2011年11月20日日曜日

生きる姿勢

毎日、自分の中で起きている変化を実感している。
不思議だ。何をしていても穏やかに感じられる。
何かが変わっている。

昨日はアトリエの後も用事があってゆうたに会えなかった。
今日はアトリエが終わったら会いに行きたい。

こどもが産まれると、こどもの目を通してもう一度、最初の世界を見ることが出来る。
そんな気がする。

制作の場でも実は同じで、僕はやっていて自分の知覚なり、感性なりが、
変化して来なければ、何も出来ていないと感じる。
一人一人に寄添っていると、色んなものが見えて来ると同時に、
少しだけ、自分の視点が変化している。
そうやって様々な人や存在や出来事が、自分の見え方、言い換えれば、
自分の生きている世界を作っている。

目の前で起きている現実を丁寧に大切に、あつかって行かなければならない。
それが自分を大切にすることだ。

スタッフを育てる時にも思うことだが、特にこのような場の場合、正解はない。
一つ一つの場面で、ここではこう振舞うべきとか、こういう子には、
こう接するべきとか、そういう決まった方法はない。
僕の中での答えはあるが、それは僕とその人との関係においてのみ、
意味を持つ。この時は、こうという教え方は出来ない。
でも、一番大事なこと、それだけは言葉だけではなく、
身をもって教えて行く。
それは、その人に向かって行く、あるいは制作の場に対する、
姿勢、覚悟だ。以前、気合いといういい方もした。
でも、本当にこの向き合う姿勢によって、同じ現実が違って来る。

身の回りに中途半端な現実しかないようなら、
自分の姿勢が中途半端なのかも知れない。
冒頭の話ではないが、実は犬一匹飼ってみても、世界は変わるものであるはず。

何をしても同じ変化のない自分を生きている人がいる。
色んなことを経験してみても変わらない。
それは、自分の姿勢や態度が変わらないからだ。

1人でヒマラヤに登って、ハアハア、ゼーゼー言っている自分を、
映像に映して、インターネットで公開している人がいる。
それを見て、感動し、勇気づけられるという人もいるようだ。
見せることで自分を慰めている人も、それを見て勇気をもらっている人も、
それは決して本物の経験でも体験でもないと知るべきだ。
彼はいつまでたってもヒマラヤへは行けないだろう。
なぜなら、いつでも電子通信の中で人と繋がり、
自分の頭の中でだけ生きているからだ。
だからヒマラヤへ行っても、自分の頭の中から一歩も出ることができない。

どれだけたくさんの経験を積んでも、そこへ向かう姿勢が変わらなければ、
何一つ変化はない。
姿勢が変われば、そのへんのオジサンからでも得るものは多い。

その人が見ているものは、その人そのものだ。
何かを大切にするのか、粗雑に扱うのかでは、同じものでも、
そのものの実感が変わって来る。

向き合う姿勢。
そこが真剣であったなら、たとえ間違っていても気付き、修正出来て来る。
友情、恋愛、家族、師弟関係。
真剣にその人に向き合うことで、自分が創られる。

今の自分の見ている現実が素晴らしければ、
たくさんの人がそれを見せてくれたんだと思う。
自分以外の人やものによって自分が創られる。

ちょうど、夫婦でお世話になっている友人の方がいて、
いま、そのご夫婦も出産を控えているお友達でもあるのだが、
だんなさんのほうと男同士で話していた。
女性はもっと大変だけど、男としても仕事との両立が大変ですね、
という流れだった。
彼は「両方は絶対難しいから、どっちも半分半分の力で行くしかないですよ」
と仰る。僕は絶対、そんな考え方は出来ない。
仕事や生活のみならず、何事に対してもそんな考えは出来ない。
半分半分なんて、そんな態度で生きたくはない。
出来るかどうかはともかく、すべて全力ですよ。

余談だけど、この前アトリエでさとちゃんが他の子と遊んでいて、
ちょっと半分ふざけて言い合いになった時、
急に「言っとくけど私、あなたのことみとめてるんだからね!」と言っていた。
すごいなあ、と思った。
例えば恋愛していて、ケンカでもして、こんな言葉を言える女性に出会ったら、
本当にハッとして勉強になるだろう。
なんというか人間力というか。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。