佐久間 はい。

親方  ダウン症の子は、言葉がしゃべれないかい?

佐久間 決してそんなことはありません。
個人差はありますが、特に、親しい人とはとてもよくしゃべりますよ。

親方  言葉は苦手ではないかい?

佐久間 特にそのような印象はありませんが、環境によっても違うと思います。
良い環境があれば、言葉の能力も相当出て来るのではないでしょうか?

親方  数字、数が苦手ではないかね?

佐久間 そうですね。確かに計算は少し苦手ですね。

親方  一番出来ない事は、一番苦手な事は何かね?
どんな点がいちばーん、普通の人より劣っているのかね?

佐久間 うーん。‥‥。

親方  つまり、嘘というのはどうかね。
嘘をつくと言う事が、出来ないのではないかね。

佐久間 なるほど。そうですね。彼らは外面的にばかりでなく、
内面的にも嘘が無いと思います。
(何とかついて行くが、親方のシンプルな言葉の鋭さに内心、ドキッとした)

親方  わしは嘘をつく事が人間の中で一番良くない、
罪ふかーいことだと思うんじゃ。
脳を専門に研究している科学者に聞いてみた事もあるんじゃ。
嘘をつく、悪い事をするのは人間の脳のどんな部分が機能してそうなるのか。
これはまだ、科学では分からないようだ。

佐久間 はい。そのようですね。

親方  わしはなあ、人間の脳のどこかにある、
そういう嘘を言う機能というのが、特定されれば、
そこをどうかして悪を無くすることが出来るのではないかと。
それを望む気持ちもあるんじゃ。

佐久間 はあ‥‥。
(やっぱり、この人は凄いと思う。確かに危険な発想だが、あまりに真っすぐに純粋に探求して行く迫力におされる)

親方  この共働学舎でも、嘘をつく、物を盗むと言う、
いちばーん悲しい事がおきるんじゃ。
わしはここに来たいと言った人間は誰でも受け入れて来た。
たくさんの問題がおこった。
本当に教育と言うものがあるのなら、
人間を悪を無くせなければ嘘なんじゃ。
そうしなければ、戦争も何も無くならないのじゃ。
ダウン症の子たちが嘘を言えないのは、
人間の脳のどんな所に由来するのか。それが大事なんじゃ。
しかし、こころというものは、脳ではない。イエスキリストという人は、
そのこころを変える力を持っていたはずなんじゃ。
こころを変える力が無ければ、教育の意味はないんじゃないか。

佐久間 こころを変える、と言うことは大変な、途轍もない事だと思います。
ただ、これまで人類は計算や悪を為す源になる、能力ばかりを伸ばして来た。
良い事をする能力、良いこころの力というものもあるはずです。
時間はかかるでしょうが、
そういう能力を伸ばして行く事の価値を認識する必要があると思います。
ダウン症の人たちは、素直で平和なこころの能力を持っています。
そこから学ぶ事は出来ると思います。

親方  うんうん。そこなんじゃ。

佐久間 それから親方、心臓の悪い人が、気持ち良く絵を描くことで、
身体が良くなって行く様な事があるんでしょうか?
僕は実感的にはある様な気がするのです。

親方  それは勿論じゃ。
人間の気持ち、こころというものが、
最もふかーく反映されるのが心臓なんじゃ。
嫌な事やストレスを経験した時、心拍数がすごーく変化するんじゃ。

佐久間 なるほど。

親方  ダウン症の子の素直さというものは、健常の人間にもあるものかね?
僕の先生の羽仁もとこという人は、こころのやさしい人じゃったが、
歌を歌うと本当に音痴じゃった。
音痴である事と、やさしいことに何か繋がりがあるかね?

佐久間 あるような気がします。
音程や文脈を合わせる能力、辻褄を合わせる力や、計算といったものは、
人間の中にある純粋な感覚の力とは別のもののような気がします。

親方  そうだね。

佐久間 親方は共働学舎を辞めたいと思った事はありますか?

親方  何回もあるよ。
まことがこうして手伝ってくれなければ出来なかったと思っとる。
ここに来る人たちは、みんな自然に集まって来たんじゃ。
わしが頼んだ訳じゃないが、たくさんの人が手伝ってくれた。
そして、自然にここの生活がある。

佐久間 最近はどんな事を考えますか?

