2012年9月25日火曜日

自分を離れる癖

雨の日が続いている。
台風が来ているのでよし子の喘息もあり、ゆうたもぐずっている。

よし子とゆうたが今年いっぱいで三重へ移動するので、
荷物の整理と掃除をすすめなければいけないが、今は埃が出る作業が出来ない。

ところで、職業病というものがあるが、
そのことを生業として続けていると、心的、身体的に偏った癖がついてくる。
どこかに過剰に敏感であったり、逆にどこかが機能しづらくなっていたり。

僕の場合だと、他に似たようなことをしている人がいないので、
なかなか理解してもらうことが出来ないだろう。
意外な部分が偏ってくる。
ただ、人それぞれ生活しているので、どこかで調整するすべも身に付いている。

僕は10代の頃から、人の心がある密度で凝縮された場というものを、
自分の働く舞台としてきた。
その場には人のこころ、気持ち、感情、闇や光や、本能や野生といったものが、
猛烈なスピードで行き来する。
そういった場には失敗が許されない。
失敗すると人も自分も傷を負い、下手をすると命にも関わる。
それは身体と精神両面での話だ。
自然とかなりの集中度というか緊張感が持続していく。
かといって力を抜ききる技術がなければ、どうにも動かない。
こういった場にいながらも、場を自覚する人としない人がいる。
更には場が見えるという人がわずかにいる。
僕の場合は早い時期から場が見えた。
ある部分は手に取るほど明晰に、なんの努力も必要なく認識出来た。
でも、それはつらいことでもあった。

場の中で自覚を持つ前に失敗し、身動きとれなくなる人、
逃げていく人、中にはこころか身体に怪我を負う人。
色んな人を見て来たけれど、場で失敗する時、最後のところでは、
自分が自分を追い込んでいる。いわば自滅といった感じだ。
自分の心と身体の動きが見えなくなるから失敗する。
多くの場合、それは自分を捉えられない、
自分を客観視出来ないことに原因がある。
つまりは自分にとらわれてしまうことがすべての原因となる。
そこで自分を即座に離れるということが一番大事だ。
特に感情からある一定の距離を置くことだ。
感情は癖になっているから、見えにくいし、捉えにくい。
スピード感が必要だ。即、見抜いて距離をとる。
感情から離れる。自分から離れる。
場においては自分や感情に無意識であってはならない。
それらは適切な場所に置くことが大切だ。
そのためには捨てるのではなく、一旦距離をおく。
これがしっかり出来ると場において自滅することは無くなる。

何となくでも伝わるかな。

僕の場合はこの場における、自分を離れるということが癖になっている。
いつの間にか普段の生活にもそんな癖が出ている事がある。
勿論、普段は個人としてのわがままな部分も出しているのだけど、
大切な時にふと、自分や感情に距離をおいてしまう場面がある。

それで誤解を受けることもあったし、最近は見直さなきゃなと思っている。
例えば、人間的な感情が感じられないとか、嬉しいとか悲しいということを、
素直に表さないことが、周りを不安にさせたり、
共感を感じられなかったりさせることもあった。

僕自身は大切に思うことはあえて言わなかったりもしていたし。

一方で場を離れた普段の自分は子供のままで、
ぜんぜん成長していないのではないかと思えることもある。

これからは人間佐久間の部分を素直に出していければ、と考えるこの頃です。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。