2014年9月11日木曜日

秋の雨

雨が続きますね。
昨日は上野からの帰りが大雨で美術館の方に傘を借りました。

いい音楽を聴きたいなあ、と最近思っています。
それも新しく出会いたいです。

何も付け加えられていないもの、素のもの。
そのものがそのまま目の前にあったらどうするだろうか。

ここのアトリエから生まれている作品は、
そういう意味で最も素の状態に近いものだ。
彼らの本来持っているものはこういう世界だと言える。

だから見た方の反応も本当に素直だ。
昨日も絵ではないけれど、ものをつくっている方が感動を伝えてくれた。
言わずにはいられないといった雰囲気でこちらも嬉しかった。
大切なもの理想とするものがすべてここにあると仰った。

見るとか経験するとかいうことは本来こういったことで、
あれこれ理屈をこねまわすことではない。

素材や手法や意図ばかり質問してこられる方もいるが、
そんなことは何ら本質的な話ではない。
どんな道具を使って描いてもかまわない。

問題なのは内面が触れ合って、響き合って、一緒に見つけて行っているのか、
それだけだ。

もっと広い場所で沢山の素材を使って自由に制作すれば良い、という意見も聞いた。
そのように思われるなら、おやりになってみてはいかがでしょうか。
はっきり言ってしまえば、このレベルの作品は生まれないでしょう。
それは保証します。
さあ、何でもあるよ、自由にどうぞ、といって、人が自由になれるなら、
誰も苦労はしないでしょうね。

何か下らない書き込みもありますが、
見たら何でも言って良いというのはどうでしょうか。
発言には責任があります。

直接対話させて頂ければ、全てお答えします。

繰り返すが、大切なことは一つだけだ。
目の前の作品が自分のこころに響くものなのかどうか。
何か感じるかどうか。
感じるのなら、心をうつものなら、それは何かなのでしょう。

何も感じないのなら、残念ですがそれは現時点では縁のないものでしょう。

それだけのことです。

作品から何を感じるかは人それぞれです。
自由です。
ただ背景に関しては自分の偏った憶測で、
ああだこうだと詮索するのは下品で無礼な行為と知りましょう。
もし本当に知りたいのであれば、知っている人に聞きに行くべきです。
興味本位ではなく真摯に知りたいと言えば、
本気でやっている人なら教えてくれるでしょう。

まあ、これは人生のことだけど、
良く思うのは耳を澄まさなければ聴こえないものがある。
一生気づかない世界もある。
知れなければ損だよとは誰にもいえないが、
僕自身は気づけることを幸せに思う。
自分の知っている馴染みのある世界が全てでないことに豊かさを感じる。
未知のものに日々出会えることにワクワクする。

世界は奥深いなあ、とため息が出る。

いろんなことがあった。
沢山のことを思い出す。
過ぎて行った夏に再会出来た人たち。
みんながいつでもいてくれたことに感謝している。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。