親方  寝る前にガンジーの自伝を読んでもらうんじゃ。
インドという国は様々な問題を抱えている。
その中でガンジーがはたして来た役割は大きい。
一度、ガンジーに会いたいのじゃが、わしみたいなものに会ってくれるかな。
(あの世でということかな?)

佐久間 でも、親方はマザーテレサには会いましたね。

親方  そうじゃ。マザーテレサとは兄弟のようなもんじゃった。
会うとすぐにこころが通じ合った。よく手紙もくれた。

佐久間 本当に親方やまことさんの姿を見て来たから、今の自分があります。

親方  とんでもない。
わしの方こそ、君達に教えてもらいたい事がいっぱいあるんじゃ。
ダウン症と言う言葉は良くないねえ。何か良くないイメージがある。
良い名前は無いか?考えてくれよ。

佐久間 そうですね。名前を考えないといけないですね。
親方、久しぶりにたくさんお話し出来て楽しかったです。
ありがとうございました。

親方  ありがとう。良い仕事をしてくれよ。頼んだよ。ありがとう。
報告会にも来てくれよ。

佐久間 はい。ありがとうございました。

その日、私達は車が通れない山奥にある真木共働学舎へ向かった。
今回の目的は多摩美の学生を連れて行く事だった。
久しぶりに、まことさんと真木へ向かう、山道を歩く。昔はみんなの食料を運んでいたけど、今回は自分の荷物と若干のみんなの飲み物だけ。
まことさんは、歩きながらも道の確認をして、次に歩く人や明日歩く人の為の道を造っている。真木に着くと、まことさんは真っ先にみんなの仕事場へ向かい、進み具合を見てアドバイスしていく。織物を織っている人達には、なぜ最後の部分が上手くいかないのか説明する。一人一人を本当によく見ている。みんなの作っている織物はすばらしい。色彩感覚も織り方も凄い。これを作品として認識出来る人がいないのが残念だ。特にクニちゃん(発達障害の人)のはいい。みずほさん(この人も発達障害の人)えのきどさん(統合失調症の人)やまぎしさん(左官屋の親方をしていて、現場で転落事故後に記憶喪失となり、脳に障害を残す。今、このレポートを写している時点ではすでに亡くなられた)クニちゃん達が、ニコニコしながら、ゆっくり話しかけて来る。懐かしい気分だった。彼らと話していると10数年がすぐに吹っ飛んで昔に返る。彼らとの関係の中では何も変わっていない事に気付き、この様な深い関係を持てた事の幸運を実感する。

佐久間 みずほさん、元気?

みずほ げんきだよ。佐久間君やなんかもー、げーんーきかなーとおもえるからしてー。
最近はー、名探偵コナンもー、あんまり見れないからねー。
今日はー、バンクーバーでーフギアがあるよ。

クニちゃん んっんっ佐久間君、東京は楽しい?僕も今年、んっんっ。
モーニング娘のコンサート行くんだよ。

佐久間  クニちゃんと言えば、上野だよね。あとはフィリピンパブでしょ。

クニちゃん んっ、なーに言ってんだよ。もう行ってないよ。
クニちゃんの髪は自分で脱色して茶色。額とこめかみの辺りは剃っている。ピンクのマニキュア。指にはカラーのテープが巻いてある。猫に噛まれたと本人は言う。

佐久間   えのきどさん、矢沢永吉、聴いてる?

えのきど  やっ矢沢永吉、聴いてる聴いてる聴いてる。

佐久間   矢沢永吉のどこがいいんだっけ?

えのきど  いっ一番強い。

佐久間   2番目は?

えのきど  2っ2番目は舘ひろし。舘ひろし舘ひろし、クールズ。

佐久間   3番目はえのきどさんだよね。

えのきど  いやっ。俺はよっよわっちいよわっちいよわっちい。よちよちよち。

佐久間   今日は学生を連れて来たんだけど、彼はどう?

