2012年4月5日木曜日

ヴィジョンの力

さすがにもう春と言っていいだろう。
暖かく、風邪も強い。
太陽は本当に有難いと思う。
僕が生まれ育った金沢という土地は、一年中雲に覆われ、
スッキリ晴れる日は少ない。
晴れたと思ったら、すぐに日が陰り雨が来る。雷も多い。
夏は暑く、冬は寒い。どんよりと薄暗く、じっとり湿っている。
夏でも冬もでも加湿器など使ったことはない。
冬場でも除湿器を使い続ける。
湿気によって、暑さも寒さも身にしみる。
そんな気候だから身体が腐りそうで、食べ物はたいがい塩辛いかひたすら甘い。
だから、僕は昔から太陽が好きだ。
ひなたぼっここそが身体も心も快復させてくれる。
日を浴びていると元気になる。
金沢をでてからは太陽を貰い放題だったが、ありがたみはいまだに変わらない。

でも金沢で良かったのは、海も山も森もすぐ近くにあり、
街も文化もそれなりにあるところだろう。
人は自然無くして生きられない。でも、自然だけでも今は難しい。

東京で暮らしていると、海へ行くにも山へ行くにも時間が掛かる。
空と風と太陽だけがいつでも触れられる自然だ。
勿論、コンクリートの下は土だけど、なかなか大地は感じられない。

もうひとつだけ、いつでもそこにある自然は、
毎回書いていることだけど、人のこころという自然だ。

疲れた時、行き詰まった時、どうするか。
どこからヴィジョンやインスピレーションをもらうか。
これは僕にとって重要なことだ。
なぜならヴィジョンなくして一日も成り立たない仕事をしているから。

例えば100メートル、あるいは200メートルを、全力疾走する。
その時、ゴールより何メートルか先を目指して走らなければならない。
ゴールピッタリを目指したら直前で失速してしまう。
これはヴィジョンの物理的な働きを表す例だ。
ヴィジョンはその様に直接的な力を持つものだ。

僕達はアトリエでヴィジョンを途切らせてはならない。
人は思いをなぞる。身振りをなぞる。
だからいつでも強いヴィジョンが無ければならない。
アトリエの活動全体に対してもこれは言える。

普通はヴィジョンがなくてもいい。
誰かがもっていれば。
あるいは時々、途切れてしまってもいい。
みんなで響き合うのだから、1人で努力することは難しい。
もう一度見出せばそれでいい。

でも、こうした活動を続けるには必ず、
誰か1人はいつでも強いヴィジョンを持ち続ける人間が必要だ。
誤解、偏見、無理解、様々な困難や、時代の負の流れ、
そういった中で挫けないヴィジョンを保つ。

制作の場においても、場に入ったらインスピレーションがあふれ続ける、
というテンションを保つ必要がある。
絶えずビンビン来ていないと、場の密度は高まらない。

ヴィジョンとインスピレーションは実際的な力だ。
それがあればどんな困難の中でもその場を良くしていける。

力を失いそうになったら、自然から貰う。
それから、僕の場合は尊敬している人を思い出す。
その人と過ごした時間や、その人が自分にくれたもの。
その人が見せてくれた景色。
その人のたちいふるまいや持っていた雰囲気。
思い出すともう一度、力が出る。
あのようにしなければ。あのようにありたいと。

自分がその場にいるいじょうは、その場をほんの少しでも良くしたいと思う。
そうしなければ、自分に教えてくれた人達に申し訳ない。

この様にヴィジョンは連鎖していく。
どんなことでも、次のことに、あるいは次の人に繋げてこそ価値がある。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。