2015年12月13日日曜日

場の神が降りて来る

土、日曜日のアトリエを終えて、沢山のことをまた教えられている。

本当に良い現場だった。
作家達の凄さが溢れ出ていた。
全員が最高の水準で制作していた。

そして、スタッフとしての自分の仕事、役割としても、
驚くほど正確で奇麗に動けていたし、必要なところで芯を捉えて、
深いところにぐっと入ることが出来ていた。

スポーツ選手や勝負事の世界を生きている人達、
あるいは芸術や芸能等の人達であれば、
最高の出来の時に神が降りて来たかのような瞬間があるだろう。
僕達の場を創るという仕事においてもやはり、そういうことはある。

よく言われるゾーンに入るというような。

やって来て良かったなと思える時だし、最高の幸せを感じる。

僕達の場合は良い時、悪い時が無いように、いつも一定の水準は保っているし、
かなりのレベルで仕事しているという自負はある。

それでも時に次元の違うような神懸かりのようなことが起きる。

この2日間は特に良かったけど、
この一年くらい、僕の入る現場はもう一段深まって来ていると感じていた。

これは不思議なことだ。
僕自身の感度は確実に落ちているし、腕も落ちている。
それははっきりと分かっていて、冷静に自覚している。
けれど、場自体はむしろ質が高くなっている。

不思議なことだし、場が何かを教えてくれているのだと思う。

いずれにしても僕の力ではない。

でも確かなことは作家もスタッフも全員がその瞬間全力で生きている、
ということ。
出し切っている、ということ。

全力同士が響き合うことほど楽しいことは無い。
生命が喜び活性化する瞬間だ。

可能性を閉じない、ということ、活き活きと全身全霊でその場を生きること。
そのことの大切さを噛み締めている。

出来なくなって行くことは多くても、
よりシンプルに力強くなれるのかも知れない。

それにしても一人一人の命の力や輝きがどれほどのものなのか、
思い知らされる。

分かり易く言えば場はチームプレー。
誰一人欠けても最高の時間にはならない。
自分を捨てて、場にとって良いプレーを出し合う姿。
社会全体がこの一つの場のようになれば、どんなに良いだろう。

人間にとっての基本は場の中に全部あると思っている

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。