えのきど  カッコいい。2っ2枚目。

佐久間   えのきどさんも渋いよね。

えのきど  しっ渋くない渋くない渋くない。かっかっこわるいかっこわるい。
5っ5枚目5枚目5枚目。ごっ5枚目ガシラ。

えのきど  (ニッコリ笑いながら)佐久間君、昔の方が面白かったね。

佐久間   えっ。昔っていつ?

えのきど  わっ若い頃。

佐久間   昔の感覚を取り戻さなきゃ。

やまぎしさん  今度は夏来てね。

佐久間      夏?

やまぎしさん イワナ釣って食わしてあげる。

佐久間    わーありがとう。

やまぎしさん 菜箸、いる?

佐久間    えっ、やまぎしさんがつくったやつ?ほしいなあ。

やまぎしさん じゃああげるよ。

(彼とはこれが最後になってしまった。やまぎしさん、本当にありがとう。最後にもらった菜箸、大事に大事に持っています。いっぱい教えてくれてありがとう。天国で僕のことも見守っていて下さい) 

こうして話していると、嘗ての感覚が蘇って来る。だが、今はもう違うように見えている事も事実だ。あの頃より彼らが見える。彼らが分かる。なぜだろう。私は彼らに愛されていた。私自身が、彼らほど純粋な愛を持つことが出来るまでに、多くの時間が必要だった。
共働学舎には障害という概念は存在しない。ここには、様々な立場の人がやって来る。やって来ると言ったが、中には連れて来られた、置いていかれた人達もいる。誰がどのような問題や障害を抱えているのか、実は誰も知らない。ただ、来た人達と共に生きる。生きていく中でたくさんの問題が発生する。それによって初めて一人一人の問題や病と向き合う事になる。農業がやりたい、福祉の勉強をしたい、人間を知りたい、コミニティに興味がある、様々な意欲ある人達も多くやって来る。だが、この場に最後まで残って生活して行くの人の多くは、結果的に様々な問題を抱え、行き場を失った人達、ここにしか居られない人達なのだ。誤解を恐れず、あえて言えば最底辺の人達。そんな、人達が共に生きる中で、見出しているものにこそ、私は人間の失って来た多くの宝が潜んでいるように思う。
夜は、まことさんと少し飲みながら話す。お風呂はクニちゃんに、昔みたいに一緒に入ろうと言ったが、うんうんと言いつつ私達が出て来るのを待っていた。みずほさんと一緒に入って色々話した。学生のイサがいたので大学で何をやっているのか、みずほさんに話してみた。

佐久間 平和学の構築って言うのもあるんだよ。

みずほ 平和学のー、こーちくー?できるといいねー。
白土三平さんのー漫画やなんかはー、過激でー、問題になった事もーあるからし     てー。平和学ーだったらー、「ほのぼの」なんかはーほんとにー平和学のーこうち    くーみたいだね。

まことさんは、夜もみんなの織物の直しをしていた。それからアタッシュケースの鍵を開けて、えのきどさんのタバコとお金と薬の管理をする。えのきどさんはしっかり、まことさんの隣に座って見守る。えのきどさんの今週のむ薬を種類分けしているが、本当にたくさんの種類でややこしい。途中、まことさんがうとうとしだすと、クニちゃんが薬の仕分けを自然に手伝いだす。3人が並んで座って、真木の景色に溶け込んでいる。助け合って生きている3人を見た。また、まことさんに背中で教えられている気がした。
翌日、私達は真木の山を降りる。雪の積もった田んぼの中を、えのきどさんが走りながら見送ってくれる。ニッコリ、笑いながら。手でギターを弾く真似をしながら、矢沢永吉のルイジアナを歌ってくれる。歌いながら、走りながら、雪につまずき、転びそうになって、ころんで、また走って笑う。そしてまた歌う。何かを伝えてくれている。本当に嬉しい。えのきどさんの矢沢永吉は時間よ止まれ以外はめったに歌ってもらえない。

もう一カ所、立屋共働学舎にも私にとって大切な人達がいる。
はやしさん(脳に障害がある。北海道の牛小屋で生きて来た)オブオブ(産まれる時に産道で詰まり未熟児として誕生。脳機能に障害を抱える)のぶちゃん(彼女も未熟児として産まれたようだ。自閉症と麻痺がある)さくみさん(プラダーウイリー症候群)さとやん(自閉症)たいすけ(幼い頃、交通事故に遭い、半身不随となり脳にも障害を残す)

はやしさん おおー、あ、あ、あんたは、うっうしぎゅうしゃによくおったな。
そーーか。とっ東京の田舎におるんか。

のぶちゃん さーふまくんっ。だーれだとおもっったよー。

オブオブ わし、今日、微熱やねん。カレー食うか?

