昨日も取材を受けた。
今日は、ボランティアで何かお手伝いしたいと言ってくれている方と会う。
名刺を数えると、今年に入ってからもう40人近くの新しい人と会っている。
これから繋がりが出来て来る方が、この中にいるのだろう。
さて、前回の続き。
私達の持つ思い込みについて書いてみた。
何かを専門にしていると、普通の人では分からない様なことが分かったりする。
そのかわり、普通の感覚がいつの間にか分からなくなる。
プロゆえの思い込み、専門家ゆえのとらわれと言ったものがある。
人間にとっての基本的な条件は、どこで何をしていてもかわらないはずだ。
本当は素人には分からないという様なことはないと思う。
ましてや、教育や子育を勉強して何になるのだろう。
福祉を専門に勉強して来た人達が、例えば障害を持った人とこころをが一つになる、
という経験がいかに難しいか、
僕は近くでたくさんの例を見て来た。
勉強や訓練や知識がかえって邪魔になる。
相手のこころとの距離が生まれてしまう。
知的障害と言われる人達を、発達心理や治療の観点から、
あるいは福祉的にどれだけ勉強しても、彼ら本人のこころを知る事は出来ない。
僕にははっきりとそう言うことが出来る。
では、僕には彼らのこころが分かるのか。
あまりにもはっきり言う人がいないので、あえて言わせていただくと、
多分、専門家と呼ばれている人達よりははるかに分かるし、
彼ら自身も僕を分かり、お互いに繋がることが出来る。
僕自身、人生のほとんどの時間を彼らと共にして来たのだし、
そろそろ、こういう事ははっきり言っていこうと思う。
それはさておき、人は訓練して自分の限界を作っていく。
社会の仕組み、教育の仕組み自体がそのように出来ている。
いつの間にか、出来ない事だらけ、限界だらけになっている。
そして、分からないから専門家に聞いてみようと。
でも、限界をあえて作ってしまっているシステムと同じもので、
専門家も作られている。
気がつかないうちに、みんな自分の限界の中で生き、
そこからしか、ものを見ようとしなくなっている。
以前に書いた、あるのに無いことにされている世界というのは、
こうして出来て来る。
僕自身も30代前半の若僧にすぎないが、
10代、20代の人達と接していても、若さを感じない。
僕の方が若いと思ってしまう。
彼らは若くして歳をとってしまっている。
歳をとるとは、知ってしまうこと、あきらめてしまうこと。
一言で言えば世界を固定してしまうことだ。
世界を固定しなければ、精神はどこまでも若い。
若いとは固まっていないことだ。
柔軟さ、やわらかさがあるということ。
動きに順応していくことだ。
はっきり言って、私達の生きているこの世界は、
私達の思っている様なものではない。
私達の見ているものではない。
何故なら、世界は絶えず動いているからだ。
だから、何に関してもこうだと決めつけてはいけない。
狭い世界に閉じこもってはいけない。
限界は絶えず自分で作り出してしまう。
ある意味でそれはしかたがないことだ。
だから、絶えず自分で創り出してしまったものを超えていこうとする事だ。
逆境に強い人でも、ツキとか幸運に弱い人がいる。
つまりツイている時の方が、逆境にある時より精神力が試される。
こういう事は言う人がほとんどいない。
でも、僕はこんな場面によく直面する。
その反応は無意識におきている。
「こんなに上手くいくはずがない」と思ってしまう。
あるいは「これだけいいと、次は悪くなるだろう」とか。
そうやって自分の限界に戻ってしまう。
同じ世界しか見えなくなる。
ツイている時、流れが良い時、あり得ないほど上手くいく時がある。
自分が自分を超えて、全く未知の領域に直面する。
そこの手前で人は無意識の恐怖を感じてしまう。
その流れに乗るためには日頃から、世界を固定しないこと。
絶えず超える覚悟と勇気を持つこと。
たぶん、何かを極めた人が行き着く場所。
極みとか至芸と呼ばれる場所は、それに近い。
ギリギリまでは訓練でそこまでいくのだが、
そこから一歩超えなければならない場所、
もう一段深い、ある意味で次元が違うところがあると思う。
そこがただの名人とか一流という、上手さ技の頂点にいる人と、
そのさらに上の「極み」と言うものの違いで、
たぶん、私達から想像出来る一歩先があると思う。
決めつけて、人間はここまで、
人生とは世界とはこういうものだと思って生きていると、
一生自分の枠の中に留まり続ける事になる。
さっきの良すぎる流れだけど、
実は僕達のアトリエでは、そんなことは良くある。
もし、作家がその次元に行ったら、スタッフはその瞬間を逃してはいけない。
上手く行き過ぎても、まだ奥あるだろうというくらいの度胸はいる。
どこまででもいけるところまでいく、という勢いが欲しい。
逆境に強いプラス、ツイている時に強いという部分が必要だ。
どちらにしても、迷いや不安が限界を作ってしまう。
どこに行くのか分からないから、迷ってしまう。
何度も書いたが、分からないことを楽しめるようになろう。
操作出来ないもの、予想出来ないものに、適切に触れられるようになろう。
アトリエで制作を見ているダウン症の人たちは、
迷わない、悩まない。色を置いたら、次の色や線を即座に見つける。
消さない。描き直さない。失敗もない。
これが「流れ」だ。流れは途切れさせてはならない。
例えば偶然、絵の具がこぼれる。しまったと思うか、わーキレイと感じるか。
これは人生と一緒だ。
何かがおきる、次々事態はかわっていく。
その偶然をどう受け止め、配置していくか。調和して行くか。
一度、引いてしまった線は、消すことができない。
やり直すことは出来ない。
だから、その横に何を置くか、次にどうするかだ。
そう言う意味で、彼らの制作へ向かう姿勢から、私達が学ぶことは多い。
瞬間、瞬間が勝負だ。
超えていくこと。限界を超えて、あたらしい場所に行くこと。
逃げることも、失敗したからやり直すと言うことも出来ない。
だから勝負しよう。
気持ちよく、人が幸せになるための勝負だ。