雨の日が続いている。
台風が来ているのでよし子の喘息もあり、ゆうたもぐずっている。
よし子とゆうたが今年いっぱいで三重へ移動するので、
荷物の整理と掃除をすすめなければいけないが、今は埃が出る作業が出来ない。
ところで、職業病というものがあるが、
そのことを生業として続けていると、心的、身体的に偏った癖がついてくる。
どこかに過剰に敏感であったり、逆にどこかが機能しづらくなっていたり。
僕の場合だと、他に似たようなことをしている人がいないので、
なかなか理解してもらうことが出来ないだろう。
意外な部分が偏ってくる。
ただ、人それぞれ生活しているので、どこかで調整するすべも身に付いている。
僕は10代の頃から、人の心がある密度で凝縮された場というものを、
自分の働く舞台としてきた。
その場には人のこころ、気持ち、感情、闇や光や、本能や野生といったものが、
猛烈なスピードで行き来する。
そういった場には失敗が許されない。
失敗すると人も自分も傷を負い、下手をすると命にも関わる。
それは身体と精神両面での話だ。
自然とかなりの集中度というか緊張感が持続していく。
かといって力を抜ききる技術がなければ、どうにも動かない。
こういった場にいながらも、場を自覚する人としない人がいる。
更には場が見えるという人がわずかにいる。
僕の場合は早い時期から場が見えた。
ある部分は手に取るほど明晰に、なんの努力も必要なく認識出来た。
でも、それはつらいことでもあった。
場の中で自覚を持つ前に失敗し、身動きとれなくなる人、
逃げていく人、中にはこころか身体に怪我を負う人。
色んな人を見て来たけれど、場で失敗する時、最後のところでは、
自分が自分を追い込んでいる。いわば自滅といった感じだ。
自分の心と身体の動きが見えなくなるから失敗する。
多くの場合、それは自分を捉えられない、
自分を客観視出来ないことに原因がある。
つまりは自分にとらわれてしまうことがすべての原因となる。
そこで自分を即座に離れるということが一番大事だ。
特に感情からある一定の距離を置くことだ。
感情は癖になっているから、見えにくいし、捉えにくい。
スピード感が必要だ。即、見抜いて距離をとる。
感情から離れる。自分から離れる。
場においては自分や感情に無意識であってはならない。
それらは適切な場所に置くことが大切だ。
そのためには捨てるのではなく、一旦距離をおく。
これがしっかり出来ると場において自滅することは無くなる。
何となくでも伝わるかな。
僕の場合はこの場における、自分を離れるということが癖になっている。
いつの間にか普段の生活にもそんな癖が出ている事がある。
勿論、普段は個人としてのわがままな部分も出しているのだけど、
大切な時にふと、自分や感情に距離をおいてしまう場面がある。
それで誤解を受けることもあったし、最近は見直さなきゃなと思っている。
例えば、人間的な感情が感じられないとか、嬉しいとか悲しいということを、
素直に表さないことが、周りを不安にさせたり、
共感を感じられなかったりさせることもあった。
僕自身は大切に思うことはあえて言わなかったりもしていたし。
一方で場を離れた普段の自分は子供のままで、
ぜんぜん成長していないのではないかと思えることもある。
これからは人間佐久間の部分を素直に出していければ、と考えるこの頃です。