さとやん あっあっ、もしよかったらっ、何時のバスで来たかっていうか、
どこについたかっていうかっ、いーや、べっべつに詮索する訳じゃないけど。

みんなの言葉と話し方にホッとする。

今回はたいすけが絵を描きたいと言って来たので、工芸室でクレヨンと紙をかりて、アトリエを開く。たいすけがからかうように「どーやあってーかーくーのー、せーんせー」と笑う。「先生じゃねーよ。たいすけの好きなように描けよ。なに描く?」「じゃーてーきーとー」。「真っすぐ座るんだよ。よし、太いやつを使おう。なんでも描いていいよ」「わーかったー」クレヨンを持つとすぐに始まった。時々、こちらを見詰めて微笑む。「いいなあ。やっぱたいすけすごいな」。身体を自由に動かせない分、全身を使っての集中力が強くなる。色を塗りながら、どんどん深い世界に入っていく。目付きが変わる。手が自然に動き出す。たいすけのこころが目の前に見えて来る。絵が出来ると2人でしばらく深い時間を味わう。こころとこころが出会い、繋がる。たいすけは立ち上がって、ストーブの前へ移動して休む。しばらくして、たいすけの方を見ると、笑顔で「あーりーがーとー」とゆっくり私を見詰める。わざとドラマっぽく「たいすけー」と抱きしめる。それから小林さん(おそらく自閉症)が電車の絵を描く。最初は恥ずかしいと言ったり、間違えたとか、どうやったら描けるのとか、迷っていたけど、「大丈夫、大丈夫」と声を掛けていく。途中から、電車の中の色を重ねだす。「それ、すごいね。きれいだね」というと、自信にあふれた表情になった。のってきた。表現もグンと深くなり、楽しみだす。「明日帰るの?さみしい。まっ、また来てね。いっいつ来るの」とこちらに話しながらも描いていく。「えっ駅はどうやったら描けるの?」「さっきの電車みたいにイメージして、思い切ってやってみれば、絶対描けるよ」「こっ今度は駅、いっ一緒に描こう」「おお、いいねえ」。たくみさんも来る。「僕も描いていい?」「もちろんいいよ」。たくみさんは牛の絵を描く。いつも牛の世話をしているから、よく観察している。「わあー。たくみさんの牛だあ。いいなあ」というと、私の顔を見て、「そーかあ。佐久間君達はこういう仕事をしてるんだあ」、ドキッとする。かつて生活を共にしていた人達の魂に、今度は作品を通じて出会うことができた。
たった3日間の滞在だったが、十数年前の時間が蘇った不思議な感覚だった。彼らとの関係はあの頃と何も変わっていなかった。変わった所があるとすれば、自分の中に生まれた、自覚と確信だけだ。こころが繋がる瞬間への揺るぎなき確信。
私が共働学舎と出会ったのは16歳の時だった。初めてはやしさんに会った時の印象は忘れられない。強烈な個性と、何もしないでただそこに存在しているだけで、輝くような存在感があった。私はその人になにかしら崇高なものを感じた。何も持たない、誤摩化さない、生きている事だけがあるような存在。人間の持つ本来の尊厳と強さ、やさしさ。彼は、無駄なものをすべて削ぎ落としたような凄みをもってそこにいた。そこには何者によっても汚される事の無い純粋さがあった。彼らは私に何を与えてくれたのだろうか。宮島先生の言葉に「人間というものを理解しようと思ったら、一般の健常な人を見ても決して分からない。障害と呼ばれるような人を見ていく時、初めて人間とはどのような存在なのかが分かる」というのがある。私はこの言葉を何度か、先生の口から聞いている。なぜ健常者、普通の人間との付き合いから人間の本質が見えないのか。それは、私達が意識の表面でコントロール出来る、浅い部分でしか人と触れたり会話したりしないように訓練されているからだ。そこでは決して、なまの、裸の人間の本質は現れて来ない。逆に絶えず裸で剥き出しの、人間そのものとしてしか生きられない人達がいる。その人達と向き合う事は、自分自身と向き合うに等しい。私達が、眠り、目覚めて生きているこの世界。この日常。この世界は決して普段私達が思っているような、単純なものではない。それは、意識が情報として操作したり管理したり出来るようなものではない。それは簡単に分かったり、理解したり出来るようなものでもない。正しい見方や、一つの感じ方がすべてな訳でも決してない。世界はもっと広く、もっと豊かだ。至るところに、新しさがあり、発見がある。たくさんの見方、感じ方が存在している。人間は、もっともっと、生命の力を持っている。そういった事を、彼らから学んだと思う。
共働学舎の実践の最も大きな特徴は、障害者と健常者を分けないというところにある。学舎に絶えずあるのは、共に生きる「生活」だ。生活の中に人間に必要なすべての要素がある。
問題がおきた時に初めて、相手の存在を知り、共存の仕方を模索する。一歩乗り越えると、単一だった世界が、多様性に満ちた、豊かさと包容力を持った大きなものになっていく。
相手を知る事は、医療や専門の技術による事ではない。ただ生きていく、共にある事の実践の中で、お互いを理解する。問題が生まれて来るのは、健常者も障害者も同じだ。学舎では目の見えない親方の手を引いて半身麻痺の青年が道案内する。自閉症の人が、統合失調調の人の薬を分けるのを手伝ったりする。生活の中では思わぬ事がたくさんある。誰でも得意なこと、苦手なことがある。一つ一つの出来事の中に入って行く事で、奇跡のようなこころの癒しが起こる事もある。誰も障害や病気の話題を話す事は無い。また、避ける事も無い。障害者と健常者を分けないと何度も書いたが、実際にはここには、そもそも障害者と言う概念自体が存在しないのだ。ある意味で完全な共存の場が出来るまでは、我々全員が障害者なのだ。そして学舎はすべての人間が「障害」でなくなる、多様性と共存の社会を目指す。身体や精神の医学で不可能と言われている事が、日常の中で次々におきる。しゃべれないと言われた人も、当り前に話す。私は始めて学舎を見た時「日本のインド」だと思った。当時は衛生環境も良くなかったが、誰も病気になる事が無かった。(医療を拒否して亡くなっていった人達はいる)社会的には様々な問題のみならず、病を抱えた人達が多かったが、みんな「生」においては強かった。自分で食欲をコントロール出来ない病気を持つ人が居たが、彼は隠れて牛の餌や、腐った残飯を食べてまったく平気だった。みんな汚い場所でハエに集られて、生水を飲んで、活き活きしていた。ぜんぜん歯を磨かないでも、虫歯にならない人もいた。生きる力は強烈だった。たくさんの個性が集まる事で、日々の生活が自分の許容力をどこまでも鍛えていく訓練となった。作るものは、米、野菜、牛乳、建物、工芸や木工品、すべてを素人としてゼロから考え、協力しながら進めていく。やってみれば、下手でも何でも出来ていく。出来ないときは、出来る人を外にさがして相談しにいく。そんな生活。

