2014年9月1日月曜日

健康

今日は雨。
アトリエで打ち合わせがある。
プレのみんなにも久しぶりに会える。

夏の公開制作の真ん中の日に、
尊敬している珈琲屋さんが豆を送って下さった。
凛としていて、身体も心も洗われるような味だった。
こういう仕事をしたい、と強く思った。

清潔で品のある仕事。
しっかりと張りはあっても、柔らかく透明感があるような。

自分はまだまだだと思う。

未だにあるものや人と戦っている部分がある。
戦うのは比較するからであって、そこを超えた所に行かなければならない。

本当のものに近づけた時、良い仕事と思えることを出来た瞬間、
汚い言葉だが、ざまあみろ、という気持ちがどうしてもある。

悔しい想いをずっとしてきたから。
端的に言ったら、僕が出会った人達、今でもずっと関わっている人達が、
ぜんぜん理解されていない。
もっと面白いのに、そしてもっと凄いのに、と思う。

午前のクラスで制作している作家にこんな人がいる。
彼はアトリエに来ると、まず制作の場と廊下とを区切るドアを閉めるのだが、
その時、廊下へ向かって、「おぼえとけよ」と言う。
そのまま椅子に座って紙と絵の具に向かって静かに手を合わせる。
そしてすぐに描き始める。

僕はいつも彼に共感する。
僕も場に入るときはいつでもそんな気持ちだ。
おぼえとけよは、人ってそんなもんじゃないぞ、ということで、
本当のものに僕達は向かって行く、
それが出来る事をこの場で証明してみせるという気持ち。
それから場にたいして感謝と祈りの気持ち。

未だに心ない発言を聞く事がある。
でも、もうそろそろ言い返すのはやめにしたい。
正直に言うなら付き合う時間がもったいない。

これは単なる一例にすぎないが、
しばらく前に作業所の高齢の職員の方が、
絵の具の素材等をもっとこうしたら良い、とかトンチンカンなことを言っていた。
この程度の事は良くある事なので別に腹も立たないが、
もっと大きな話でも同じだ。
そのように思う人は自分でやればいい。
もっと言うなら、やってみせて欲しい。
結果の違いは分かる人には分かる。

外から何かを批判する人の気持ちが本当にわからない。
僕も何かを批判する時はある。
でもそれは自分がやっているからだ。

こちらは形で見せて来た。
それが違うと思う人達は形でそれ以上のものを見せて欲しい。
残念ながら出来ないだろうが。

生きているのだから対話したい。
こう思いませんか、と投げかけたものに対しては、
私はこうですよ、と答えて欲しい。
僕らは場に入ればいつもみんなそうしている。
傍観者のように外から採点する人は一人もいない。
あなたは誰ですか、と聞きたい。
姿形のない人や意見と対話など出来ない。

あの珈琲が教えてくれた事は、美は人を健康にするということだ。
早くそういう世界に行きたい。
良い場も人を健康にする。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。