毎日、自分の中で起きている変化を実感している。
不思議だ。何をしていても穏やかに感じられる。
何かが変わっている。
昨日はアトリエの後も用事があってゆうたに会えなかった。
今日はアトリエが終わったら会いに行きたい。
こどもが産まれると、こどもの目を通してもう一度、最初の世界を見ることが出来る。
そんな気がする。
制作の場でも実は同じで、僕はやっていて自分の知覚なり、感性なりが、
変化して来なければ、何も出来ていないと感じる。
一人一人に寄添っていると、色んなものが見えて来ると同時に、
少しだけ、自分の視点が変化している。
そうやって様々な人や存在や出来事が、自分の見え方、言い換えれば、
自分の生きている世界を作っている。
目の前で起きている現実を丁寧に大切に、あつかって行かなければならない。
それが自分を大切にすることだ。
スタッフを育てる時にも思うことだが、特にこのような場の場合、正解はない。
一つ一つの場面で、ここではこう振舞うべきとか、こういう子には、
こう接するべきとか、そういう決まった方法はない。
僕の中での答えはあるが、それは僕とその人との関係においてのみ、
意味を持つ。この時は、こうという教え方は出来ない。
でも、一番大事なこと、それだけは言葉だけではなく、
身をもって教えて行く。
それは、その人に向かって行く、あるいは制作の場に対する、
姿勢、覚悟だ。以前、気合いといういい方もした。
でも、本当にこの向き合う姿勢によって、同じ現実が違って来る。
身の回りに中途半端な現実しかないようなら、
自分の姿勢が中途半端なのかも知れない。
冒頭の話ではないが、実は犬一匹飼ってみても、世界は変わるものであるはず。
何をしても同じ変化のない自分を生きている人がいる。
色んなことを経験してみても変わらない。
それは、自分の姿勢や態度が変わらないからだ。
1人でヒマラヤに登って、ハアハア、ゼーゼー言っている自分を、
映像に映して、インターネットで公開している人がいる。
それを見て、感動し、勇気づけられるという人もいるようだ。
見せることで自分を慰めている人も、それを見て勇気をもらっている人も、
それは決して本物の経験でも体験でもないと知るべきだ。
彼はいつまでたってもヒマラヤへは行けないだろう。
なぜなら、いつでも電子通信の中で人と繋がり、
自分の頭の中でだけ生きているからだ。
だからヒマラヤへ行っても、自分の頭の中から一歩も出ることができない。
どれだけたくさんの経験を積んでも、そこへ向かう姿勢が変わらなければ、
何一つ変化はない。
姿勢が変われば、そのへんのオジサンからでも得るものは多い。
その人が見ているものは、その人そのものだ。
何かを大切にするのか、粗雑に扱うのかでは、同じものでも、
そのものの実感が変わって来る。
向き合う姿勢。
そこが真剣であったなら、たとえ間違っていても気付き、修正出来て来る。
友情、恋愛、家族、師弟関係。
真剣にその人に向き合うことで、自分が創られる。
今の自分の見ている現実が素晴らしければ、
たくさんの人がそれを見せてくれたんだと思う。
自分以外の人やものによって自分が創られる。
ちょうど、夫婦でお世話になっている友人の方がいて、
いま、そのご夫婦も出産を控えているお友達でもあるのだが、
だんなさんのほうと男同士で話していた。
女性はもっと大変だけど、男としても仕事との両立が大変ですね、
という流れだった。
彼は「両方は絶対難しいから、どっちも半分半分の力で行くしかないですよ」
と仰る。僕は絶対、そんな考え方は出来ない。
仕事や生活のみならず、何事に対してもそんな考えは出来ない。
半分半分なんて、そんな態度で生きたくはない。
出来るかどうかはともかく、すべて全力ですよ。
余談だけど、この前アトリエでさとちゃんが他の子と遊んでいて、
ちょっと半分ふざけて言い合いになった時、
急に「言っとくけど私、あなたのことみとめてるんだからね!」と言っていた。
すごいなあ、と思った。
例えば恋愛していて、ケンカでもして、こんな言葉を言える女性に出会ったら、
本当にハッとして勉強になるだろう。
なんというか人間力というか。