共働学舎について、不充分ながらも、重要な部分を書いてみた。
ここから、あえて問題点と課題を指摘したい。部外者の意見だが、私自身が学舎に育てられた部分が大きいからこそ書こうと思う。ただ、客観的にという事ではなく、自分自身いかに愛され、育てられて来たのかも確認したうえですすめていこう。学舎では何も教わる事無く、実際の生活に飛び込んでみて学んで来た。それが学舎の思想でもあった。だから、メンバーの一人一人と触れ合う中で学んだ事がほとんどだ。だが、今にして思うと、親方やまことさん、他にも指導的立場にいた数人の大人達には、それとなく教えられて来たこ場面がたくさんあった。親方には16才で出会ってからずっと、大切にしていただいた。まだ、何も分からず、学舎にも居着く事無く、色んな場所を彷徨っていた頃、手紙や電話を何度もいただいた。講演会で金沢に行くから合おうと連絡をいただいて、ホテルを尋ねた時はゆっくり話してもらって、また一緒に生活しようと誘ってもらった。それもきっかけの一つもとなり、本格的に学舎での生活が始まってからも、様々な場面で見守ってもらってきた。夏休みに残っていると「わしが帰るから付き添いをしてくれ」と言われ、名古屋まで色んな話をしながら移動した。親方と移動すると、障害者介助として電車の料金が半額になる。そのお金も全部出してもらった。駅員に「わしはここで下りるが、彼はこれから金沢で行くんだが、半額になるかい?」と無茶な事を言って「それは無理です」と答えられると、本当に不思議そうにしていた。金沢までの切符も買ってもらった。誕生日にはエーロッパのどこかの国に伝わる祝い方だと言って、歌をみんなに歌わせた。その歌にはセリフ部分が入り、最後の部分で不快なやつだと付け加える。親方は「佐久間君。いつも女の子とばかり遊んでいる。でも純真でやさしい男だ。お金の事など考えた事も無い素直な男、愉快なやつだ」と、確かそんな風に歌ってくれた。実際、親方は私のどこかを気に入ってくれていたのだと思う。指導的立場にいた男性からはよく、「親方は同じ事を○○には許さないのに、佐久間なら許されるんだよなあ」と冗談まじりに言われる事もあった。また、若気の至りで正義感のつもりで、あるメンバーと決定的に衝突して、もはや一緒に生活出来なくなった時、最終的にその人は学舎を離れたのだが、後で寮母的存在だった女性に「親方は2人共を選ぶことは出来なかったのよ。佐久間君を選ぶ事しか出来なかったのよ」と諭されたこともあった。親方は週に一度、メンバーの様子を私に聞いた。誰々はどんな調子か、体調はどうか、気持ちはどうか。少しづつ分かって来たのは、そうやって他のメンバーの事を聞いているというよりも、私の認識や人を見る目線がどれ位深まっているのか、見守っていたのだ。でも、あの頃はまだまだ見えていなかった。認識も浅かった。
まことさんとの思い出は、長くなるのでまた別の機会に。
この旅の終わりによし子が「私達はまだ、親方やまことさんの足下にも及ばないね」と言ったが、私も同感だった。

