今日は午後のクラスに雑誌の撮影が入る。
制作の場に人が入る時は気を遣う。
いつもと同じようにしていても、いつもの様な雰囲気にはならない。
場に他の意識が入ってくるからだ。
それを見極めつつ良い場にしていかなければならない。
みんなを緊張させないことが一番。コツがあるが、上手く言えない。
昨日のクラスはゆりあがお休みで、久しぶりに1人で現場を見た。
1人で向き合うと言うことも、僕達にはとても大切な事だ。
責任は重くなるが、得るものも大きい。
よしことゆうたは次の検診まで三重にいます。
よしこは東京での疲れが出たのか、風邪をひいているようだ。
少しでも休めるといいけど。
前回、周りのものや、付き合う人や環境を変えれば、自分は変わると書いた。
人は環境と関係で出来ていると。
歴史を見たり、様々なジャンルの成り立ちを見ていると、
偉人が密集している時代がある。
スポーツでもレベルの高い選手が多い時代がある。
しばらくそうでもない時代が続いたり。
科学でも凄い発見が連続する時期と、小さな変化しか無い時期がある。
偉大な人物が多く輩出される時代。
なぜ、まばらに分散して平均的にならないで、密集するのか。
やっぱりこれも、人は響き合う存在だということの例だと思う。
「動きに順応する」というテーマで書こうと思っていたが、
多分、これを書くと時間が足りないので次回にする。
今回は人が物事を吸収していく時間の大切さを考えたい。
これは制作を見守る時も深く自覚しておく必要がある。
それに制作そのものが、人にとって時間の意味に気づかせてくれる。
時間をかけることが必要で、短縮しては意味が無いと何度か書いて来た。
そこと当然関係してくる。
実は経験なんてすべてかかった時間分しか吸収されないと思う。
例えば劇的な体験をしてがらっと変わるとか、本当はそんなことはあり得ない。
もし、そんなことがあったとしたら、それはその体験以前のその人の、
蓄積と関係している。
何かをきっかけに良くなったり、悪くなったり。
人は本当に難しい。
でも、きっかけはあくまできっかけだ。
ガラッと人が変わって良くなったとかやさしくなったとか。
それは、それまでに実はいろんな経験が蓄積されている。
逆に何かのきっかけで心が落ち込んで、病気になってしまう人もいる。
実はそれも、その前からの長く蓄積されて来たものがある。
心にも身体にも癖がある。
その時は力でカバー出来ていたのが、長く続いていくと壊れてしまう。
人間は自分が呼吸するリズムでしか吸収出来ない。
良いものに触れようが、悪いものに触れようが、
良い経験をしようが悪い経験をしようが、それが続いていかなければ、
自分の中には入って来ない。
長い目で見るとよく人は言うが、
このことを本当に自覚して生きている人は少ない。
私達が気をつけなければいけないのは、
瞬間的な体験や経験ではなく、
長く続いていくくり返される時間の中での物事だ。
僕の様な仕事をしていると、「こういう怖い事があって精神を病んでしまいました」
という様な相談はたくさんある。
でもその人を見ていくと、長い間、怖いという経験が積み重なっている。
怖い事があっても、もしその時だけなら、あー怖かったで終わる。
あービックリしたという様な出来事でも、
ずっとくり返し植えつけられていると、ある時にきっかけになってしまう。
良い経験にしても、その時、良かっただけで終わってしまうものがほとんど。
一昔前で言えば、インドに行って人生観が変わったとか。
帰って来てみればすぐに元に戻ってしまう。
修行したとか、臨死体験したとか、あの時凄い体験をしたとか。
みんな、美味しかったで終わり。
でも、もしそれが持続的に長い時間くり返されていたら、
やがてそれは自分に吸収されていく。
大事なのは経験と、その中味を自分のものにする事は違うということだ。
こういう事は、自覚していくと良い人生が送れる。
良いもの良い経験を自分に刻み付けていけばいい。
やがてそれが滲み出てくる。
制作の場でも僕達が見ているのは、良かった、悪かったではなく、
その先にあるもの。それが持続していくとどうかというところだ。
良いものも、悪いものも、自分に入って自分のものになるのには、
長い時間が必要だ。
悪いものでは、そんなに悪くないじゃんという意識を警戒する。
その時はたいして悪くなくても、続けるとどうなるか。
良いものも、すぐにあらわれはしない。
よく効く薬は副作用が強いものだ。
良いものには時間がかかる。焦らず気長に、良いことを続ける。