2015年6月22日月曜日

マイトレイとヨハンソン

みんな素晴らしかったです。
作品も自然の光の中でビックリするくらいに輝いていました。

ずっと純度の高い場が続いている。

この場をしばらくイサに託して三重へ行って来ます。

僕達は場の中で何処までも行くと決断した仲間のように感じている。

生きていて、様々な経験の中で、仕事においてでも、
残念で悲しいことに全力を出さない人が多い。
もっと高みに登れるのに、もっと輝けるのに、進もうとしない。
やりきろうとしない。
疲れたくないのかも知れない。自分をさらけ出すのが怖いのかも知れない。
全力を出した経験が無いのかも知れない。

でも、本当の一番根っこにある理由は何となく分かる。

この瞬間が輝けば輝くほど、終わってしまう寂しさがあるからだ。
今日が人生で最高の日だと想像してみれば分かる。
明日からどうしよう、という思い。

幸せの絶頂ほど、過ぎ去って行く悲しみを感じさせる。

大好きな人が精一杯の努力の結果、喜びを経験しているのを見ているとき、
その儚さに切なくなる。

こういうことは普段自覚している訳ではないけれど、
無意識の内に自分にセーブをかける理由になっている。

僕自身も孤独や切なさ、悲しさを強く経験して来た。
一回の場で全てを使い尽くして、空っぽになって、ああ、明日どうしよう、
と呆然としていた頃も実はある。
でも、いつの頃か決断したのだと思う。
行けるところまで行くのだと。どんな瞬間も命の限りを尽くして輝くのだと。

今ではそれがいかに大切なことなのか知っている。
行けるところまで行って、輝く瞬間の中で全てを使い尽くして、
みんなと幸せの絶頂を噛み締めて、空っぽになって場から離れる。
一人になって、その充実した時間の感触だけが残っている。
これで良いのだといつも感じる。

僕の使っているCDデッキは壊れかけている。
勝手にラジオがついたり消えたりするので、使わない時は電源を切っている。
でも時々忘れる。
今日も忘れていて、部屋に戻ると珍しく小さな音から始まって、
だんだんと聴こえるようにラジオがついた。
誰かが歌っていて、途中からオーネットコールマンが入ってくる。
人の声のように響いた。その声は泣き声でも笑い声でもあった。
喜びと悲しみはほとんど一つの感情なのではないかと、
これは美しいものに触れた時にいつも感じることだ。

最近、ようやく最後まで読めた小説にミリチャエリアーデの「マイトレイ」がある。
一応は恋愛小説ということでしか言えないのだろうが、
この圧倒的に美しく悲しい世界をどんなジャンルでもくくる訳には行かない。

例えそれが恋愛以外のことであっても、
人生の悲しみは別れにあるだろう。
友であれ、場所であれ、
出会った大切なもの全てがやがては別れて行けなければならない運命にある。

マイトレイは美しく儚いもの全ての象徴でもある。
主人公はマイトレイともう2度と会うことは出来ない。
その断絶は2人が出会った最初の頃から直感されている。
2人が強く輝く時間の中に居た時、そこが幸せの絶頂であると同時に、
すでに深い悲しみが伴っていた。

だから恋愛と別れと言うより、もっと深いものが感じられる。
人の死によって大切な誰かの顔をもう2度と見ることが出来ないように。

マイトレイとの深く美しく濃密な時間。
人生の輝きの全て。優しさと愛おしさと、過ぎて行く時間。
他にどんな選択肢があったのか。

「マイトレイ」を読む時間に、これもたまたまだったが、
ヨハンヨハンソンのアルバムを聴いていた。
それは映画のサントラ用に作られた音楽だった。
あまりにも美しい音楽。
マイトレイにはあの音楽が流れていて、
あの音楽にはマイトレイの情景が浮かんで来る。
僕にはもう何処までがどちらの魅力なのか分からない。
でも2つともあまりに美しいことによって結びつけられている。

音楽は何処からか始まっていつの間にか消えている。
所々で美がふっと現れる。形をなさないギリギリの淡い世界。

僕達は全力で生きていて、ある意味でその中で無我夢中になっている。
その時は見えないけれど、後で気がつくことがある。

心の奥にしまっておいて、ずっと言わないでいた方が良いことなのかも知れないが、
無くなることで、消えて行くことで、
初めてそれらと繋がることが出来るのではないか。
別れこそがその人と自分を本当に結びつけるのではないか。
全ては消えて行くからこそ、輝き、何か永遠性のようなものと繋がるのではないか。

主人公はマイトレイと2度と会えなくなった時にこそ、
本当の意味で繋がり、その後を生きていったのだろう。

ヨハンヨハンソンの音楽にしても、沈黙の中へ消えて行ってから、
聴こえて来るものの方が大きい。

寂しさや悲しさは人を真実に近づける。

全てが消えて行くと言う切なく悲しい現実を真っすぐに見つめたとき、
人の眼差しは透明になり、物事を曇り無く見ることになる。
そのとき、人は直感する。
いや消え去った全ては今この瞬間にここにあるではないかと。
確かに何一つ失われていないではないか、と。
全てが活き活きと、そこに在って、それは永遠のような何かを感じさせる。

生命とは本当に不思議で掛け替えのないものだ。

どんな時でも生きていることの素晴らしさを実感出来る場を創りたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。