しばらく更新が出来なくてごめんなさい。
暑いですね。
さて、東京です。
今月も来客の予定が続きます。
制作の場に立てることはやっぱり嬉しい。
三重でも色んなことがあった。
気まぐれ商店のポーチづくりの場、ミシンの会が毎週行われている。
とても良い雰囲気。
家族のこと、色々変わって行くところ、考えなければならないこと。
このプロジェクトだけでなく今の社会に向かって行くことは、
相変わらず困難の連続でもある。
出来得る最善を実行して行く以外にない。
音楽を聴かない日々に、グレングールドのバッハクラヴィーアコンチェルトが、
くりかえし、くりかえし頭を駆け巡った。
特に若かりし頃の演奏。
ただただ、奇麗に正確に配置された音達。
無限の反復のような、あるいは運命のような。
音はスピードにのって消えて行く。
制作の場で見て来た無数の景色。
匂いや音や感触。
こころの奥で鳴り響く音楽。
人生で経験して来たたくさんのもの。
立ち現れ、消えて行く。
くりかえし、くりかえし。
僕達が制作の場で、奥へ奥へと向かって行くのは、
それが正しいからでも、目的があるからでもない。
ただただ、生命の律動がそうさせるだけだ。
一度でも場の声を聴いたら、鳴り響くリズムに浸ったら、
忘れられないだろう。
創造性とは生命が形をなして行くリズムのようなものだ。
生命や宇宙や、全ての背景で動いているもの。
その仕組み、法則の前に、僕達は小さくなって素のまま立つべきだ。
絵を描いて、作品が仕上がる。それが制作の場だと思っている人がいる。
僕のいう場とはそんなものではない。
一人一人が素直になって、自分の本質に帰ること。
身につけた嫌らしさ汚さを一時捨てること。
捨てて捨てて、削ぎ落としてまっさらな素になり、透明になること。
その時、この世界は本来の輝きを見せてくれる。
目の前にある世界が裸で迫って来る。
この世界を形にしている創造性と、人間の内側にある創造性とは、
本来は同じものだ。
グールドのリズム。
反復されるすべての音が、必要な場所に刻まれている。
僕達はあの音楽のような世界に生きている。
生命体の根本に流れる音楽を聴こう。
場に入る。深く進むことは、そのような音楽を自身の内側に聴くこと。