2012年11月19日月曜日

センスオブワンダー

寒い。寒いし薄暗い。
すっかり静かになった。

日曜日のアトリエ、午前のクラスも午後のクラスも、
制作に関してはみんな絶好調だった。
体調的には風邪ぎみの人が多かったけど。
絵具を片付けていてビリジャン(緑)の減りの多さに驚く。
クリスマスツリーだ。
それで本当にクリスマス頃になると、鏡餅とかが描かれる。
少し季節を先の季節を描く場合が多い。

金曜日に悠太は1才になった。
長い長い一年だった。
いつでも本当にかわいくて、本当にやさしい子だ。
真っすぐに一生懸命、ただ大きくなろうとしている。

よし子にとっては辛い日々だっただろうし、今でもそれは続いている。
アレルギーがあるために、普通の子より、気を遣い続けなければいけない。
夜の授乳も2時間間隔は今でも変わらない。
食べてくれたり、なかなか食べなかったり、
しばらく良くなっていたのが、また痒くなってきたり。

僕は仕事以外の時間は一緒にいて、なるべく悠太をみているけど、
それくらいでは彼女の負担は減らないと思う。
会社に出勤という仕事ではないのでちょっとは良いかもしれない。
少しの時間ならアトリエで面倒を見ることも出来るし、
みんなにとっても悠太にとっても、場にとってもそれは良いことだ。
でも、ずっとアトリエで過ごすというわけにはいかない。
制作の場の質を保つことは、そんなになまやさしいことではない。
両立するのはやっぱりどんな仕事であっても難しい。

よし子にも悠太にも日々支えられて感謝だ。

三重から一日だけ肇さんが来てくれたので、一緒に過ごすことができた。
そして、悠太の誕生日に自由学園の展示に連れて行ってもらった。

アキさんが作ってくれた折り紙のケーキをテーブルにおいてお祝い。
悠太はケーキはアレルギーで食べられないので、このケーキは嬉しい。
(アレルギー源が多いので、一般のアレルギー対応の食品もだめ)

自由学園の校舎には始めて入った。
生活に根ざした教育観は知っていたし面白いと感じていたけど、
そういった思想より、環境そのものの方が多くを語っている。
教育で最も大切なものは環境なのだと再認識した。

建物の高さ、形、窓の位置、縦と横のライン、
建物と建物の距離感、自然とのバランス。
それらすべてが自然に無意識のうちで人を育てていく。
調和の感覚だ。
どの位置にいても自然が感じられる。
人は自然の一部であり、自然の方がはるかに大きいという、
当り前の事実を忘れさせない。
巨大な建物は人を傲慢にする。
そうした環境では人間中心の意識しか育たない。
謙虚につつましくあれと言うなら、それを言葉で教育してもだめで、
それをデザインしなければならない。

教育は知識を詰め込むことではない。
技術を磨くことですらない。
もっとそれらのもととなる感覚を養うことだ。
知ることより、知りたいという気持ちを育てなければならない。
人はどんな事物からでも学ぶことが出来る。
学ぶための姿勢と感受性を持ちさえすれば。
まさしくすべての出発点はセンスオブワンダーではないだろうか。

学問も芸術も科学もあらゆる人の営みの原点にあるもの、
それがセンスオブワンダーだ。
自然への驚きと好奇心の感覚さえ養われれば、
学びも創造も自発的にうまれてくる。
逆ではいけない。

大人がしなければいけないことはことは、
子供達が大きなものの気配を感じとることが出来る環境をつくること。
きっかけをつくること。それから一緒になって好奇心を持つこと。
一緒に追求すること、一緒に学ぶことだ。

よく見ること、耳を澄ますこと、感覚を開いて、
感じること。
そのための場を創らなければならない。

ダウン症の人たちの世界の豊かさの秘密は、
このセンスオブワンダーにある。
彼らと一緒にいて、一緒に感じてみればすぐに分かる。
私達は思い上がりを捨てて、新鮮な開かれた気持ちを取り戻して、
もう一度、この世界に向かい合う必要がある。
その時には全く違う何かが見えて来るだろう。
いつでも希望はなくならない。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。