2013年12月1日日曜日

今日はちょっとだけ

今日から12月。
年が終わったり始まったりして、それによって何が変わるわけではないのだけど、
やっぱりなんか意識する部分がある。
それに、僕達は有限の時間の中で生きているのだから、
区切ることで気持ちを切り替えて、次に向かって行くのは有効だ。

昨日はすっかり思い違いをしていたが、
今日はいよいよ潜水艦を出発させる。
(潜水艦のことは前回のブログに書いてあります。)

この前、朝のニュースで海女さんを特集していた。
三重のアトリエの近くの話だったので見た。
素晴らしかった。
特に海に潜る前に身体を暖めて行く場面。
確か1時間とか言っていたが、大きな炎に背中を向けて、ひたすらじっとしている。
その表情が凄かった。
厳しさと謙虚さと、大きなものを相手にしている人間特有の静けさ。

ああいうのを見ると、自分の生き方を反省する。
足下にも及ばないなと思う。

途方もなく大きなもの、自然や宇宙といったものを前に、
僕達は小さな、小さな存在として、謙虚にそして真剣に生きなければならない。

人を幸せにするとか、それは大それた話で、そんなことを考えるのはおごりであろう。
でも、たとえわずかな時間でも幸せを感じてもらうことなら出来るはずだ。

僕の「場」での仕事は外から想像したり、ちょっと見たりした印象とは違って、
クリエイティブなものでも個性的なものでもない。
創造性や個性は作家の側の話であって、僕自身はひたすら受け身だ。
僕はその場に反応して行くだけだ。
ただ、それだけのことを全力でやって行くと、何かしら良いことが起きる。

人のこころや、「場」には原則がある。
それに従わなければならない。
どんなにこころの赴くままに見えても、それはそう見えるだけで、
実際には古典芸能の型の様に、法則に従っているだけだ。
型の様に見えないのは、こころや場の要求はその瞬間に変わって行くからだ。
場では思いつきで動くことも、我を忘れることも許されない。
ただひたすら流れを感じとり、順応していく。
場の要求に従って行く。なにも考えないで無心に。

一度、場に入ると無心になる。
目の前に人がいて、その人のこころは場の流れに従って行くと自由になる。
そのプロセスがめくるめく展開されて行く。
あまりに鮮やかで楽しい場面だ。

ゆうたが最近、良く言ってくれる言葉、「一緒に踊ろうよ」。
ゆうたはまず自分が踊って楽しくなってからそう言う。

僕らも場を見る人間はただ言葉で言っていてはいけない。
まず自分がすっと裸になって、さあ一緒にと。
楽しくなってもらえるか、自由になってもらえるかは、
まず目の前ですっと自分が入って行くかどうかにかかっている。

何度も書いていることでもあるので、今日はちょっとだけにします。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。