2013年12月3日火曜日

始まり

すっかり冬で、寒い寒いと思いながら暮らしているが、
外を歩くと本当に空がどんどん高くなっている。

そうか、忘れていたけど冬の空ってこんなに遠かったっけ。

昨日はイサが論文発表のため大阪だったので、
ぼくは久しぶりにプレでずっとみんなと過ごした。
稲垣君も久しぶりの登場だったので、いろいろ話した。

今日はイサとも少し話したけど、論文頑張ってるみたいだ。
彼とも7年の付き合いだけど、これまでの集大成の論文だ。

明日、女子美でお話しするので、ちょっと作品を画像で見せてあげたいと思って、
秘蔵というか、大切なものをいくつか見てみたが、
ダウン症の人たちの作品はやっぱり圧倒的だ。
こんなに良いものはなかなかないと思う。
絵画以外のジャンルでもそうそうあるものではない。

やっぱり作品につきるなあ、と何度も確認していた。

それと同時に何でも簡単に見せるべきではないなあ、とも思う。
大切に扱うこととか、敬意をはらうという態度が欠けている時代だからこそ。

作品は美しいと同時に、その美しさに人間や宇宙や生命の秘密が現れている。
そんな気がして仕方がない。

前回も型と即興について書いたが、ものを創るとか、表現するということが、
何処から来ているのか、その根源を示しているのが彼らの作品だと思う。

宇宙や生命がこのような現象として現れているのは何故なのか、
そこにはこの世界の様式や秩序があるはずで、
それが人の中から出てくる創造性の原理と繋がっているはずだ。

人の中に創造性が何故あるのか、と言うのは、
何故ビックバンで宇宙が生まれたのか、とかと同じくらいの謎だろう。

なぜかは分からないが、どのようにということは、
仕組みを知ることは出来ると思う。
制作の場を経験すること、こころの深い部分で起きていることに触れて行くこと、
そのプロセスをたどることは、
ある意味でこの世界の成り立ちに立ち会うようなものだ。

創造性の源から何かが生まれ、形を創って行く時、
そして美が生まれる瞬間、このプロセスを生命の様式と言って良いだろう。

以前、雑誌の取材で遊びということについてお話したことがある。
僕は制作の場をずっと見て来て、
ほとんど無限というくらいに途切れることなく生み出されて行く、
造形の連鎖を見ていて、人のこころの中にある創造性とは、
意味も目的も持たない純粋な遊びなのでは、と感じて来た。
それはもっと言えば、
この世界も宇宙も遊びのような純粋な動きが生み出したと言うことでもある。

すべては根源、始まりにこそ答えがある。
そして、僕達はいつでも始まりに立ち返ることが出来る。
そのことを教えてくれているのが、ダウン症の人たちの作品だと思う。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。