2013年9月8日日曜日

使命

昨日も良い場になった。
特に午後のクラスは本当にみんな活き活きしている。

さて、いくつか書くべきテーマがあるのだけれど、
波風立つことは今は控えたい。
これまで、何事もはっきり正直に書いてきた。
大袈裟に言えば真実に近づきたいからだ。
目的は良くして行くために、認識や考えを伝えることであって、
人を批判したり恐れさせたりするためではない。
そういう結果に繋がったなら本意ではない。

身近な人達は僕には何でも言える、と思ってくれているし、
若い仲間等は何を言っても許されるとさえ思っている。
そういう人達がいてくれて嬉しい。

でも、やるべき使命に忠実であろうとすれば、
戦わざるを得ない場面もあるし、厳しい姿勢で挑むことも多い。

最近、ちょっと寂しいのは無用に怖がられたり、
遠巻きにされることだ。
当たり前のまっとうな、常識的なことしかしていないのにと思う。

人を恐れさせて支配するようなことは、最も嫌いなことだし、
むしろ、そういう人や権威と戦ってきた。

本末転倒だけは避けたい。

ただし、今後も伝えるべきことを濁すようなことはしない。
誰も言わないのだったら、こちらが言う他ないという話が沢山ある。

天気は安定しないけれど、少しづつ涼しくなって、過ごしやすくなってきた。

何度か話題にしてきたが、障害を持つ人達との関わりにおいて、
アートや表現を触媒にしようと言う流れが強くなってきた。
そのような環境も増えているし、美大もそういったジャンルで、
学科を作ったりしている。
ワークショップやイベントも多くなったなあ、と思う。
おそらくは福祉の政策もその方面を推奨する方向にあるのだろう。

ここでいつもながらに、問題も感じざるを得ない。
最近もたまたまだが、関わる人間というテーマにふれた。
忘れてはならないことは、そのような人のこころと関わること、
制作と関わることは、無自覚に行ってはならないということだ。
車を運転するのにも免許がいる。医者にも資格がある。
当然だが、知識と経験がなければ危険だからだ。
これはこのようなジャンルで関わろうとする時も同じだ。

障害を持つ人達と制作を繋ぐということは、
まだジャンルとして確立されてはいない。
それぞれが曖昧な思いで動き出してしまっている部分が大きい。
結果がどうなるかは、僕には想像出来る。
何のために何をしているのか分からないような、
いい加減な活動と、さして魅力のない作品があふれかえるだけだ。
活動にも作品にも魅力や生命力がなければ、やがて注目する人がいなくなる。
外の人が興味を惹かれなくなったものは、狭い世界で少しづつ衰弱して行くしかない。

そのような結果に終わらないためには、
関わることを真剣に考えている人達を本気で育てていくしかない。

もう1つ。
アートとしても、たとえばアール・ブリュットが、
これまでの美術の歴史とは別の部分で注目されている。
これについては、ゆっくり書く必要があるが、今はその時間がない。
いずれ、纏めて書こうと思う。

ただ、今言えることは、2つの流れは共に、
まだまだ、深く考えられていないために多くの危険性を伴っている。
自覚的に考え、現状と過去を冷静に分析して、次に向かう必要がある。

僕の立場で言えることは、作家たちの魂を軽く扱うのはやめるべきだということだ。
これらの結果はすべて作家の魂と直結してしまうのだから。

関わろうと思う人間は、謙虚さと確信と強い責任感をもって、
人生を賭けて挑むべきだ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。