2013年6月10日月曜日

レンタル

毎日のようにこのブログを更新しているが、
しばらく書けないかも知れないからだ。

書ける時に纏めて書いて、しばらくお休みのペースで行かせていただきたい。

読んで下さっている方が意外に多いので、責任を感じてもいる。

毎日、アトリエで作家たちの内面と向き合っている。
もう10数年になる。
その前はさらに7、8年、様々な障害を持つ人達のこころの世界に潜ってきた。
その経験を元に色んな人に会ってお話する。
時々だかけど、講演もさせていただく。

いつもいつも同じことを実行し続けてきたし、言い続けてきた。
本当に単純にシンプルに言ってしまえば、
今、みんなが見ている生きている世界も、
一度、見方を変え、認識を変えてみると、もっともっと豊かで平和な、
新しいものと出会える、ということ。
そのための方法を伝えてきたと思うし、
僕自身、身を以て日々、実践している。

ここで、何度も言ってきた、良く見ること、良く感じること、良く考えること。
その意味は、あらかじめ決められた価値などないということだ。
無意識の前提を取っ払って欲しいと思う。
自分を縛っているものや、抑圧しているもの、セーブをかけているもの、
そういった様々な限界に気づいて欲しい。
自分の限界から自由になった人だけが、他の人を自由に出来る。

固定観念を捨てよう。
昨日も今日も明日も同じ世界があり続けているという幻想を捨てよう。

これまで言われ続けてきたことを疑ってみよう。
自分の目で見ること。自分の感覚を使って確認すること。
そうすれば、ようやく何かが見えて来る。

僕の仕事で言うと、ダウン症の人たちには独自の文化があり、
彼らの生きている世界がある。
それは、僕達が普段、感じとれなくなっていたり、
見えなくなっていたりする世界だ。
こんな簡単なことすら、いまだに本当には伝わっていない。
みんな自分が生きている世界だけがすべてだと思っているからだ。

本気になれば、いくらでも楽しいことはあるし、
美しいものに満ちているはずだ。

もっと敏感になろう。

所有の意識が物事を見えなくさせる、という話は以前に書いた。
もう一度、この話題に触れよう。

僕の仕事でいうなら、強いエネルギーをどこかに集中しなければならない時、
それをやりすぎると寿命を縮める。
それにエネルギーの出し方も弱まって行く。
感覚はピークを超えると衰える。どんどん弱まり鈍くなる。
技の冴えもなくなる。(正確さは増すかも知れないが)
全体的に自分の持っている能力は衰えて行くものだ。
だから、自分の能力以外のものを使えなければ、確実にダメになる。
能力以外のものをどう使っていくか、というのは面白いが今はふれない。

つまり、自分というのも、どこかから与えられたものであり、
いつかは返して行かなければならない。
すべてはレンタルだと思う。
何のために、何に使うために借りているのか、よく考えるべきだ。

身体もこころさえもレンタル。
感覚も思いもどこかから借りているもの。

ここにあるものや、ここに集まっているもの、
今、ある世界、すべてはこうして借りているものだ。
それらが僕達に何かを見せてくれている。
経験させてくれている。

借りたものは返さなければならないし、
何かのために使って行かなければならない。

大きな倉を創って食べ物や経験を保存しようとするから、
狩りをする能力がなくなる。

何も持たなければ、今日も探しに行かなければならない。
今日も狩りをして、食べ物を手に入れ、
楽しさや、美を手にしなければならない。
必要なものはその都度、見つけなければならない。
これが充実感であり幸せだと思う。

今日ある世界が明日もあると思うから、こころが動かない。
与えられている、借りているという感覚があれば、
今日現れてくれた世界に毎日、感動するだろう。

たとえ、都会のど真ん中にいようと、
そこは森であり原野であって、
人生に必要なものは自分で狩って来なければならない。
毎日毎日、狩猟するわけだ。

この森の中には何でもある。
ただ、見つけ出す能力さえあれば。

今日1日あれば、僕は一生分の楽しさを狩ることが出来る。

今日1日が見せてくれているもの、教えてくれているもの、
貸してくれているものを大切に扱おう。
そして、今、与えられているすべて、環境や能力や、
ものやこころ、そんなすべてはレンタルなのだから、
明日はないかも知れない。
だから、誰かや何かのために使って行こう。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。