さて、あえて家族のように愛するが故に、学舎への批判も書かせていただく。まず、言わなければならない事は、これまで書いて来たような学舎の在り方、思想を自覚している人間がいなさすぎる。その結果、雰囲気が暗く、重くなりがちだ。障害者も健常者も分けないという思想が、かえって健常者の能力や成長を抑えてしまっている事にも原因があるのではないだろうか。私自身は自覚的に場を守り、雰囲気を保ち、一人一人の内側にある心の動きを読み取る能力のある人間が、必ず必要だと思っている。あえて言えば、そのような能力を鍛え、責任を持つ必要のある人間を育てる為に「場をつくるスタッフ」を分けるべきだ。そして、何人かに1人はスタッフがいるようにしなければならない。こうしたとしても、学舎の理念を傷つけないどころか、より理念に近付くと考える。メンバーの持つ力が、まだ充分に発揮されてはいない。それは、彼らの内側に、どのような世界が広がっているのかを見抜き、引き出す人間がいないからだ。例えば、私が話しかけると彼らは急に活き活きとして、溢れ出る存在のオリジナリティをぶつけて来る。表情が無くなっている人に、実は発揮されていない「生きている世界」が気付く人がなけば、彼らは自己の無い奥にある、豊かな世界を見せる事も、活かす事も無い。こちらが耳を傾けなければ、聞こえて来ない世界がそこにあるのだ。だから、彼らのこころの宇宙にもっともっと近づき、引き出していくべきだ。人の心の奥に入って行く為には、経験と勘が必要だ。目の前にいる人間の内奥にある動きを、感じ取る能力が必要なのだ。スタッフには相手の間をつかみ取る力と、全体の流れを読む勘が必要だ。ここでも、あえていえば経験に裏打ちされた技術が要求されると言えよう。そして、場全体をリラックスしたものにしていかなければならない。緊張がある所には、一人一人が本当の姿を見せる事は無い。あかるくなければならない。あかるいとは、エネルギーがあると言うことだ。エネルギーが不足すると流れが滞り、問題もおきやすい。良い流れ、自然な流れがある時は、場はあかるい。学舎の課題は、いる人達自身が、学舎の真の価値や可能性、その意味を理解し、自覚していないところにある。学舎がどうあるべきか、というビジョンが弱い。これだけの多様性を持って人間の生き方を提示出来る場は貴重だと思う。これからの時代、特に学舎のような生き方は必要になって来ると思う。以上が学舎への思いから出た課題部分だ。この事は、学舎にいた頃から感じて来た事だったが、東京で自分が取り組んで来た仕事によって、より深く見えて来た事だ。私達は絵画表現と言う媒体を通すことで、こころの奥に入りやすい。また、美を生み出すという、はっきりした方向性が見えている事で、本質から逸れる事が無い。なぜか。美から逸れないことが、彼らのこころの本質から逸れない事でもあるからだ。気持ちよく、身体も精神も活き活きしている時こそ、美が生まれる。創る人も、見る人も美の前で同じ心地よさを味わう。美とは生命のバランス感覚だ。生物はみな快に向かう。気持ちよいもの、心地よいもの、美しいもの、笑い、それらは生命が本来的に持っているバランスの中から出て来る。美味しい食べ物が身体を養うように、美によって我々は存在の充実感を味わう。美しく生きるとは、美しさを発見出来る、精神の純粋さを磨くと言うことだ。本能が気持ちよいと感じる場所に美がある。

