2011年9月28日水曜日

自己満足

先日もブログについて、お褒めの言葉を頂いた。
僕としては、熱心に読んで下さる方達にこの程度のものしか提供出来ず、
申し訳なく思っている。
毎回、前回よりは良くなるよう努力しているのだが、未だ満足の出来る内容にならない。

様々なご意見も頂くが、その全てを何らかのかたちで反映させていただいている。

また、ブログの中で批判している人や活動についても、
はっきりと意見を言わせていただいた上で、日常的にはお付き合いしている。
意見は言うが、自分達と違うから付き合わないということはしない。
世の中では今、逆になっていると思う。
何も意見や批判を口にしない変わりに、違う存在とは付き合わないで、
同じ様な世界の人達だけで集まっている。

どんな世界であれ、客観的な視点がなければ自己満足に陥ってしまう。
社会に何が必要とされているのか、
自分達の関わる活動はどう見られ、どうなることを求められているのか。
そういった考察をして行かなければ、
閉じられた内輪の世界に留まり続ける事になるだろう。

かと言って、色んな人の意見に振り回されていてはならない。
誰がなんと言おうと、貫くことでいつかは分かってもらえることもある。
そこで、ブレたり妥協したりしたのでは、本質的な仕事はできない。
そこに普遍的な真実があると確信したなら、
どんなに周りの理解がついて来ていなくても妥協しない。

その辺のバランスも大事だが、今回は自己満足に気をつけようということを書く。

最近は、こんな時代でもあるのでボランティアに注目が集まっている。
ひと言だけ書く。
人のために何かをする場合、いかに気付かれないでするかが大事だ。
気付かれないというのは不可能に近いが、
もしくはいかに自分がいなくても出来るようにするかという事だ。
僕達の仕事にしても、文字通り無償で行う部分も多い。
そこで気付かれないでやっていくうちに、
いつの間にかみんなが自分で出来たというふうになればいい。
やってもらっていると言うことは、負担にもなるし、依存にもなりやすい。
前にも書いたが、最も気をつけるべきは、
やっている側が、してあげていると言う自己満足に陥る事だ。

今、必死になって頑張っている方々がいる中で、気が引けるが書かせていただきたい。
決して悪意があって言う事ではないので、そこだけはご理解いただきたい。
例えば、復興支援として福島や東北の野菜を売っていこうとか、
買って行こうという動きがある。
または、放射能が出続けている中、応援するために観光しようとか。
これは間違いだと思う。
本当に応援したいのなら、もっと合理的に策を練るべきだ。
危険があるのに我慢して買ったり、行ったりするのは問題を複雑にするだけだ。
売り買いも、観光も商売であるはずだ。
商売である以上、お金を出す側は選ばなければならない。
そこを我慢してしまうことで、その人はいいことをしたつもりでも、
他の人は出来ないし、長い目で見れば誰も選択しなくなるだろう。
みんなが長期間我慢し続けるなら、少しは支援になるかも知れないが。
ここでは、安全を確保して、欲しくて買うという状況まで持ち込めてこそ、
支援と言えるのではないか。
だいたい、僕が売る立場だったら、
欲しくもないのに応援のために買ってもらって嬉しいはずがない。

作業所で作られている、商品を「こんな人達も頑張って作っているんだ」と
いう感じで買っていく人も多い。
悪いとまでは言わない。
でも本来なら、欲しいものを買うべきだ。
そうでなければ、かえって無礼ではないかと思う。
売れなければ売れないで、こういうものでは人は買ってくれないと、
運営する側も考えるだろう。それが結果、みんなのためになるかも知れない。

もう何年も前になるが、海外から障害を持った人達の演劇というのが来て、
とても素晴らしいという評判だったので見に行った。
正直に言わせていただく。全然面白くなかった。
これはエンターテイメントとパンフレットに書いてあったので言わせていただく。
この団体に関して「障害者を見せ物にしている」との批判があったが、
僕はそこは批判しない。(僕自身は見せ物は嫌だが)
エンターテイメントとは見せ物だからだ。
本人が分かった上で楽しんでいて、見る人がいいのであれば成立していると思う。
単純に見せ物としてつまらなかった。
見る側も、障害がある人達がこんな事をしているという見方で満足して、
面白いかどうかを誰も見ない。
これも、悪い訳ではない。
ただ、そんなものではたしていつまで人が見続けるのかは疑問だ。

パラリンピックと言うのは身体に障害のある人達のオリンピックで、
スペシャルオリンピックスというのは、知的障害の人達のオリンピックだという。
これは、活動している人たちではなくて、
あくまで社会全体に向けて言いたいのだが、
オリンピックという世界大会が存在するのだから、分ける必要はないのではないか。
オリンピックは体重や、男子、女子が分かれて競っているのだから、
同じように、身体のハンディの部門、知的ハンディの部門があれば良いのではないか。

さっきはたとえ、障害を持つ人達の作ったものでも、
買いたいから買う、買いたくないから買わないと言うことがいいと書いた。
今度は買いたいから買うと言うことが出来るものも、
出てくるようになったと言うことを書く。

障害を持っている人達で、
本当に美味しいチーズやワイン、パンやクッキーをうる団体が増えて来て、
状況は一歩前進した。
素晴らしいし、とても良い事だと思う。
僕達もそういった方々とお付き合いがある。
ただ、もう一歩つぎの段階もあるのではないかと思っている。
勿論、ここまで来たのは素晴らしい。
次は、彼らにしか出来ない、彼らの持ち味が社会に紹介されていけば良いと思う。
なぜなら、例えば美味しい食べ物も商品も、
言ってしまえば健常者が作れば、もっと効率も良くなってしまうからだ。
これでは、競争原理で勝負するかぎり、勝ち目はない。
彼らにしか出来ない、彼らの感覚で、
競争原理を超えた新しい価値を創ることができれば、
私達の社会にとっても、これから必要な文化を見出す事になるのではないだろうか。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。