2015年12月24日木曜日

クリスマス

今日はクリスマスイヴ。
雪でも降るのではと思っていたのだけど、朝から穏やかな気候。
昨日はあんなに寒かったのに。

去年はどんなだったかなあ、と思い出そうとしても思い出せない。

記念日みたいな日は好きではなかったけれど、
最近はそう言うのあった方が良いと思っている。

幸せを感じることが出来たり、
もっと大事なことは人の幸せを願う日になれば。

東京では僕は一人だけれど、いつでも繋がりを実感出来る。

さて、今年も本当にもう終わってしまう。
このブログも次が最終回となります。

色んなこと書いて来たなあ。

人の心にも場にも終わりと言うものは無い。
そして限界もない。
だからこのブログではそのほんの入り口に触れたに過ぎない。
そこから先は感じる世界。実感と共に生きる世界。

昨日、映画「アラヤシキの住人たち」のトークに、
畏友井上宗高が舞台に上がったので、応援に行った。
みんなで飲みに行ったが気がつけば途方も無い時間話していた。
時を忘れるとはこのこと。
あの映画の中で一番好きなシーンはラストと言うか、ラストの一歩前。
何でも無い景色だ。アイスが溶けてしまうから誰が食べるのか、
と語り合っているところ。みんなが居るということ以外に何も無い景色。
でもただそこにみんなが居る景色が愛おしく奇麗だと思える場面。

同じ景色の中に居た事もあった。

何も変わらない部分と、大きく変わってしまった部分。

金沢にも帰っていない。

滋賀に居た時、色んな場所から琵琶湖を見た。
僕には帰りの電車の素朴な景色の方がよっぽど奇麗だった。
もう使われなくなった旅館を寮にして、僕らは4人くらいで生活した。
京都まで友達の車で走ったり。

サラリーマンだった人が一度一緒に働くことになって、
食堂で一緒にご飯を食べた。
それぞれのラインに戻る時、「腹一杯になったかい?」と彼が呟いた。
悲壮感が漂っていた。

僕はいつでも楽しかった。どんな条件でも肯定して行けた。

石川には海も森も山も川も、そして街もある。
寒い冬と暑い夏。

小谷村に水害があった頃、あれから1年は北陸へ向かうバスが出ていて、
電車が通れないので臨時でだったか。
崖の間を通る凄い道だった。

祖母が亡くなった日の北陸の雷も思い出す。
電車は新潟から豪雪地帯をなかなか進めず、半日かけて金沢へ。
寒かった。雪と雷。強い風。

そっと特別な景色を見せてくれた人達がいる。
その人達が居なかったら現場などやってはいなかったと思う。

それから一人一人のこころの中を一緒に生きて行くことにした。
だからここには境界は無いし、もっというなら時間もない。
時間がないから無限だ。そこに入ったらそこにずっといる。

もう説明なんてしなくていい。
場には理屈なんてないのだから。
理屈は全て時間で出来ている。言葉も時間で出来ている。
時間は限界が設定されている。

時間が消えて、無限が顔を出す。
場はそこを見続けよと、そこを生き続けよと言っている。

生の深淵。
これまで見たどんな景色も、これから見ることになるどんな世界も、
すでにこの場にあって、無限に包まれている。

僕が産まれたあの消毒の匂いのする家。
天狗の大きなお面を見て角を曲がった一軒家。
それから祖父と祖母がいた映画館の前の家。
僕は今でもずっとあそこにいて、そして2015年の東京の冬。
ここにもいる。
遥か彼方からずっと見ている視線。
人生の始まりから、終わりまで。
そしてこの世界の始まりから終わりまで。
遥か彼方から、見渡す視線。
それは自分自身のものでもある。

あんなに辛いことの連続だった人達も、今は穏やかに微笑んでいる。

今いる場所が何処なのか、これが何なのか、いつか思い出すよ、と
遥か彼方からの声が聞こえる。

この世界は途方も無い。
無限に抱かれて、そこで立っていればそれで良い。

どんな状況の中にいる人も、例えひと時でも幸せを感じられますように。
ハッピーであれる人は、この瞬間に喜びを噛み締めよう。

こころの奥にある時間の無い場所では、全てが完成されているのだから。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。