2012年1月15日日曜日

吸収する時間

今日は午後のクラスに雑誌の撮影が入る。
制作の場に人が入る時は気を遣う。
いつもと同じようにしていても、いつもの様な雰囲気にはならない。
場に他の意識が入ってくるからだ。
それを見極めつつ良い場にしていかなければならない。
みんなを緊張させないことが一番。コツがあるが、上手く言えない。

昨日のクラスはゆりあがお休みで、久しぶりに1人で現場を見た。
1人で向き合うと言うことも、僕達にはとても大切な事だ。
責任は重くなるが、得るものも大きい。

よしことゆうたは次の検診まで三重にいます。
よしこは東京での疲れが出たのか、風邪をひいているようだ。
少しでも休めるといいけど。

前回、周りのものや、付き合う人や環境を変えれば、自分は変わると書いた。
人は環境と関係で出来ていると。
歴史を見たり、様々なジャンルの成り立ちを見ていると、
偉人が密集している時代がある。
スポーツでもレベルの高い選手が多い時代がある。
しばらくそうでもない時代が続いたり。
科学でも凄い発見が連続する時期と、小さな変化しか無い時期がある。
偉大な人物が多く輩出される時代。
なぜ、まばらに分散して平均的にならないで、密集するのか。
やっぱりこれも、人は響き合う存在だということの例だと思う。

「動きに順応する」というテーマで書こうと思っていたが、
多分、これを書くと時間が足りないので次回にする。

今回は人が物事を吸収していく時間の大切さを考えたい。
これは制作を見守る時も深く自覚しておく必要がある。
それに制作そのものが、人にとって時間の意味に気づかせてくれる。
時間をかけることが必要で、短縮しては意味が無いと何度か書いて来た。
そこと当然関係してくる。
実は経験なんてすべてかかった時間分しか吸収されないと思う。
例えば劇的な体験をしてがらっと変わるとか、本当はそんなことはあり得ない。
もし、そんなことがあったとしたら、それはその体験以前のその人の、
蓄積と関係している。
何かをきっかけに良くなったり、悪くなったり。
人は本当に難しい。
でも、きっかけはあくまできっかけだ。
ガラッと人が変わって良くなったとかやさしくなったとか。
それは、それまでに実はいろんな経験が蓄積されている。
逆に何かのきっかけで心が落ち込んで、病気になってしまう人もいる。
実はそれも、その前からの長く蓄積されて来たものがある。
心にも身体にも癖がある。
その時は力でカバー出来ていたのが、長く続いていくと壊れてしまう。

人間は自分が呼吸するリズムでしか吸収出来ない。
良いものに触れようが、悪いものに触れようが、
良い経験をしようが悪い経験をしようが、それが続いていかなければ、
自分の中には入って来ない。
長い目で見るとよく人は言うが、
このことを本当に自覚して生きている人は少ない。
私達が気をつけなければいけないのは、
瞬間的な体験や経験ではなく、
長く続いていくくり返される時間の中での物事だ。

僕の様な仕事をしていると、「こういう怖い事があって精神を病んでしまいました」
という様な相談はたくさんある。
でもその人を見ていくと、長い間、怖いという経験が積み重なっている。
怖い事があっても、もしその時だけなら、あー怖かったで終わる。
あービックリしたという様な出来事でも、
ずっとくり返し植えつけられていると、ある時にきっかけになってしまう。

良い経験にしても、その時、良かっただけで終わってしまうものがほとんど。
一昔前で言えば、インドに行って人生観が変わったとか。
帰って来てみればすぐに元に戻ってしまう。
修行したとか、臨死体験したとか、あの時凄い体験をしたとか。
みんな、美味しかったで終わり。
でも、もしそれが持続的に長い時間くり返されていたら、
やがてそれは自分に吸収されていく。
大事なのは経験と、その中味を自分のものにする事は違うということだ。

こういう事は、自覚していくと良い人生が送れる。
良いもの良い経験を自分に刻み付けていけばいい。
やがてそれが滲み出てくる。

制作の場でも僕達が見ているのは、良かった、悪かったではなく、
その先にあるもの。それが持続していくとどうかというところだ。
良いものも、悪いものも、自分に入って自分のものになるのには、
長い時間が必要だ。

悪いものでは、そんなに悪くないじゃんという意識を警戒する。
その時はたいして悪くなくても、続けるとどうなるか。

良いものも、すぐにあらわれはしない。
よく効く薬は副作用が強いものだ。
良いものには時間がかかる。焦らず気長に、良いことを続ける。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。