2011年11月17日木曜日

無事産まれました。

みなさんには大変お待たせしました。
また、ご心配お掛けしました。

よしこは昨日、午後2時すぎに無事出産しました。
難産で、本当に大変でしたが、みなさまにも支えられて、
なんとか乗り越えました。

なんと陣痛開始から64時間、その前日からよし子も僕も不眠の状況でした。
サイズも大きく、4200グラムありました。
名前はアトリエのハルコさんがつけてくれました。
「悠太」です。よろしくおねがいします。

よしこもゆうたも本当に頑張ってくれた。
改めて、女性は強い、凄い存在だと感じた。
そして、出産って神秘で神聖なものだなと思った。
本当は男には近付くことの出来ない領域なのだと思い知らされた。
こんな場面を見せてくれた2人に感謝。
その間、アトリエを守っていてくれたイサ、みひろ、ありがとう。
そして、色んな場所から応援して下さっていた方々に感謝。

よしこの命に挑む真剣さにあらためて、尊敬の思いを持った。
自然な出産がしたいと努力を重ねて来た。
食事管理、運動、勉強、毎日、真剣に取り組んで来た。
僕自身もささやかながら、お灸とマッサージを欠かさなかった。
でも、よしこの真剣さはその比ではなかった。
それだけに、助産院での出産が不可能と判断され、
病院に移った時の彼女の涙は忘れられない。
なんとか本人の望むように産ませてあげたかった。
でも、その後での彼女の諦めない姿勢は立派だった。
病院でも陣痛促進剤を拒み、最後まで自分の力で挑戦しようとした。
僕は止めることが出来なかった。
それでも、どんなに頑張っても、ゆうたは出て来なかった。
お医者さんから、体力の限界だから、陣痛促進剤で早めて行こうと言われて、
僕達はあと一日だけ待って下さい、それで無理だったら、
先生の言うとおりしますと言って、最後の挑戦をした。
その時点でもう3日も寝ていなかった。
その日の夜、僕はお腹のゆうたに向かって語りかけた。
「人の力で人工的に出て来たくないどろう。今日が最後のチャンスだよ。自分の力で出て来なさい。」と。
その日の陣痛は凄かった。朝には絶対産まれるという勢いだった。
だから次の朝を迎えたとき、僕はよしこもゆうたもこれだけ頑張って、
出て来れないのには何か理由があるはずだと思った。
もうお医者さんの言うとおりにしようと。
なおも午前中は陣痛促進剤で最後の努力。
やっぱりギリギリのところまでいっても、戻ってしまう。
帝王切開が決まって、手術の準備を見守りながら、
よしこの無念さを思って涙が止まらなかった。
でも、よしこは強かった。
半身麻酔でお腹を切っているお医者さんに、
「かっこいいですね。」「それは、なんの道具ですか」と話しかけて、
微笑んでいる。やっぱり凄い女性だと思った。
無事産まれたゆうたをみたら、すべてのこだわりから解放された。
これで良かったと心底思えた。
ゆうたは狭い産道を潜ろうとしたあととして、
頭の先が細くすぼまっていた。2人とも最大限によく頑張った。
生命を疎かにせずに、命がけで立ち向かった。

考えたことがある。
出産前によく、経験者から「男はなんの役にも立たない。無力だ。」
という言葉を聞かされた。
出産に付き添いながら、最初の日、その言葉ほんとうか?と感じた。
僕は付き添いながら、自分に出来る事があるし、
ささえることが出来ると実感していた。
陣痛のタイミングも本人が力を少しでも抜くことが出来る間合いも、
分かった。
役に立たないと言ってしまうのは、
出来ることをやり抜かない言い訳になってしまう様な気がした。
制作の現場でも同じことが言える。
どんなに僕達スタッフが努力しても、描くのは作家たちだ。
その絵の答えはその本人にしかない。
ある意味で僕達はどうすることも出来ない。
でも、役に立たないわけでも、無力でもない。
スタッフには役割があり、
スタッフの存在によって作家たちは安心して、
制作の深みへと入り込んで行く。

でも、さらにでも、
最後の日に自分で決断し、微笑みながらお腹を切られていた、
よしこを見ていて、やっぱり男は無力。
何も出来ない存在だと感じた。
最後の決断も命をかけ、命を守る真剣な姿勢も、
その尊厳はすべて本人にあるのだから。

出産を終えて、子供の形を見て、お医者さんも、
帝王切開で正解でしたね、と言ってくれた。
ゆうたは大きく、肩も固めで産道で回転することは出来なかったと。

2人は精一杯やり抜いた。
すばらしかった。

いっぱい、学んだ。
みんな、ほんとうにありがとう。
そして、これからも悠太をどうぞよろしくおねがいします。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。