蒸暑い日が続く。
かなり良い2日間の現場だった。
これまでと違った作品も生まれた。
もう夏が来るだろう。
涼しい夜も今だけかな。
今週は外仕事が少し。
ぱっと見ただけなので細かいところは分からないけど、
貧しい子供に食事を与える場所をテレビで映していた。
子供達の表情を見ていると、食べ物以上に愛情に飢えている。
可哀想。本当に。
子供時代を思い出した。
自分のというより、子供の頃近くに居て同じような境遇にあった人達のこと。
あの人達が居たから今の自分が居るのだと思う。
こんなことを書くべきか分からないけど、友達とセミを食べたことだってある。
その後に出会った人達とのそれぞれの時代も忘れられない。
みんなのことが大好きだった。今でも。
小学校の時、必ず買わなきゃいけないリコーダーの注文用紙を捨てた。
持っていれば注文しないで良いというものだった。
僕にリコーダーをくれた女の子がいた。
1つか2つ上の子だった。
それまで本当に仲が良かったのに、
それ以来、気を使って何となく距離をとるようになってしまった。
子供の頃の方がそういうことに対して敏感で繊細な部分がある。
多分僕よりも、物をあげた彼女の方が罪悪感みたいな感情が残ってしまった。
夏が来る。
子供時代から十代後半にかけて、暑くて長い長い夏が一番好きな季節だった。
信州時代の夏の情景。
田んぼの蛙。澄んだ空気と夜空の星。
ラジオから聴こえるアルトンエリス。
今では春も良い、秋も冬も好きだ。
梅雨のしっとり雨も。この時期にはこの時期にしかないものがある。
掛け替えのない時の中で、人が大切にして来たやさしい気持ちを渡してくれる。
目の前に居る誰かのためだけに、思いを差し出す。
困難が大きいほど、そういった人の愛情を受け取る場面がある。
どれだけ助けられ、貰って来たことか。
その度にいつかこれを誰かのために使う、とこころに決めて来た。
場においてもそうだけど、良いものの全ては、来てくれたもの、
あるいは貸してもらっているものだと思っている。
返すことで、より大きな繋がりが生まれる。
ほんの一時であれ、その人と出会えていることが奇跡にも似たことであること、
そこで一緒に響き合って、お互いに何かを残せる幸せ。
今、目の前にある人や世界を、愛情と敬意をもって迎えること。
夏が来る。またいつものように。
そして2度とない今だけの季節として。