2011年11月7日月曜日

これからのブログ

少し前に著作権について書いたが、そこで誤解もあるという部分にふれた。
日曜日のクラスで、てる君のお母さんやえいこちゃんのお母さんに、
保護者の方達みんながそういった考えでいる訳ではないと、
励ましの言葉を頂いた。
お2人のように深いご理解と、共感の思いを寄せて下さる方がいるからこそ、
私達もやって来て良かったと思える。
一番身近にいる保護者の方達に、本当は同じ思いを持っていただきたいと思う。
一方で、勿論、誤解される方のお気持ちも分からなくはない。

教室はすぐる君がお休みだったけど、他のみんなは元気。
面白かったのは、しゅへい君が日にちを間違えて来て、
せっかくここまで来たんだからみんなと描いて行けば、という場面があって、
向かい側に座っていた、てる君と仲良くお話ししていた。
てる君がしゅうちゃんの絵を見て、「白がいいね」と言う。
鋭いと思う。修ちゃんの絵はいつも余白の活かし方がシャープで美しい。
余白の方にこそ本質があったりする。
てる君が「僕も今日は白を描くよ」という。
最初の3枚くらいはいつもより色を使わない。
それがまたきれい。順応性の高さに驚く。
「休憩して、いつもの絵を描くよ」と言ってからは、
またいつものてる君の絵になっている。
このやわらかさと適合力の高さ、さすがてる君。

しゅうちゃんはいつもと違うクラスでも楽しそうに制作。
終わった後は小説を書く。
「また来週も来ていいですか?」「もちろん、いいよ」

しゅうちゃんと同じクラスのしんじ君から、たまたま電話がかかって来たので、
しゅうちゃんに渡すと、2人で楽しそうに話している。

しゅうちゃんは、本の査定の仕事をしているという。
「どうやって分けるの」「いい本と、悪い本と、普通の本に分けるんだよ」

教室が終わった後、片付けにも興味を示すしゅうちゃんだった。

さて、前回、自分の経験して来たことをふりかえることを通じて、
何かを伝えたいなどと大袈裟なことを書いてしまった。
少しそんな要素も入れて行こうと思うが、
同じ人間が書いているのであんまり、かわりばえもしないかも知れない。
これまでも結構本気で書いて来たので、これからも同じかも。

時々、聞かれることに、どんなきっかけでダウン症の人たちの世界にひかれるようになったのか、というテーマがある。
勿論、肇さんや敬子さん、それからよし子という、最初にその世界を見て来て、
教えてくれる存在に出会ったことが、興味を持つきっかけだったことは確かだ。
ただ、そこへ行くまでの人生の中で、自分なりの色んな必然性があった。
これまで出会った人達、先生や仲間達、様々な環境と出来事が、
教えてくれたことがあって、僕はダウン症の人たちの世界に出会った。
そして、この十数年で彼らの在り方からたくさんのことを教えてもらった。
彼らから直接学んだことは多い。
最も大切な事はほとんど彼らから教わったと言える。
僕は彼らに描きやすい環境と、安心感と、一体感を与える。
彼らのすぐれた本質を見せて欲しいから、
こころから楽しんでリラックス出来る状態をつくる。
そうやって彼らと僕は与え合って、一緒になって一つの世界に入る。
僕達はお互いを高め合っている。一方的な関係ではない。
彼らとつくって来た時間の中で、得たものは本当に大きい。

ようやく少しだけ見えて来た。
ようやく少しだけ分かって来た。
でも、まだまだ先は長い。終わりはない。
いつも新しく、いつも楽しい。

こんなに素敵な世界を知らずに生きていくのは勿体ない。
なんとなく、生きている人。
悩んでいる人、がんじがらめになっている人。
地位や権力やお金ばかり追いかけている人。
色んな人が居るけれど、こんなに奥深く豊かな世界もあると知ってもらいたい。

もし明日、世界が終わるとしたら、どんな気持ちになるだろうか。
この世界から何を見せてもらったか。なにを教わったか。
たくさんのものを見せてもらって、教えてもらって、
本当に素晴らしかったと言えるだろうか。
僕はいつでもそんな気持ちで生きていたい。

もっと奥深く豊かなものがある。
それがこの世界だ。
せっかく生まれて来たのだから、それを見てみたいと思えばいい。
僕はダウン症の人たちが生きている世界は、その事を教えてくれると思っている。

その出会いのきっかけとなった、これまでの話を時々書いていくことにする。
これまで通りの様々なテーマを書くことも続ける。
そんな予定でいる。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。