さて、最後にこのレポートのテーマである、無垢なるこころとは何か。言い換えれば、私が学舎で出会った人達に見、今はダウン症の人たちに純度の高い形で見出しているものは何か。これがもっとも重要なテーマだ。無垢なる魂、それは私達自身の心の奥にある。
私は16の頃、共働学舎とそこに生きる人たちに出会った。若い頃に彼らと、非常に深い魂の繋がりを持てた事は重要だった。その後22歳になったころ、ダウン症の人たちに出会った。アトリエ・エレマン・プレザンを主催する佐藤肇、敬子のアドバイスを受けて、自分の教室を持つ事となった。私の追求して来たテーマはずっと変わらなかった。生活を通してであれ、制作を通じてであれ、人間のこころの奥に入り、つながり、そこにある根源的世界を共有していくこと。人間のこころの奥にある無垢なる魂は、障害を持っている人達に顕著に現れていた。無垢なる魂とは何か。無垢であるとは、こころに何一つ無駄なものをつけないこと。真の「素」であることだ。学舎ではやしさんに出会ったとき、崇高なものを感じたことは書いた。あのとき感じた崇高さは、森や海に感じるような自然さでもあった。例えば、野生の動物の動き方の美しさ。人間も本来はそのような美しさを持っている。無駄なものが削ぎ落とされ、「素」になった時に、そのような存在の尊厳が現れる。そして、私がこれまで、見てきた中で、もっとも人間の無垢なる「素」の姿、こころが現れているのがダウン症の人たちだった。私達の社会では、人間のこころにあまりに多くのものがくっついてしまっていて、素になった時に現れる、本来の豊かさはなかなか見えて来ない。
では、こころの無垢なる領域から、私達は何を学んでいけるのか。その心の在り方を知り、自分のものとしなければ意味が無い。理屈では決して見えて来ない。現実の生のこころを相手に実践し、どんな風に動くのか知ることが必要だ。実践から出て来た確信をここに書こう。こころがまっさらで、なんの滞りも無く、素であるとき、その動きはどのようなものだろうか。それは大宇宙や自然界の原理、原則と同じ動きをするのだ。それが、ダウン症の人たちが美を生み出せることの理由だ。自然にある秩序と調和こそ美の原点だ。人間のこころの奥には、宇宙があり自然がある。すべてがある。人間のこころに触れるとは宇宙や自然の奥底に触れることなのだ。私達に必要なのは感覚を研ぎ澄まして、ダウン症の人たちのような存在のこころを知り、自身の中にも同じものを見出していくこと。その事によって、この自然界の調和の声を聞き、真に豊かで平和な生き方を創ることだ。これをこのレポートの結論としたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。