2012年7月25日水曜日

難しいことなんて何もない

昨日の早朝、モロちゃんからメールがきた。
「ミラノへ行ってきます」という内容だった。
モロちゃんがイタリアに憧れていた話は、
アトリエで彼女がいきいきと話していた。
帰って来てもすぐにソウルだという。
出張直前に連絡をくれたことは本当に嬉しい。
本当に頑張って欲しい、と言うより一緒に頑張りたい。

イサからもメールがきた。夏、会いたいと。

元学生チームのみんなが、このアトリエでの経験を大切にして生きていること、
信頼してくれていることが何より嬉しい。
僕達はいつでもつながっている。

大人である彼らに、こんな言い方も失礼なのだが、
僕にとってはゆりあやイサやモロちゃんや赤嶺ちゃんや、エクセルや、
みんなのことが可愛くてしかたない。
かわいいといっても、上から見ている訳ではない。
時には10才も歳が離れている僕の方が子供のようになって、
彼らに助けられることも多い。
「佐久間さん、それ出来ないから」と、何でも言ってくれるし。
僕達はそんな関係だ。
彼らが居なかったら、僕もよし子ももっと孤独だったと思う。

今、毎日午前だけ夏のアトリエを開いている。
初めての人を見ることもある。
最初のきっかけは本当に大切だ。
作品を見ていて、もしこの場面で他の人が見ていたらどうなったかなとか、
ここをはずしちゃったら、その後、時間が凄くかかるなとか、
これ逃したら「描く」というモードをおぼえることなく終わるかもとか、
様々な場面に立ち会う。
僕自身はたいして何かが出来る訳ではないのだが、
それでもこんな場面があるので、なかなか人に任せられないなあと思う。
外でゆがめられた作品にふれると、
僕が関わっていれば良かったと感じなくはない。

何度もことわるまでもなく、僕が何かの能力があるという訳では勿論ない。
そうではなく、分かっておくべきことはあるということだ。

作品を引き出す場面で(引き出すという言葉も、強引なものなので実際にはそぐわないのだが)僕が難しさを感じることはない。
すべては単純で簡単で自然なことだ。

前回、素直さについて書いたが、そこと通じると思うのだ。
困難や限界は、ほとんどの場合、自分でつくっている。

最近でも仕事や生き方に行きづまった方がアトリエに来る。
スッキリして帰って行かれる方も多いが、
なぜそんなことがおきるのか。

作家たちから学べることは本当に多いと思う。
迷わず悩まず、素直に生きていれば、難しさは感じない。
大切なのはありのままであることだ。

この環境の中でだけなら、それも出来るけど、と思われる方が居たらそれは違う。
ここで出来れば他でも出来る。
だから、ここで何かしら学んだ人が良い生き方が出来たらいい。

本当は難しことなんて何にもない。
ただ、感じたままに動けばいい。
みんな小さな頃から、親や先生や大人から、
「よく考えなさい」みたいなことを言われ続けている。
だから、難しくなってしまった。
考えることなんて本当はなんの役にも立たない。
考えないで動ける方がよっぽど立派だ。
考えないで感じること、身体で反応することが何より大事だ。

書いている人

アトリエ・エレマン・プレザン東京を佐藤よし子と 夫婦で運営。 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。