2011年9月30日金曜日

人材育成

ようやく秋の気配。
昨日はアトリエの作家の作品を使った、ティーシャツのサンプルの展示会に。
また状況が進展したらご報告します。

それにしても本当に色んな事がある。あっと言う間に秋が来た感じがする。
冬から夏にかけて、めまぐるしく時が過ぎた。
個人的な事だけど、祖母が亡くなり、
仕事のうえで尊敬して来た人と、決別せざるを得ない出来事があり、
そして、子供ができ、震災があった。

これらの、出来事がなければ今こうしてブログを書いてはいなかっただろう。
自分の見て来たもの、経験し、学んで来たものを通して、
何かを伝えていく必要を強く感じている。
それが、どんな役に立つのか、
そもそも役立つ事ができるのか分からないが、
黙って指をくわえている時期ではない事は確かだ。

先日、ある編集者の方が仰っていたのだが、
この時代に危機感を持っているのは、若い世代に多いと言うことだ。
50代、60代の方達、世代の上の人達と、それはなかなか共有出来ないと言う。
それはそれで良いと思う。
これからを生きる若い人達で、新しい文化をつくりあげていく必要がある。
20代、30代で良い書き手も増えているそうだ。
すっかり本離れしていたので、久しぶりに読んでみたい気がおきた。

それはそうと、自分の仕事を通して次に残る事をして行かなければならない。
先日も、原発反対のデモがあったそうで、署名はしたのだが参加出来なかった。
その日、アトリエがあった日だったので、
デモではなく自分の仕事で、最善を尽くした事に、それで良いと言う思いがある。
これからも、少しでも良い場を創り、
少しでも自分の仕事の質を高める事が、最大の運動だと言う姿勢で行きたい。

今後を考えると、東京のアトリエで言えば、
現場を動かしているスタッフは、僕とよし子だけという状況を改善したい。
僕達2人で見る生徒は既に38名と、これ以上は対応出来ない。
次に繋げる事が必要だと思う。
新しい動きをして行くにも、どうしてもあと数名はスタッフが必要となる。
ただ、人数を集めれば良いという訳にはいかないので、
特に制作の場を見る人は時間をかけて育てる必要がある。

今年から少しづつ研修を始めた。
学生も多く関わり、様々な場を手伝ってくれる人がいるが、
まず制作の場のスタッフとしては最初に、ゆりあに育っていってもらおうと思う。
彼女はこの場で要求される資質を、基本的に持っているので、
経験さえ積めばこれから良い仕事が出来ると思う。
何よりも、追求心と学ぶ姿勢がある。
簡単なようだが、
絶えず良くしていこうという、努力を続けられる人間はそう多くはない。
どこかで、飽きたり諦めたりこの辺で良いかと思ったりしてしまう。
人のこころを相手にするのだから、完璧も完成もあり得ない。
終わりのない探究心を持ち続けられなければいけない。
ゆりあとは長く付き合って来たが、
彼女の努力を惜しまない姿勢にはいつも感心させられる。

必要なのは良い状態を持続出来る力だ。
それには身体的にも精神的にも体力がいる。
気を抜かないこと。
もっと良い可能性があるはずだと言う意識をもち続けること。

前回の絵のクラスで、2名ほど、なかなか良い絵が出てこない人が居た。
しばらく様子を見て、後半で僕が隣に座ったのだが、
みるみるうちに絵も良くなるし、本人の表情も良くなる。
「ちょっと変わったの分かった?」と僕はゆりあに聞く。
勿論、それくらいのことが彼女に分からないはずはないのだが。
見て、変化に気付く事ができるから、彼女は成長出来る。

大事なことは、僕がこの2名の絵を良くしたのではないということ。
もともと、そういう質の絵を描く人達なのだ。
ただ、人はだれるときも、悩むときも、迷うときもある。
その時にしっかりその人の本当に良い部分に戻してあげる力は必要だ。
はじめて見る生徒の場合も一緒だが、
今表面に出ているその人の性質が、その人のすべてではないと言うことだ。
感じ取る能力を養う。
その人の奥に、もっと良いものがあるかも知れない。
もしかしたら、本人自身も気付いていないかも知れない。
そこを見極めて、そこに波長を合わせていく。
内面的には「そこちょっと見せて。お願い」という気持ち。
彼らは必ず見せてくれる。
「見せてくれてありがとう。たのしかったよ」という思いが伝わり、
あちらからは「もっと面白いの見せてあげようか」とでも
いうようにどんどん、世界が展開していく。
それが作家とスタッフとの信頼関係であり対話でもある。

今、こういう場面をゆりあにあえて見せているのは、
彼らのこころの中というものを知ってもらいたいからだ。
その奥深さを認識すればするほど、彼らもより深いものを見せてくれる。
浅い部分で付き合ってしまったら、
彼らだって表面的な部分しか見せてはくれない。
だから最初から、こういった経験を積んでいくことで、
ゆりあ自身が彼らの中に深く入って行けるようになる。
謙虚な姿勢さえ忘れなければ、経験は自然についてくる。

ゆりあは
「私、まだまだ、分からないことばっかり」と言っていたが、
そこを認識出来るのが、彼女の良いところだ。
確かに揺るぎない確信は必要だが、
分からないという自覚も絶対必要だ。
僕自身もまだまだ分からないと思っている。
分からないという認識と、もっと分かりたいと言う思いが大切だ。
むしろ「分かる」「分かった」という感じが最も危険でもある。
「分かった」とか「出来た」というのは、
相手のこころを分かる範囲、出来る範囲にとどめていると言うことだ。
そんなことでは、自分の範囲から一歩も出られない。
僕達は絶えず、自分を超えていかなければならない。

一年もすれば、ゆりあには彼女にしか出来ないことができる。
それは、僕達とはまた違ったスタンスになるだろう。
そのことになんの心配もしていない。
彼らにとっても良い人間にたくさん出会っていく経験が必要だ。
関わる人と関係によって、可能性は色々と広がっていく。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。