昨日は本当に寒かった。久しぶりの雪。
一日休むことにして、ゆっくり過ごした。
今、パソコンを開くとメールの山。土、日に入ってしまった。
まあ、順番にいこう。
ここからは冬が終わるまで体調管理が大切。
時間がなくてもブログは書くと決めている。
さて、今日も教室前なのであまり時間はない。
そろそろ本題に。
ある時、学生の1人と話していた時、
「どうしてあげたらいいのかな?」と聞かれた。
友達が悩んでいる、苦しんでいるという状況の時だ。
どうしてあげれば、という素直な質問にはっとした。
そうかあ、と。どうすることも出来ないという経験をまだした事が無いのか、と。
「本当に大変な状況にある人には、なんにもしてあげられないよね。
ただ、一緒に居てあげる。それしかないよね。」と答えることしか出来なかった。
でも、僕はこのことを考え抜かなければならない時期があった。
そして、ただ、一緒に居て、その人の気持ちを全身で受け止めようとする事、
それがなにより大切だと思っている。
ただ、一緒に居ることは、本当はかなり力を持つ行為だ。
その確信がなければ、このアトリエでの現場もやっていないかも知れない。
実際のところ、目の前で何も出来ずに苦しんでいる人を見るのはつらい。
僕もそんなことがたくさんあった。
何も出来なかった。してあげられなかった。
自分の力で立ち上がった人もいた。死んでしまった人もいた。
どこかへ行ってしまった人もいた。
本当のことを言うと、人は人を救うことは出来ない。
もし、その人が救われたとしたら、その人自身が立ち直ったということだ。
人は人を変えることは出来ない。
すべてはその人自身にかかっている。
人助けをしたいと思っている人は、このことを深く考える必要がある。
では、何が出来るのか。きっかけを作ることだろう。
その人が救いを見出すきっかけ。
目の前に苦しんでいる人がいる。
私達に何が出来るのか。
本気で、その人と一緒にいる。全部を受け止める覚悟で。
何も出来ないけど、今、分かっている人間がここにいて、
一緒にこうやっている。それを少しづつ実感してもらう。
私達は少しだけ、人のためになれる。
少しだけ何かのためになれる。少しだけ役立つかも知れない。
その時、必要なのは、
実は「なにもしてあげられない」という自覚をしっかり持つこと。
自分の無力さと、目の前にいる人の苦しみを受け止める覚悟。
私達は謙虚にならなければならない。
大きなことが出来ると思ってはいけない。
政治や社会運動が世界を変えることなど出来ない。
私達に出来ることは、謙虚に小さな自分で精一杯、
目の前の人や事物を愛し、一緒になろうとすること。
お互いを認め合うこと。
何かをしてあげるより、出来なくてごめん、でも、今だけでも一緒に居よう、
という気持ちが、どれだけ人のささえになるか。
その人に寄添う。少しでもこころを一つにする。
そういうことが、実は凄い力を持っていたりする。
僕はそういう経験をして来た。
だから、こんな小さな場所で、毎日、人のこころと向き合っている。
そして、たいしたことは出来ないけど、
小さなことなら少しは人に喜んでもらえる。
この小さな喜びが、世界にとってどれだけの価値があるのか。
僕は政治より、1人の人のこころが、一ミリでも動くことの方に、
遥かに大きな価値を見出している。