さて、今日もがんばろう。
暑くなりそうー。
やるべきことはただ一つ。単純で変わりないこと。
気持ちをこめて、思いを込めて、良い場を創って行く。
昨日は無意識について書いた。
母性についても以前、書いた。
こういう感情や心性はとてつもない可能性を持っていると同時に、
飲み込まれて行くと自己を失いかねない。
自己が肥大化している人達は少しはそういう経験も必要だけど。
僕はすべてはバランスだといつも考えているし、書いているが、
バランスと言っても、誰が見ても奇麗な安定した地点がある訳ではない。
この人にとっては良くても、あの人にとっては良くないとか、
この時期には良いけど、この時期には良くないとか。
こころを扱う仕事をしていると、
綱渡りのようなギリギリのところにいつもいて、
答えを次々に変えて行かなければならない。
だから、僕は絶対の答えを信じない。
答えとは今の状況の中ではこれが、かろうじて最善、
もしくは一番まし、というか落ち着きどころということだ。
それも、時間や場所や人によってどんどん変わって行く。
落ち着く場所などどこにもない。
すべては仮の宿のような状態だ。
僕が所有や安定に興味が持てないのも、
こころというものをテーマに生きてきたからかも知れない。
ゆうすけ君のよく使う言葉に「ぎりぎり完成」「ぎりぎりセーフ」がある。
僕にとってはいつでもそんな感じだ。
それは身体と同じかも知れない。
健康と言うけれど、老いない身体はあり得ない。
生まれてから、ずっと死に向かって少しづつ進んで行くのが生命だ。
死の時まで、多少不具合があっても、上手く使って行くことが出来ればベスト。
つまり、だましだまし。
こういうことは、何にでも言えることで、もたせる、
保たせるということが大切で、絶対に壊れないように完璧を目指すと、
逆にすぐに壊れてしまったりする。
善悪や損得では計れないものがあるというか、
ほとんどはそういうものだと思う。
人間には部分的に見る癖があるから、どうしても近視眼になるのだけれど、
全体のバランスで捉えると、そう簡単に良いか悪いかははかれない。
どこか悪いところや、欠点があるとそこを集中してみてしまったりする。
そうすると、単純にそこにエネルギーが集まる。
コンプレックスというものもこうやって出来る。
以前、書いたけれど、ぼやっと全体を捉えて、
動きの中で何処にでも行ける柔軟さが大切だ。
こころも身体も、最終的に大切なのは軽さだと思う。
僕もいつでも「場」に「軽さ」を求めている。
もっと軽くもっと透明感のある場になって行けたら。
僕自身もすきとおるような存在になっていきたい。
すべては水のように、どこまでも滞ることなく流れて行かなければならない。