2011年9月9日金曜日

ダウン症の人たちの性質

今日は、どうしても考えておかなければならない問題を書く。
このブログでは毎回、ダウン症の人たちの持つすぐれた感性から、
私たちは何を学び、実践していけば良いのか考えて来た。
そこで書いて来た様な、彼らの素晴らしいセンスは、
彼らに合った適切な環境の中でこそ育まれていくものだ。
彼らは良いものにも、悪いものにも影響を受けやすい。
普通の人以上に環境が重要になってくる。
彼らのすぐれた資質とは、逆に言えば悪い環境の中では、
本人を苦しめる要因にもなりかねない。

お断りしておくと、これから書く問題は、本来はアトリエの扱う領域ではない。
専門の人達が研究もされていく必要がある。
ただ、目の前で原因も分かっていて、未然に防げる可能性があるにも関わらず、
手出し出来ないで悪くなっていく人達を見て来た。
私たちで分かっている部分は共有したい。
これまで、彼らの性質を見極めないで無理強いされてきたが為に、
こころを病んでしまった人達を沢山見て来た。
病んでしまってから、助けを求めて来る方や、
元気だった頃を知っている生徒もいる。

特に思春期をどのようにすごしていくかは重要だ。

これだけ、無理をさせられて、病んでいく人が多いのに、
一体この問題がどれだけ語られているのだろうか。
様々なケアについて、色んな場所で提言されているのかも知れない。
講習会の様なものもあるのかも知れない。
でも、最終的には彼らを守れるのは、身近にいる人達だけだという自覚が必要だ。
実際はほとんど、彼らを守れていない現状があると思う。

まず、もっとも身近にいる保護者の方達。
それからダウン症の人と関わる立場の方達。
さらに社会全般に共通の理解が必要となってくる。

実際の場面で一番多く発生する問題は、
健常者(と言われている)の社会のリズムと、
彼らの内的認識と成長のリズムが合わないところから来る。
個人差は大きいが、環境としては、学校、養護学校、
習い事の場で、このズレが生じる事がある。
だが、これは比較的に早いケースだ。
ほとんどの場合は思春期以降、就職先や作業所等での無理が重なって、
病んでいくケースが多い。
年齢的なデータに意味があるか分からないが、
僕が見て来た中で多かったのは、女性は18歳頃から、男性は20歳頃から、
この問題がおこりやすい。(実際にはもっとずっと後の場合もある)
全体から見ると、やや男性の方が繊細で注意が必要となってくる。

若干、話がそれるかも知れないが、病んでしまうと、
今の精神医療ではほとんど解決出来ないように思われる。
まだまだ、精神医療は健常者が病んだ場合を基準に作られていて、
こういったケースはモデルになっていない。
彼らの場合、言葉から症状を判断するのも難しいと思うし、
言葉によって理解させようとするのも難しい。
もっと言うと彼らの認知や認識のプロセスと、健常者(と言われている)の
それとは大きく異なっている部分があるのではないかとも思う。

まず一番は彼らの性質を知ることだ。それに尽きると言っても良い。
例えば自閉症の人達の場合(僕も以前は沢山付き合って来た)、
すでに常識となっていることは多い。
急に身体に触れたり、目をピッタリ合わせたりしてはいけないとか、
理解させるのに踏まなくてはいけない手順とか。
こういったことは、すでに常識となって、彼らに無理に接する人は少ない。
(必ずしもそれが良いとは思わない。人のこころはマニュアルのようにはいかない。僕は自閉症の人に接する時、専門に勉強した人達からはびっくりする様な動きをする時があった。ここで書いた急に身体に触れるとか、それはあるタイミングでは関係性を築くのに必要であったりする。マニュアルでは有り得ない行動が、その人のこころを開くきっかけとなる時もある)
特に作業所や養護施設では対応にズレはないと思う。
そもそも自閉症の人達の場合、無理強いされたら自分から、
何らかの身体反応を起こして拒絶する。(単純に暴れる等)
ダウン症の人たちの場合、こういった拒絶の反応をほとんど示さない。
そこで見落とされてしまうケースがおおい。

