アトリエのHPが新しくなった。
デザインはよし子の妹文香ちゃん。
よりアトリエの雰囲気を伝えるものとなって、制作現場の人間としても嬉しい。
デザインの中に彼女のアトリエを見る目が入っている。
アトリエ・エレマン・プレザンはスタッフそれぞれが自分の視点を持って、
役割をはたしていく。
組織には様々な視点がなければいけない。
うちわうけや予定調和は、知らない間に閉塞的な環境をつくってしまう。
外を見ること、それからお互いの違いを尊重することがとても大切。
勿論、基本になる認識は共有しなければならない。
このアトリエで言えば、創設した佐藤肇、敬子の美術の視点から、
ダウン症の人たちの感性を捉えていく、という基本がある。
その最初の発見と認識に絶えず立ち返ること。
ダウン症の人たちに共通した感覚があり、それが芸術の本質と深く関わる、
という、この出発点がなければ、他の全ての活動は成立しない。
この発見の中に未だつくせない、様々な要素と可能性がある。
ただ、それをどのように解釈し、どのように発展するかは、
関わる人間、一人一人が読み取り、創造していかなければならない。
そこに何を見るのかは、その人の生き方でもある。
それぞれが自分にしかない役割を見つけ、
協力し合うとき、良いものが生まれる。
例えば、東京のアトリエはよし子と僕が夫婦で運営しているが、
必ずしもいつも見解が同じとは限らない。
方向性をめぐって意見が分かれる時もある。
目的や目標は同じでも、方法は違ったりする。
それは良いことだと思っている。
もっと言えば制作の場に入ってしまえば、夫婦という関係も意味をなさない。
時々、仕事もプライベートも一緒だと大変では?と聞かれるが、
少なくとも制作の場ではお互い、1人になって、作家と向き合う。
夫婦で行う作業はもっと別のところ。
一人一人のこころに向き合う場で、夫婦の阿吽など通用しない。
お互いにそこに何を見ているのか、
どんな世界が見えているのか、知る由もない。
でも、不思議にだからこそ理解し合える部分が大きい。
僕にとって、制作の場でのよし子の存在は、自分より上だ。
存在の力で劣るから、僕には何と言っていいいか分からないが、
技のようなものがある。かろうじて互角かなと思う。(でもどうかな)
少し、僕個人のことを書く。
僕のやっているようなことは、たぶん誰もやっていないだろうと思う。
こんな生き方をしている人も、した人もいないと思う。
ある時、その事に気がついて、覚悟を固めた。
僕の仕事はジャンル化されていないし、今後もされることは無いはずだ。
だから、1人で歩くしかないと。
誰かを参考にする事も、教えてもらうことも出来ない。
いつの間にか、そんな道に入っていた。
前にも書いたが、16の頃にある障害を持った人と出会った。
僕は彼に人間の本質を見た。というか直感した。
そして、その世界を知りたい、体験してみたい。
彼から教えてもらいたいし、彼と同じ感覚で世界に触れてみたいと思った。
憧れから始まった、人のこころと一つになるという行為は、
実践を通して可能だと分かった。
このような視点から障害を持つ人と関わって来た人間は多分いない。
いいか悪いかは別として、僕しかいないだろう。
10代の頃は、ギリギリのところまで、人のこころと向き合って来た。
危険も犯した。
一歩判断を誤れば命を落とす、そんな場面に積極的に関わった。
だから理性の奥にあるこころの本質が、どんな動きをして、
瞬間にどんな変化をするのか、かなり見極められるようになった。
今、同じことをしろと言われても出来ない。
障害を持つ人のこころ(今ではダウン症の人たちのこころにより本質をみている)に
人間のこころの本質がある。という見方はあまりない。
学者や研究者のなかにはそういう見解の方も居るのかも知れない。
でも、僕のように本当に現場に入って体験の中でその事を見て来た人はいないだろう。
こころを見ていくと言っても、心理学や精神医学の見方ではない。
もっと感覚的で身体的なことだ。
毎回、ここで書いている共感という言葉も、
僕が言っているのはもっと身体的なことだ。
日常の経験で言えば、前に子供の頭が自分の頭と区別がつかなかったことを書いた。
さらに良くある話で、嫌いな食べ物の話を聞いていて、
自分は嫌いではなかったのにその人のイメージが伝わって、
自分もその食べ物が気持ち悪くなってしまったというような話。
こういうのは良く聞くけど、つまりはこころと言うのは、
他人のものでも、同じように感じとれるという例でもある。
それにしても、以前は色々、複雑に考えて来たと思う。
今は本当に単純だ。
一回一回の場で、みんなが「今日は気持ちよく描けたなあ」と思ってくれるように、
少しでも良い環境にしたいと思って、
気持ちをこめて教室をすすめている。