最近、つくづく思う。
場は生き物だと。
このブログで時々、場という言葉を使うが、
僕の言っている場というのは、この教室という場所であると同時に、
目に見えないけど存在している力のことだ。
良い人が集まれば良い場になるとは限らない。
一人一人が場を尊重することで良い場は生まれる。
作家も僕達もこの「場」に入れば自分が素になるという感覚をもっている。
みんなでそんな場にしてきた、そんな場を創って来た。
例えば5人、人が居て5人とも答えを持っていなかったとしても、
場が答えを出してくれる時がある。
でもこの5人がここに居なければ場というものは存在しない。
場が要求していることに、僕達は従わなければならない。
場に逆らっても何も上手くはいかない。
だから場を感じる必要がある。
場を見る必要がある。
さっきまで場が要求していたことが、今も同じではない。
場は生き物のように絶えず動き、変化する。
僕にはなんの力もない。
なんの能力もない。
何も出来ないし、何も知らない。
ただ、場から求められることを実行し、
場からもらい、場から学ぶ。
それがすべてだ。
作家がこころを開いてくれれば、必ず良い作品が生まれる。
こちらが本当に謙虚になって、敏感で居られれば、
今よりも少しだけ、こころを開いてくれる。
少しだけ見せてくれる。
ちょっとづつリズムが見えてくる。
場の密度が高まってくる。
あとは場が創ってくれる。
作家もスタッフも場の声に耳を傾ける。
やがて、今日の場はここへ行こうとしてたんだね、という場面を一緒に見る。
僕達は誰も答えを持っていない。
だから一緒に見つけることが出来るし、
一緒にみつけた時は一体感が生まれる。
場に入る。
何も持たずに、持っているものは外に置いて。
作家たちもスタッフもはだかになる。
さあ、今日は何がおきるのだろう。
何をみつけられるのだろう。
どんなところに行けるのだろう。
みんなでこれまでたくさんのものを見て来た。
これからも、許される限り、一緒に美しい場面を見に行こう。
みんなで本当に大切なものを与え合い、場からもらってきた。
みんなで、共有している世界。
こころの奥で繋がっている世界。
目に見えないけど存在していて、いつも思い合う、大切な場所。
そこに入るために僕達は生きている。