ダウン症の人達の場合、ひと言で言えば無理は禁物だ。
そして、その無理は良く相手を見てこちらで判断しなければならない場合がある。
よくあることだけど、本人がやりたいと言うからやらせました、
本人がいきたいと言うから行かせましたと、それで悪くなる場合がある。
本人の意思は勿論、もっとも尊重すべきところだ。
ただ、無理が重なった場合、本人が自分で判断出来ない、
意志が持てない状況があることを理解しなければならない。
大事なのは、本人の意思を感じ取ってあげることだ。
彼らの場合、周りに配慮して、みんなが望んでいるならとか、
自分がここでイヤと言ったらみんなが悲しむとかを感じている。
無理でも自分では言えないことがほとんどだ。
彼らの場合、気をつけなければならないのが、
良いことの場合も、悪いことの場合も、普通の人から見れば、
だいぶ後になってから影響が出てくる。
目に見える形で影響が出て来た時にはもう遅い。
(勿論、それでも出来ることはたくさんある。ただ、時間が相当かかると覚悟を持つことは必要)
なぜ、今こうなっているのか、分からないと言う人は多い。
彼らの場合は本当に長い目で見る視点が必要だ。
結果はだいぶ後に出るし、自分の中に吸収するのにも時間がかかる。
なかなか良くならないと悩まれる保護者の方も多いが、
その人がそういう状態になるのに実は10年我慢し続けているかも知れない。
10年かかって、病んでしまったのなら、治るのに10年以上かかるだろう。
前にも書いたが、大事なのは良い時から、
良い状態で居続ける努力をすることだ。
そして、もし病んでしまったら、周りは焦ったり急いだりしてはいけない。
付き合う覚悟を持って、気長に一歩づつ歩むしかない。
極端にいえば、そばにいる人間は、治そうと思ったり、
治って欲しいと思わないで、本人を受け入れることが大切だ。
結果、それが一番近道でもある。

彼らは自分が壊れてしまうまで我慢を続ける。
周りの見極めが必要だ。

本当は彼らより、私たちの認識をこそ変えなければならない。
先日も生まれたばかりのダウン症のお子さんを抱えて、
お母様は本当に必死になって質問して来た。
「この子は普通になれるのでしょうか」
「理解出来るようになるのでしょうか」
「成長するのでしょうか」と。
始めてで全く分からない、不安で仕方がないという様子だった。
少しでも希望を持っていただきたいと、彼らの可能性をお話しした。
その方が望んでおられる様なこと、
普通に成長して、物事を認識して、幸せを感じること。
みんな彼らは出来る。
だけどそれは私たちのとは違うやりかたでかも知れない。
成長にも、「出来る」にもやり方は一種類じゃない。
彼らの理解の仕方、彼らの成長の仕方、彼らの生き方がある。
こちらが、それを理解出来れば、無理を強いることをやめるだろう。

訓練すればなんでも出来るようになる訳ではない。
彼らのリズムで出来ることは増えていく。
その時間を一緒に楽しんで共有出来ていれば、どんどん成長していく。

嫌がっていたのに訓練し続けて本当に良くなった等と言う話は聞いたことがない。

職場や作業所の方々にもこのことは、深く理解していただきたいと思う。
これまで、一生懸命、正しいと思って努力させるという人ほど、
失敗していることが多い。

彼らの場合、愛情がもっとも必要だ。
成人したから愛情がいらないとはならない。
愛情とはある意味での注意力、注意を注ぐことだ。
悲しんでいれば、悲しみを共有する。
喜んでいれば喜びを共有する。
何かを努力していれば、そのプロセスを共有して一緒に乗り越えていく。
一つ一つ、小さなことでも、精一杯生きている彼らの状況に、
絶えず共感していくこと。

今回はこの一回だけでは書ききれなかった。
いくつか、具体的なエピソードにも触れたいものがあったのだが。
またいずれ、このテーマは深めていきたい。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。