2014年9月30日火曜日

魔法の時間

僕が居ない時も含めて、この東京のアトリエで日々流れている時間。
一度、創造性の源に触れれば、まるで魔法のように自然に美が生み出されて行く。
始まりも終わりもなく、あまりに自然に。

終わってみると、今目の前にあった世界が魔法のように感じられる。

公開制作でてる君が見せた魔法のような時間。
16点並んでいる作品が全て必然のように感じられてしまう。
どこを切り取っても完璧なのに、完璧さに伴う硬さがまるでない。

本当のもの程、美しいもの程、良いものほど儚いものだ。

展覧会も残りわずかな時間となってしまった。
こうして確かに存在して輝いている世界ももうすぐ消えて行ってしまう。
多くの方に見て頂きたい。
そして自分の体験として記憶に残してもらいたい。

夜、ラヴェルを聴いた。
つい最近発売されたチェリビダッケの演奏。
中古でなく新しいCDを買ったのも久しぶり。

チェリビダッケの演奏するラヴェルは、儚い魔法の時間に誘い込む。
美しいものはいかに儚いか思い知らされる。

それにしてもあまりにも美しい。

霧の中で佇んでいるようだ。
現実は遠いむこうにあって、夢とか幻の世界に居る。
お伽噺の中に。
それなのに、現実から離れれば離れるほど、この夢がリアルになる。
現実よりこちらの方が本当なのだとさえ思ってしまう。

特に「マ・メール・ロワ」の美しさ。
全く現実離れしているのに、具体的な現実の記憶や感触が自分の中で甦って来る。
輝く瞬間が今、生まれ消えて行こうとしている。
音楽を聴いて涙が出て来た。

どれだけさみしく、悲しくなろうとも、それ故に輝くものがある。

疲れない為に、失わないために、悲しまないために、生きている訳ではない。
認識の深みに向かって行くことは、儚さや悲しさを見つめて行くことでもある。

見ないようにすることで、本当に美しいものを損なってしまう。

見ていよう、感じていよう、全てを受け取ろうとすることが大切だ。
まだまだ歩き続けなければならない。
旅の途上で見える景色が重なり合って浮かんでいる。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。