2012年9月22日土曜日

ダウンズタウンの話

急に涼しくなった。
今日も教室前なのであまり時間はない。
上手く書けるか分からないが、ダウンズタウンの話しの続きをしよう。
三重での話し合いの場ももたれている。
東京のアトリエがあるので、僕はなかなか顔を出せずにいる。
ビジョンとイメージを共有していくことはとても大事だ。

応援してくれる人も、少しづつ増えて来ている。
色んなイメージや考えを持つ人がいる。
どの考えも間違ったものはないと思っている。
みんなの夢と想いが集まって形となっていく。

助け合うことさえ出来ていけば問題はないだろう。
助け合うこと、協力し合うことさえ続けていけば。

本当の意味では、よし子や僕のイメージは、特に身近な人達に
そんなに伝わっていないような気がする。
でも、大きなところではかさなってくるはずだ。
言葉でいくら説明しても伝わるものではないだろう。
それより、何か少しでも環境が良くなっていくことを通して、
具体的に出来上がっていく場の雰囲気の中で、
みんなに伝わっていくのではないかと思う。

具体的に言うのなら、まずは掃除から始まる。
掃除はものだけでなく、意味や価値もどの部分をどこに置くのか、
整理し直すことでもある。
ギャラリーでの展示を考えて、美しい自然環境の中で静かに作品を見ていただく。
より深く作品と出会うことが出来るだろう。
まずは作品と出会うために、三重の環境まで足を運んでもらえるような、
環境と情報発信の仕組みを創っていく。
ゆっくり味わってもらえるようにカフェスペースを創りたい。
少しづつ人の流れと動きが生まれて来るだろう。
それからゲストハウス、という順番になっていくだろう。

遠回りに見えて、これが一番浸透していく方法だと思う。

ダウンズタウンはダウン症の人たちの文化を発信するという、
ほとんど唯一の場所だ。
だから障害うんぬんの問題とは関わりを持たない。
でも、あえて言わなければならない事は、
障害を持っている人達のための環境を作ろうとするほとんどの組織が、
良いものにならない現状がある。
この仕組みをしっかり分析して、違うものを創る必要がある。
例え社会的には成功していても、良い環境になかなかなっていかないのは何故か。
一つは関わる人達の勉強不足だ。
良い場を創るために、私達は日々、センスを磨く必要がある。
ただ、勉強の必要もセンスを磨く必要も感じている人は少ない。
そこがポイントだが、こういった環境の場合、
困っている人、必要としている人が需要していて、身内や業界(のようなもの)
だけで成り立ってしまっているからだ。

保護者の方達が組織している場合も多い。
そうすると、こういうものがどうしても必要というものにならざるをえない。
でも、大切なのは自分達が必要なものという視点ではなく、
他の人達が必要とするものという視点だ。

僕は外の人達、まったく関係を持っていない人達が関心をよせる場、
と言うことを何度も強調して来た。
何故なら、必要とされない場は結局のところ、いつかは無くなってしまう。

目先のこと、自分達だけのことを考えて行くと、
視点が内側に向かって、ちょっとづつ関係のある人だけにしか通用しないものになる。
外の人達は触れてみたとしても、何となく入りづらい雰囲気になっている。

ダウンズタウンは福祉施設ではない。障害を持つ人を養護するだけの場でもない。

彼らの文化を知ろうとする人達。関心をよせる人達。
作品に触れてみたいと思う人達。
積極的にこの文化を学びたいと思う人達。必要とする人達。
そんな人達に対して開かれた場であるべきだ。

そして、東京でこうしてやってきて、
そんな人達がたくさんいると言うことを知っている。
障害を持っている人を助けようではなく、
ダウン症の人達や作品に惹かれ、面白い、もっと知りたい、と思う人が、
ここにたくさん来ているではないか。

外から来た人が、何か居心地良くないなと思ってしまってはおしまいだ。

人に必要とされる場であること。
わざわざ行ってみたいと思うだけの魅力があること。
来た人をがっかりさせないこと
そのためには、みんなが本当のところで何を求めているのかを知らなければならない。

もう一度だけ言うが、こういうプロセスは遠回りに見えるが、
これが本当の部分では、最も彼らのためにもご家族のためにもなる方法だと思っている。

ゲストハウス以降の話しだが、人が集まる場が出来てくれば、
その近くに住みたい、生活したいと思ってくれる人も出てくるはずだ。
周りに人が移り住んできて、より村のようになっていく。
そして、それぞれが自分の出来ることで協力する。

一つ何かが整うと、次に必要な要素が見えてくる。
そうやって丁寧に積み上げていく以外、近道はないと思う。

ダウンズタウンが社会にとっても必要とされるものなら
(僕達はそう思っているが)、それは実現し、無くなることはないだろう。

一人一人が自分の出来ることを通して協力していけば、
可能性はどんどん広がって行く。
誰かだけの力では難しくても、みんなが協力すれば変わって行く。
そして、それが社会にまで浸透した時に始めて、
普遍的な場としてのダウンズタウンとなる。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。