2011年11月25日金曜日

退院

よし子とゆうたは、水曜日に無事退院しました。
自宅で静養して、ゆうたにおっぱいをあげています。

よし子とゆうたが帰って来て、生活は一変した。
ゆうた中心に毎日の時間が流れている。昼と夜の区別もない。

朝、犬の散歩で外を歩いていても、見える景色が新鮮だ。
生まれ変わった様な気分。

でも、本当に一日の時間が足りない。

今日はこれから、明日の絵の具をつくる。
しばらく、テレビも新聞も見ていないが、立川談志が亡くなったと聞いた。
残念だ。
思えば、談志の落語を聞きに通った日々もあった。懐かしい。
嫌いな人も多いだろうし、もちろん、すべて肯定出来る人でもなかったと思う。
でも、僕は結構好きで聴いて来た。

前に、自閉症の人達のことを書いた。大雑把な捉え方ではあったけど。
そこでピアニストのグールドのことも書いた。
既に全体として成立している世界を、あえていったんバラバラに分けて、
捉え直して、独自に再構成するという在り方。
そこに彼らの世界像があり、それは科学的であり、現代的であるとも言える。
だから、今この時代を生きていて、そんな世界観を無視することは出来ない。
談志の落語もそうだったと思う。
落語自体の背景を分析し、パーツを置き換え直したりしていた。
本質を追究した結果、現代を無視出来ず、落語を解体して、解釈し直した。
もし、落語自体を素朴に信じ信頼し、芸を磨くだけに集中して演じていれば、
多分、名人と呼ばれていただろう。
誰からも批判されなかったし、尊敬だけされていただろう。
でも、どんな時も、本質を追究すると言うことは過酷なことだ。
敵も作るかも知れない。
それを恐れず、本質を追究した姿は誠実だと思う。

昔の人のことを考えると、スケールの大きい人も多いし、
大らかで、人間の本来の姿だなあと思える。
でも、僕たちはそこへは帰れない。
この時代にあった生き方。この時代にあった表現が必要なのだろう。

でも、だからこそ、一方でダウン症の人たちが持っている様な世界を、
深く経験し、知る必要がある。
現代に決定的に欠けた何かが、そこにあるだろう。

彼らは繋がりを生き、愛情と喜びを教えてくれる。
失われた環境や世界との本当の関係を思い出させてくれる。
繋がりを感じ取れる能力を蘇らせれば、
僕達はもっと幸せで、やさしくなれる。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。