2012年1月23日月曜日

みんなのこととして

昨日、アトリエが終わって家に帰って、ぼんやりテレビをつけると、
南方熊楠の特集をしていた。
俳優が熊野の森に入って行く。森は本当に深い。
特集は熊楠が明治政府と戦って、森を守ったという部分に焦点を絞っていた。
森と一体となって思考した熊楠の姿が素晴らしかった。

ものの見方って大切だなと感じた。
例えば「森」と一言で言っても、そこに何を見ているのかは人それぞれ。
だから、森は勿論かけがえのないものだが、森を見る見方が大切だと思う。
単純に言うと、熊楠は森に無限を見たのだろう。

森を守るとか、エコロジーとか、そんな次元ではなく、
彼は自身と一体である無限を豊かに生きていた。
森が破壊されるとは、自分の心と身体を引き裂かれるに等しかった。
そういうことだと思う。

守ったり、保護したりというのは、外から見た見方だ。
自分も自然の一部だという、当り前なことを忘れて、
外から守ろうとしても、それは観念でしかない。

熊楠の見ている「森」があれだけ深かったから、
必然的に戦うことにもなったし、守ることにもなった。
だから、見方が一番大事だ。
観察力といってもいい。

眼をこらす、耳を澄ます、じっくり静かに観察する。
そこに何があるのか、深く感じとる。
やっぱり、今一番必要なのはそういう態度だと思う。

世の中の見方がどんどん荒くなってしまっている。
私達はざるのように、多くのものを落としてしまっている。

熊楠が「森」に見、感じとったもの。
無限と言ってみたが、実はそれはこの世界の至るところにある。
今、ここに、目の前にあるのに、無いことになっている。
気づかない。豊かさが、無視され踏みにじられている。
人のこころが、この豊かな世界と生を見落として、
貧しい生き方しか出来なくなっている。
こんな状態にならないために、熊楠は森を守ろうとしたといえる。

あるのに、それに気がつかない。あるのに無いことにされている。
そういう世界が私達の目の前にある。
例えば蝶には蝶道というのがあるという話を聞いた。
蝶が飛んでいるのは良く見るが、上に行ったり下に行ったり、
フワフワ、ひらひら、ランダムに飛んでいるように見える。
でも、あれにはパターンがあって、さらに言えば道が決まっていると言う。
蝶道といって、その道を通って飛んでいるらしい。
そして、昔の人は蝶道を知っていて、
家を建てたり、生活の様々な組み立てをする時、
必ず蝶道に配慮し、その道を塞がないようにして来たと言う。
この話は、昔の人が蝶にまでやさしかったと言う様な浅いものでは無いと思う。
彼らの観察眼と生の豊かさ、世界の大きさを表している。
もっと言えば、蝶道を知っている時代と、それに気づけない時代とでは、
まるで生きている世界も見えている景気も違うものだとさえ言っていい。

森にしても、蝶にしても、そこに興味を持つ人だけの問題ではない。
私達全員の世界の話なのだから。

そういった目の前に存在しているのに、気づかれることの無い豊かな世界。
もう既にお気づきの方も居るかも知れないが、
僕がここで問題にしてきたのは、ダウン症の人たちの内面世界のことだ。
みんなでもっと良く知っていった方がいい。
そうすれば、森や蝶の話と一緒で、私達自身が豊かになれる。

今年は講演もおこなうが、以前にも研修会や色んな会合でお話した事がある。
僕はそういった場でも最初に問題提起するのは、ここに書いたように、
みんなのこととして、考えたいと言うことだ。
何度もくり返し、書いたが、ダウン症の人たちは1000人に1人の割合で、
必ず産まれて来る。原因は無い。母体に原因がある訳でもないし、
遺伝によるものでもない。
だから、誰のところにいつ、産まれて来てもおかしくない。
このことは何を意味するのか。
1000人の人が1人のダウン症の人のことを考え、思うべきだ。
社会全体が気づくべきことなはずだ。
ダウン症の人たちを知り、その役割を考えることは、
私達全員の問題であるはずだ。

こういう単純な事実が見過ごされている。
実はここの部分を一般の人以上に、
彼らに関わる人達や専門家により深く自覚して欲しい。
関わる人や考える人に偏りが無いだろうか?
そういった講演や研修会を聞きに来られる方は限られている。
本当は誰にとっても必要な話題だ。
僕達も含め、ダウン症の人と関わって生きている人達は、
もっと開いた視点をもって、何も知らない初めて彼らに触れる人達に、
語りかけ、少しでも関心をもってもらうように努力すべきだ。

アトリエでは様々なイベントをおこなったり、
学生達や見学者との交流をつくったり、
作品をデザインとして使用出来るように考えたり、
病院や図書館に作品を飾ったりといった活動をしている。
そこで、全く初めてダウン症の人たちのこころと出会う人が居るからだ。

興味を持つ人だけに伝えるのではなく、
どうすれば人が興味を示してくれるのか、
面白いと感じてくれるのか、考えていく必要がある。

一部の人間だけが関心を持ち、関わっていくのでは問題は解決しないし、
不自然だ。
人も自然も一つだし、みんなのことなのだから。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。