2015年12月16日水曜日

僕達の中に

あまり寒くならないのは有り難いけれど、
何だか変な天気が続いている。

年末の仕事に追われ、やるべきことで出来ていないことも多い。

このブログもあと数回となってしまった。

この数年でも多くの出会いと別れがあった。

離れた場所で生きている人達をずっと思っている。
出会えたことに感謝している。

これからはより芯に入る伝え方や現場をやって行きたい。
僕自身、少しづつ在り方に変化が起きている。

ここでの言葉は場が見せてくれた美しい景色を描写する為にあった。
このブログが終わっても、どこかで話すだろうし、
直接お会いした方達にも伝えることを続けるだろう。

作品は直接、心の奥の世界を見せてくれるだろう。

ここでもやってきたように繰り返し描写していく事が大切。

イサには何度も何度も魂の場を見せて来たし、
芯に入るような情景を描写して来た。
それらの場面が彼の中を生きて動いてくれる日がくるだろう。

沢山の景色を僕に残してくれた人達が、この世から去って行った。

今僕はここにたった一人で座ってこれを書いている。

僕のことを佐久間さんは来る者は拒まず去る者は追わずだね、
と言った人がいるがそれは違う。
場と言うものは、いや、人生自体がそうなのかも知れないが、
来る者は拒むことは出来ない、去る者は追うことが出来ない。
それがこの世界の掟であるとも言える。
場はいつもやさしく、そして、厳しかった。
そこでは、どんなことも自分が決めて行くしかない。
自ら落ちて行く人、罠に嵌って行く人、逃げて行く人、
道から逸れて行く人。
手を差し伸べることは出来ない。それが場の仕組みなのだから。

僕達は明日どうなるのか分からない世界にいる。
この瞬間に良いものを残さなければならない。
目の前にいる人と一緒に行けるところまで行っておかなければならない。

僕の師匠だった禅の老師さんと名古屋の街を歩いたことがあった。
「のっぽ、お前が次にここを歩いた時、もうこれはないぞ。わしも居ない」
急にそう言われて、何も答えられなかった。
あの時の景色は忘れられない。そして言葉通りになった。

学舎時代、親方と金沢まで電車に乗ったことがあった。
東京から乗ったのだから、あれは学舎に居た頃ではなかったのだろうか。
記憶が定かではない。
その前後に父と会っていた気がする。
父がそば屋の戸をバーンッと乱暴に開け「もりくれっ」と怒鳴ったのが、
記憶の片隅にある。
親方とは電車の中で運命や神や、宇宙に他の生命体が居るのかについてや、
世界に終わりがあるのか、宇宙のどこかに天国があるのか、
等と少年のように純粋に語り合った。
金沢までかなりの時間をかけて走る電車で、通過する場所によって寒さが厳しかった。
あの電車ももう無い。

やまちゃんもノブちゃんもたくみさんも、そして片山さんも親方ももう居ない。

人生の全てが凝縮されたような素晴らしい現場がいくつもあった。
一緒に居た人達はため息をついたり涙を流したりした。
これ以上のものはない最高の瞬間。
僕らはその景色を一緒に見て来た。

大きな木が目の前にある。それを見上げると、どんどん視点が上に上がって行って、
その木自体も途方も無く大きくなって行く。
僕は別の目で別の世界を見ている。ここはいったい何処だろう。

悠太の声。「上かなー、下かなー、何処かなー」。
ここは一体何処だろう。夜の闇が何処までも広がる。

沖縄の陽射しの中で中年の男が言った言葉「ずいぶん遠くまで来てしまったなあ」
本当にいつの間にか、遠いところまで来てしまった。

ハルコの声。「もっと深く掘って。お空まで届くまで」
僕達は掘り続ける。日は暮れて行く。

身体の奥が揺れ続けていた。
津波の映像を見続けて、自分自身が大きな波となったようで、
全てが壊れ、流されて行く動きそのものとなっていた。
何の感情も感覚も思考も動かず、ただ大きな大きな波と化していた。
やがて奥の方から光が射し、調和に包まれて行った。
世界はそれでも輝くものとしてそこにあった。

ピグミーの歌声。何層にも何層にも折り重なって、
無数の線がそれぞれの道を走りながら分け入りながら、
無限のように、どこまでも複雑に混ざって行く。
それぞれはバラバラに動きながら、全体は一つの声を出している。

古代の人類が洞窟に描き残した壁画のように。
無数の時間と無数の空間が、一つの画面の中で重なっている。

夢の中のようなタルコフスキーの映画。その映画の中にこの世界があるかのように。

友枝喜久夫が舞っている。柔らかく無限と戯れる。
全ては仮のもの、仮の姿なのだと。
ここは夢の中で、全ては鮮やかな光の戯れなのだと。

一つの場が語ってくれること。
この光り輝く場所に、この世界の全てがあるのだと。

僕達はみんな終わりの場所に立って微笑み合っていた。
全ては本当に美しい。
だからどんなことがあっても大丈夫だよ。
この景色を見にこうね。忘れないでいようね。
ここでこそみんなが安心して仲良く一緒に居れるのだから。

そして、いつでも、どんな瞬間にも、その場所はある。
一人一人の心の奥深くに。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。