2013年12月7日土曜日

美と生命

さて、今日も教室前なので短めに書きます。

本当に色んなことを書いて来ましたが、
美の問題は生命に直結している、
というシンプルなことが核心にあるように思います。

だからこそ人は美を求めるのだし、
美はふざけたお遊びでもなければ、単なる個人の趣味の問題でもないと思います。

美は生命を成立させている厳粛な仕組みなのだと思うのです。

美には創る人も鑑賞する人も境がなく、ただ経験だけがあります。
それは切実なものであるべきです。

世の中が偽物で溢れ、本気になることから逃げているからこそ、
本物に触れる機会を創りたいと思います。

美は人を本当の意味で高め、幸せにするものであるはずです。

来年の展示に向けて東京からは200枚の作品を送り出しました。
選定を行っている学芸員の方から作品の感想を頂きました。
ありがたい、言葉の数々です。
本当に作品の核心を理解して下さる方は少ないです。
今回は得難い出会いだと思っています。

核心に触れる人が少ないのは、作品が難しいからではありません。
人は逃げも隠れもせず、
甘えを断ち切って、まっすぐに向き合うことが怖いからです。

本気で来る人には本気で答えるしかありません。
それは制作の場でも、外での仕事でも一緒です。
お互い真剣になるしかないという出会いが、高め合うことに繋がります。

先日は講義を行いましたが、学生達は真剣に聞いてくれました。
真剣になる場面の少ない世代かも知れないけれど、
本当のところでは人間は変わってはいないはずです。
すぐにメールをくれた人もいました。

教育の問題は、大人が本気を見せるかどうかにかかっています。

最近、外で帽子をかぶったまま食事している人をみかけます。
みっともないし、身体に悪いだけでなく、作っている人や場所に失礼です。
横で子供がみている。その子供が椅子の上で立ち上がる。
注意するのもかなり遅かったですが、相手を見もせずに言葉だけで注意している。
それに帽子をかぶったままの、
そんな態度の大人の言った言葉など子供に聞こえるはずがないのです。

美を経験するとは生命の本質に触れることです。
そこには豊かな味わいと、畏怖と敬意が生まれます。

作品だけではなく、日々の制作の場もそのような美しいものでありたいと思います。

ところで、羽生君、素晴らしかったですね。
君なんて言ってはダメですね。
羽生選手、真っすぐですね。フリーはミスもあったけど、感動しました。
真っすぐだし、勝負勘もあるし、勢いもあるし、何よりも度胸がありますね。

浅田真央選手も素晴らしかったです。
採点はともかくとして、羽生選手以上に感動したかも知れません。
今日はどうでしょうかね。
ミスがなくても高い点をとっても、
今回のこの2人のように素晴らしくなることはまれだと思います。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。