2012年4月9日月曜日

「場」は生きている

最近、つくづく思う。
場は生き物だと。
このブログで時々、場という言葉を使うが、
僕の言っている場というのは、この教室という場所であると同時に、
目に見えないけど存在している力のことだ。
良い人が集まれば良い場になるとは限らない。
一人一人が場を尊重することで良い場は生まれる。
作家も僕達もこの「場」に入れば自分が素になるという感覚をもっている。
みんなでそんな場にしてきた、そんな場を創って来た。
例えば5人、人が居て5人とも答えを持っていなかったとしても、
場が答えを出してくれる時がある。
でもこの5人がここに居なければ場というものは存在しない。

場が要求していることに、僕達は従わなければならない。
場に逆らっても何も上手くはいかない。
だから場を感じる必要がある。
場を見る必要がある。
さっきまで場が要求していたことが、今も同じではない。
場は生き物のように絶えず動き、変化する。

僕にはなんの力もない。
なんの能力もない。
何も出来ないし、何も知らない。
ただ、場から求められることを実行し、
場からもらい、場から学ぶ。
それがすべてだ。

作家がこころを開いてくれれば、必ず良い作品が生まれる。
こちらが本当に謙虚になって、敏感で居られれば、
今よりも少しだけ、こころを開いてくれる。
少しだけ見せてくれる。
ちょっとづつリズムが見えてくる。
場の密度が高まってくる。
あとは場が創ってくれる。
作家もスタッフも場の声に耳を傾ける。
やがて、今日の場はここへ行こうとしてたんだね、という場面を一緒に見る。

僕達は誰も答えを持っていない。
だから一緒に見つけることが出来るし、
一緒にみつけた時は一体感が生まれる。

場に入る。
何も持たずに、持っているものは外に置いて。
作家たちもスタッフもはだかになる。
さあ、今日は何がおきるのだろう。
何をみつけられるのだろう。
どんなところに行けるのだろう。
みんなでこれまでたくさんのものを見て来た。
これからも、許される限り、一緒に美しい場面を見に行こう。
みんなで本当に大切なものを与え合い、場からもらってきた。

みんなで、共有している世界。
こころの奥で繋がっている世界。
目に見えないけど存在していて、いつも思い合う、大切な場所。

そこに入るために僕達は生きている。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。