暑いですね。
本格的な夏になったら凄そうだなあ。
もっともっと、制作の場を深めて行こう。
明日も頑張ります。
先日、街を歩いていると。
「あれっ、佐久間君じゃないの?」
「えー、こんなところで。Nさんじゃないですか」
「久しぶりー」
「ちょっとNさん、お時間あります?お茶でも」
「30分位なら大丈夫だけど」
「じゃあ、行きましょう」
そんな、ことがあって結局1時間くらい話し込んでしまった。
Nさんはもう15年も前にほんのしばらくだけ一緒に働いたことのある方だ。
よく覚えていたなあ。
Nさんは天涯孤独の人だ。
孤児院のようなところで育って、その後も同じような場所で働いている。
一緒に子供達の合宿をしたことがあるけれど、
たくさんいる大人の中で、僕とNさんのところに子供が集中していた。
僕の方にはやんちゃな子達が、Nさんの方には引っ込み思案な繊細な子達が、
それぞれ集まって来ていた。
言葉を交わさないでも、お互い似た者同士の感じがあって、
すぐに仲良くなった。
そのころ、Nさんは文学的で僕はちょっと闘争的なところがあって、
似ていながら、反対の性質も仲良くなれた要因の一つ。
Nさんは、何度も何度も僕の顔を見て「変わってないなあ」とつぶやいていた。
他の人達はみんな変わったな、と言うのに。
多分、Nさんの方が正しいような気がする。
今の話もずいぶんしたけれど、
結局、連絡先も交換せずに、僕達は分かれた。
もしかしたら、もう一生会うことはないかも知れない。
でも、僕達は最初からそんな関係で繋がっている。
お互いの掟を守っている。
お互いに自分の仕事に帰って行く。
Nさんに変わらないと言われたことは、意味もなく嬉しかった。
どんな人の一生もどこかにパターンがあって、
基本のモチーフはずっと変わらないのではないだろうか。
人はそのモチーフを何度も何度も繰り返しなぞって行く。
繰り返し繰り返し、同じテーマが現れて来る。
それは良いことでも悪いことでもない。
ただ、自分のテーマを愛せるようになったとき、
運命とか宿命とかいうことの価値を見つけられる。
誰も、本当のの意味でこの力に抗うことは出来ない。
アトリエの作家たちの描く絵のように、
日々、刻々変化しているのに、基本となるパターンは変わらない。
現在も過去も、様々な出来事や人々や情景が、雨のように降って来た。
それぞれの場面は鮮明で、匂いも音もある感じで、
手で触れているようでもある。
でも、そこには自分だけがいない。
いや、感じているのが自分なのか。
場面はすべて断片で連続性がない。
無数の断片がちらちら散って、降り積もって行く。
凄いスピードであると同時にスローモーションのようでもある。
その流れを感じながら、僕はあてもなく街を歩き続けた。
歩くリズムで街の景色が変化して行く。
記憶も一定のリズムで現れては消えて行く。
これまで、本当にたくさんのことが起きたようであり、
まったく何も起きていないようでもある。
生まれたから、生き続ける。
生まれたから、歩き続ける。
僕達はみんなどこかからかやってきた。
ここにいるのは留まるためではない。
進むためにいる。
そして、やがては立ち去らなければならない存在なのだから。
やり残したことはないか。確かめる。
愛を持って挑み、与えられた使命を果たし、
笑顔で去って行くために、明日も良い働きをしていきたい。
それから、いつでも、自分を大切にしてくれた人達に感謝の気持ちを忘れずに、
ありがとうの気持ちで、毎日の役割を実行して行きたい。