2012年9月19日水曜日

変わること

ようやく本格的な雨だ。
夏も終わった。もうお彼岸。

確か、今回で今年に入ってから100件目のブログだ。
色々書いて来たけど、何も語れていないような気もする。

アトリエの活動をすすめて、作家たちと向き合っていく日々。
その中から、見えること、感じることをテーマに書いている。
でも、いつも核心には触れないように、あるいは触れ過ぎないようにしてきた。
核心部分ではなく、その周辺や、それに関わることを中心に書いている。
何故か。それも何度か書いたが、みんなに自分で感じて欲しいからだ。
自分で見つけだして欲しいからだ。

僕自身がこの場に何を見るか。何を感じるか。
それを言ってしまっては、一人一人の気づきを方向付けてしまう。

でも、今日はさわりの部分だけでも書いてみよう。
そろそろ、経験を分かち合う時期だと感じるから。

核心を書かないのにはもう一つ理由がある。
当然すぎることだが、書けない、つまりは言葉には出来ないということだ。

体験とは言葉を超えたものだ。

ダウン症の人たちから、学べということを言ってきた。
一体何を学ぶべきなのか。
これまで書いて来たような要素。
平和であったり、豊かさであったり、新鮮さやシンプルさ、
感覚の力、こういったものをいくら考えても核心にはたどりつけないだろう。
本当に大切な事は一つだけだ。
変わること。自分自身が変わることだ。
本当に何かが見えたのなら、もうこれまでのようには見えないだろう。
本当に何かを経験し、知ったのなら、かつての自分は消えてなくなる。
見方や感じ方、認識自体が変化していかなければ、何も経験したことにはならない。

これまで書いて来たような、柔らかな認識の世界は実在している。
私達自身がそのように見えたり、感じられたり出来るようになる。

変わること。自分が変われば世界も変わる。
平和や調和は自分の内面の変化がなければ、見つけることができない。

彼らから何を見つけられるのだろう。
一言でいうなら、人間のこころにあって私達が普段使っていない、
一つの機能を目覚めさせること。
彼らの持っているこころの機能とは、私達にも本来備わっているものだ。

彼らのようにこころを動かしてみれば分かる。
私達がどれほど圧倒的なものに囲まれているのか。
目の前にすべてがありながら、気がつかないでいたのか。

生きることは、もっともっと、どこまでも深いこと。
凄いこと。私達のいる世界は大きく深く、無限のようでも永遠のようでもある。
もっと見えるように、感じられるようになるために、
僕達は日々、変わっていかなければならない。

自分の立っている場所に、目がくらむような無限を感じられるはず。

僕が1人の人の制作と向き合うとき、
その人とこころの深くまで歩く時、
様々な情景をぬけてすすんでいくと、なんにもないけどすべてあるような場所がある。
どこまですすんでも終わりというものがない。
ただひたすら、奥へ奥へと入って行く、そのプロセスだけがある。

いろんな人が教えてくれた。
「もっと見えるようになるよ。もっと感じられるようになるよ。」と。
「もっとすすんでみよう」「もっと行ってみよう」と。

どこまでも終わりのないプロセスがある。
ここがどこだか分からないけど、ここにいると幸せという場所がある。
そこはどこでもない場所で、僕達はただ歩き続けるだけ。

生きること、創ること、響き合うこと。
果てしない繋がりのなかで、見ること、感じていること。

そんな認識の深みを、僕達は知ることが出来る。
耳を澄まし、敏感に感じてみようとさえすれば。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。