2015年6月15日月曜日

夏が来る

蒸暑い日が続く。

かなり良い2日間の現場だった。

これまでと違った作品も生まれた。

もう夏が来るだろう。

涼しい夜も今だけかな。

今週は外仕事が少し。

ぱっと見ただけなので細かいところは分からないけど、
貧しい子供に食事を与える場所をテレビで映していた。

子供達の表情を見ていると、食べ物以上に愛情に飢えている。
可哀想。本当に。

子供時代を思い出した。
自分のというより、子供の頃近くに居て同じような境遇にあった人達のこと。
あの人達が居たから今の自分が居るのだと思う。

こんなことを書くべきか分からないけど、友達とセミを食べたことだってある。

その後に出会った人達とのそれぞれの時代も忘れられない。
みんなのことが大好きだった。今でも。

小学校の時、必ず買わなきゃいけないリコーダーの注文用紙を捨てた。
持っていれば注文しないで良いというものだった。
僕にリコーダーをくれた女の子がいた。
1つか2つ上の子だった。
それまで本当に仲が良かったのに、
それ以来、気を使って何となく距離をとるようになってしまった。

子供の頃の方がそういうことに対して敏感で繊細な部分がある。
多分僕よりも、物をあげた彼女の方が罪悪感みたいな感情が残ってしまった。

夏が来る。
子供時代から十代後半にかけて、暑くて長い長い夏が一番好きな季節だった。

信州時代の夏の情景。
田んぼの蛙。澄んだ空気と夜空の星。

ラジオから聴こえるアルトンエリス。

今では春も良い、秋も冬も好きだ。
梅雨のしっとり雨も。この時期にはこの時期にしかないものがある。

掛け替えのない時の中で、人が大切にして来たやさしい気持ちを渡してくれる。
目の前に居る誰かのためだけに、思いを差し出す。

困難が大きいほど、そういった人の愛情を受け取る場面がある。

どれだけ助けられ、貰って来たことか。

その度にいつかこれを誰かのために使う、とこころに決めて来た。

場においてもそうだけど、良いものの全ては、来てくれたもの、
あるいは貸してもらっているものだと思っている。
返すことで、より大きな繋がりが生まれる。

ほんの一時であれ、その人と出会えていることが奇跡にも似たことであること、
そこで一緒に響き合って、お互いに何かを残せる幸せ。

今、目の前にある人や世界を、愛情と敬意をもって迎えること。

夏が来る。またいつものように。
そして2度とない今だけの季節として。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。