2013年12月23日月曜日

また1月に

今年最後のブログです。
読んで下さっている皆さん、今年も有り難うございました。

後半は深めの内容が多かったですが、
今はちょっとそんな部分にも触れて行った方が良い気がしています。

土、日曜日と最後に相応しい良い場になり、充実した時間だった。
土曜日も日曜日も保護者の方達がみんなでケーキを食べる時間を作って下さった。
いつも感謝です。
制作の場の事ばかり考え続けている僕を支えて下さっているのは、
こういうお気持ちのある方々なのだと思う。

毎回、この場で書いているようなことを深められるのは、
こうして共感して下さり、一緒に歩んで下さる方々が居るお陰です。

明日まで教室はありますが、
今年を締めくくるにあたり、どうしても短くても良いから、
この1回を書きたいと思いました。

来年は実践面をより充実させて行きたいです。

言葉ではよく言われますが、本当に本当に激動の時代です。
とんでもないことになっていると思います。
今の社会の中で、もう救いなど何処にもないのではないかと思わされます。
良くなる要因はほとんど無いのに、悪くなる条件は増えて行く一方です。
真面目に考えれば、もう無理なのでは、という諦めムードになって当然です。
絶望しなければ嘘だとさえ思います。
個人のこころの中も、自分や自分の家族さえ良ければという狭い、
悲しい考えが蔓延しています。

だからこそ、今こそ、立ち向かい続けなければならないと思います。
僕が場から教わって来たことの一つ。
自分のことなど忘れてしまえ、ということがあります。
何かの為に、誰かの為に、動くこと。

良く見ていると、若い人ばかりではなく大人達もこのごろ、
ちゃんと見ること、しっかり聞くことを忘れてしまっています。
物事を筋道立てて考えることや、考えや思いを丁寧に言葉にして伝えることを。
そういった当たり前のことさえ省略されています。

しっかり自分の頭で考えるべきです。
自分で感じるべきです。
その結果、必要を察知して動くべきです。
そう言うことを全く忘れてしまっているのです。

僕達自身の仕事にしても、関わる以上は絶えず、探求をして、
もっと上を目指す意思や覚悟が無ければ、やめてしまった方が良いのです。

今後に向けて気を引き締めています。

最近、特に気になるのは、巷に溢れた映像や音楽や食べ物や、
何やかやが、みんなギラギラ、ピカピカしている、ということです。
キラキラしていっけん奇麗そうですが、中身はスカスカです。
デジタルカメラにしてもハイビジョンにしても、
ただ光度をあげているだけのようなコッテリした画像を奇麗と思う人がいます。
色を見る感覚も麻痺して行きます。
画材屋を見ていても、そんな傾向は強くなっています。
普段、見る色が自然ではなく、あんなにギラギラしているのだから、
絵を見るにしても描くにしても変わって行かざるを得ないでしょう。
濃いだけの味の食べ物のようなものです。
音楽にしてもそうです。
やたらに音をいじくってべっとりさせています。
確かに、昔からそういう傾向はありました。
名前を出して申し訳ないですが、クラシックで言うと、
カラヤンとか小沢征爾があれだけ人気があると言うのは、
否定はしませんが、コカコーラが飲みたいという感覚なのでしょう。
まあ、分かりやすいということが一番にあるのでしょうが。

否定はしません。
でも、もっと繊細なものがあることにも気がついた方が良いと思います。
それから教育にはギラギラした画像や音楽は良くないでしょう。
眼も耳も簡単にやられてしまいます。

CDにしても10年位前のものと、最近のものとでは音の傾向がことなります。
専門的なことは分かりませんが、デジタルリマスタリングというので、
音を磨いているのですが、磨くにしても、どんな音を理想とするか、
という感性の問題が入ってくると思います。
勿論、作る方は売れるように作っているので、
分かりやすくピカピカにしたギラギラな音を好きな人が多いのでしょう。

身近なものを例にしましたが、
こういった傾向は文化だけでなく、
人のこころや行動にも現れて来ていると思います。

本当のもの、本物を知るための努力を忘れてはならないと思います。

土曜日の午前のクラスで、ちょっと最近気になっている男の子がいました。
絵がちょっと自由を失って来て小さくなっていました。
ここ数ヶ月のことです。

僕は一度、こころの深い部分まで一緒にすすんで行って、
共有した人に対しては、ある程度の距離感を保ちます。
これはルールのようなもので、分かり合っている者同士の暗黙の了解です。
大人のテレのような感じもあります。
とにかく最初は一緒に深い関係まで行って、
そこで一体になったら、それからはある距離でお互いを尊重するわけです。
僕も彼らもそのことは良く知っています。
だから、関係の深い人ほど、距離感があるように見えたりもします。
お互い分かっているので正面から行くことはありません。
そして、こういう深い関係にいたるまでには、そんなに時間をかけません。
まあ、長くても数ヶ月、1年はかからないです。

そんな訳で、その男の子にも、もう正面から行く場面は無かったのですが、
ここ数ヶ月の様子を見ていて、
ほうっておく訳には行かないかな、と考えていました。
土曜日の朝、最近の彼の絵を思い浮かべていました。
あんな色づかいでも構図でもなかったはずだ、もっと自由にのびのびしていたはずだ、
と感じて、よし、今日は久しぶりに正面から行ってみようか、と思いました。
勿論、それで何か変わるとは限らないのですが。
そう思って彼を待ちました。

彼はいつものように来て、椅子に座った時、僕を見て、ちょっと間をおいて、
「始めてアトリエに来た時、おれ、さくまさんと無意識が繋がったんだ」
「うん、そうだね」
そして、彼は紙を見て、すぐに筆をとりました。
すらすらと描きだすと、
すでに彼ならではの自由で伸びやかな絵が戻って来ていました。
僕は何もする必要がなかったのです。

どんな風に解釈しても良いと思いますが、
これが僕達が日々経験している世界です。

言えることは、ただ一つ、ひたすらより良くということと、
相手の良さから目を逸らさないで行くということです。
たとえ、本人が自分の良さを見失ったり、疑ったりすることがあっても、
ここに居る僕はそこを見続ける、ということをやめないということです。

目の前に居る存在は、ほとんど無限の可能性を持っています。
僕らは無限を相手にしているのです。
逃げてはならない、と思います。
いつまでも、どこまでも、深く突き進むことを、やって行きたいと思います。

さて、来年はすぐです。
アトリエは5日の日曜日クラスからのスタートです。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。