2013年9月14日土曜日

今日も1日

蒸しますねえ。

ちょっと金沢に行って来ました。
ここ数年は母の体調も悪く、出来ればたまに行きたいと思いつつ、
なかなか時間が取れないできました。

どこにでもある話だけど、金沢の街は変わって、
かつてあったものがどんどん無くなって行く。

とんでもないことに樹齢100年を超える木々の伐採もあった。

アール・ブリュットのことを少し書かなければ、
と思っていたが、やっぱりいいか、という気もする。
時の流れには逆らえないこともある。

1つだけ、芸術の側も福祉の側も、そして受容する側も、
深く考えることなく、安易な逃げ道として盛り上げようとしていることは、
先のことを考えると様々な危険があることを忘れてはならない。

厚労省と文化庁は障害者の芸術活動推進という名目で、
支援人材を育成するとして、予算を3億円計上していると言う。
このことが良い方向に行くのか、逆の結果をもたらすのかは、
「支援人材」をどう解釈するかにかかっていると思う。

一番、危険なのはアートは力を失い現代における役割として、
ケアやコミニュケーションを考えているということと、
福祉は作品の販売や商品化で本人に還元されたり、
工賃を上げる手段と考えていること、
この2つが重なることで、芸術と福祉のどこまでも低い次元での融合がおきる。

その結果、何が起きるか、消費する側から飽きられ、やがて見向きもされなくなる。
すでに起きていることだが、作品の質が問われなくなるからだ。

持続可能なシステムを作ることは難しい。
でも、やがて滅ぶことが分かっている安易な手段に逃げてはいけない。

これ以上は書かない。何かを批判するために活動しているわけではないから。

現実と時間が答えを見せてくれるだろう。
10年、20年経ったとき、どんな活動が残っているだろうか。
ダウン症の人たちの文化は生き残らせなければならない。
すべての判断基準はそこにある。

1ヶ月近くも、呼吸が浅い状態が続いていたが、
昨日、すっきりして元気になった気がする。

後に残って行く良い仕事をしたい。
本当のところでみんなのためになることをしていきたい。

金沢で久しぶりに大好きな珈琲屋に顔を出した。
ここの店主は偏屈者と思われているが、いい職人さんだ。
相変わらず良い仕事をしている。
世の中がどんなに変わろうと黙って淡々としているわけではない。
戦い、批判し、笑ったり怒ったりしながら、でも、珈琲の質だけは落とさない。
人から嫌われることも多いし、ほとんど理解されることもない。
ただ、数は少ないがこの店でなくては満足出来ない、という一部の客が支えている。
嘘や誤摩化しがないから、本気の仕事を感じて、
深く愛している人達がいる。
自分の仕事に忠実で、一生懸命やっていれば、伝わるものだ。
そういうものは残って行く。
まだ、あんな生き方が認められるのだから、世の中も捨てたものではない。

金沢という街も年々、魅力を失っている。
それでも、いくつか隠れた名店や良い仕事をしている人達がいる。
数人だけど、この人がいるだけで金沢に値打ちが出て来るといえる程の方もいる。
こういうところにお店の名前を書いてしまう人がいるが、
僕はそれはしたくない。
もし、金沢に行く人がいれば個人的に教えます。

変な話になってしまってごめんなさい。
東京に帰って来ると3通も大切な友人からの手紙が届いていた。
このタイミングは本当に不思議なのだけど重なる。
この人達が支えてくれているから僕もやっていられるのだな、と思う。
本当にありがたい。

理解してくれる人の数は少ない。未だに軽蔑の目で見られることさえある。
それでも、本物の人に理解されていたり、大切にされたりする。
あれだけの方が評価して下さるのだから、自分の仕事を信じられる、
という気持ちになる時もある。まあ、普段はそんなこと考えないけど。

一生の中であと何回場に入るのか、本当の仕事が何回出来るのか、
分からないけれど、一回一回に魂を込めなければと思う。
瞬間こそが残るということを僕は長い時間をかけて知ったのだから。
誰かや何かに確実に残って行く、この瞬間をおろそかには出来ない。

今日はどこまで行けるだろうか。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。