2012年1月25日水曜日

もとをつくる

実は昨日、雪のことを書いたのだが、機械の調子が悪く、
どこかに消えてしまった。
雪くらいで騒いでいるのは馬鹿げていると書いたのだが、
いつの間にか消えてしまって、しばらくすると、みんなが来た。
みんな、雪に滑って危なかったという話をしていたので、
そうかあ、怖いけど一生懸命歩いて来たんだなあと思った。
やっぱりあんな書き方はしなくて良かった、消えて良かった。

だから、決してあのくらいの雪がどうしたという話でなくて、
あくまでそこから見える都会の人達の危うさを指摘したい。
冬なのだから雪が降って当然。
昨日は、街中でガリガリ雪をはがしていたが、
今日はほとんど溶けている。
あの程度の雪で雪掻きすると、気温がまだ低い場合、かえって水分が凍って危ない。
みんなでコンクリートをすべすべにしている様なものだ。
表面にあるサラ雪を適度な温度のある足が踏みしめていく。
それが一番安全な道をつくることだ。
もっともらしく滑らない靴をとか言っている人がテレビに出ていた。
靴の問題ではない。歩き方だ。
今にも転びそうな歩き方をしている人が多かった。
学生服を着た子が自転車で転んでいた。
雪があるのにいつもと同じように動くからだ。
雪があるのだから、それに応じた動き方をしなければならない。
そもそも、ヘッドホンで音楽を聴きながら歩いている人は、
雪があるという自覚は無い。いや、見えるからあると言うだろうが、
本当には自覚出来ていない。
歩きながらタバコを吸っている人、音楽を聴いている人、
電車の中で食べ物を食べたり、化粧をする人。
マナーがどうとか言うこと以前に、「外に世界がある」という、
当然のリアリティを感じて欲しい。
インターネットもメールもこのようなブログも、
世界には自分しか居ないと錯覚させる危険がある。

時には大雪でも降って、自分達が自然の中にいる事を自覚した方がいい。

実際に歩いている人を見ていて、
人にぶつかっても誤りもしない人が居る。
というより、身体もこころも外の事物に反応出来ていない。
怖い事だ。
電車に乗っていて、お年寄りや妊婦に席を譲らない人。
これらもマナーというよりは、
単純に彼らが気づかない、見えない、反応出来ない、
心と身体になってしまっていると言うことだ。
その原因は、「外に世界ある」「他人も自分と同じように心を持っている」
という当り前のことが自覚出来ていないことにある。

悪いというよりは可哀想だ。
毎日、退屈だろうなあ、つまんないだろうなあ、と思う。
自分しか居なくなっているのだから、新しいことなど何もおきない。
自分が大きくなればなるほど、世界は小さくなる。
謙虚になろうとはそう言う意味だ。
自分が小さくなればなるほど、世界は大きく深くなる。
そうすると楽しくてしかたなくなるだろう。

早期教育についてよく聞かれるが、
僕は何でも早ければいいと言う考えに反対だ。
むしろゆっくりの方が深みが出る、人間味が出る。
例えば、人のこころを動かす音楽は技術だけでは生まれない。
技術の前にもとになるものを養う方が遥かに重要だ。
陶芸の話を聞いた事がある。
今は機械で大量に土を練っているが、
昔は弟子入りすると何年も何年も土練りしかやらせてもらえなかったそうだ。
今は早い時期から形を作る訓練をする。
そうすると、やっぱり良い形の陶器は土練りを何年もしていた時代のものだそうだ。
つまり、土練りの手つき自体がすべての基本になっている。
そこが身体に刻まれている人は、土をどんなふうにも自在に扱えるということだ。

早期教育といった時、英語なら英語、音楽なら音楽、
それだけを磨こうとする。
早くおぼえれば良いと思っている。

本当に大事なのは土練りの様なすべてに通じる、基礎、基本をつくることだ。
方々に連れ回って、色んなことをさせる時間があったら、
人間としてのもとをつくる方がいい。
もととはその人が小さな頃に見ていた世界。
皮膚で感じていた景色。呼吸。
あたかい愛情、人間や自然に対しての基本的な信頼感。
こういったものがすべてだ。
それを吸収していれば、何をしてもいいし、
そのもとが出来ていなければ何をしても意味が無い。
小手先のテクニックだけあっても、世界と言う広大なものには歯が立たない。
親がこうすれば楽に生きられるよと言う。
親の人生観がそこにあらわれる。楽がいいと思っているのだなと。
こうすれば得だと教える。得することがいいことだと思っているのだなと。

私達は何を大切にすべきだろうか。
生きていければ、それでいいのだろうか。
ただ、評価されて、良い地位に就いて、お金を手にして、
こうやっていけば安心というのは、もう誰も信じてはいない。

幸せになって欲しいのなら、どんな環境の中でも幸せを見つけられる人、
人を喜ばせようと出来る人間に育てたいはずだ。
もとをつくることが一番大切。
早期教育よりもっと、やらなければならない事があるはずだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。