今日も暑い。
書きかけのブログが2つほどあったが、この際消してしまおう。
先週も今週もお客様がよく来る。
打ち合わせが続くときは連続で打ち合わせだし、
見学者が続くときも見学者が連続する。不思議だ。
最近は全体的には保護者の方が多いようだ。
何か少しでもお役に立てればと思うのだが、
僕が言えるようなことは、
世の中ではちょっと変わったことになってしまうのかも知れない。
悩まれている方が多いのに、力不足で申し訳ない。
昨日ははるばる和歌山からの見学の方だった。
この為に3人のお子さんを預けて、東京まで来ていただいた。
私達に見せられるものは、そんなに無い。
いつもの教室と作品と、わずかばかりの経験のお話。
ささやかなものにすぎないが、僕達にとってはかけがえのない大切なものでもある。
僕は社会にたった一つだけ伝わってくれればと思っている。
ダウン症の人たちの世界は、一つの価値であると言うこと。
意味があり、私達が見失っている何かがあると言うこと。
僕自身がそのすべてを知っている訳でも、分かっている訳でもない。
むしろ、関われば関わるほど、自分は知らないのだと思わせられる。
いつも書いていることだが、僕達関わる人間こそが彼らに試されている。
こちらの純度が高く、敏感な反応が出来ているのなら、
今より先の、もっとその奥の世界を、彼らは見せてくれる。
それがゴールではなく、さらにその先もある。
そのくり返しだ。
スタッフと作家とは、そんな風に日々、もっともっと高いものを見ていく。
深めていく。
その行為に終わりというものは無い。
良い作品が生まれるとは、作家たちがその次元を見せてあげるという、
許しをくれたのだとも言える。
そこまでを見せてくれた人を裏切ることは出来ない。
そうやって生まれた作品を適切な相応しい場所に置く。
必ず誰かの心にひびいてくれる。
何かが伝わる。
ご見学にいらして頂いた方に対して、
失礼ながら僕が厳しく注意をしたことも何度かあった。
申し訳ないこととは思っているが、場に入った以上、
僕には見過ごせない場面がある。
どうかご理解いただきたい。
作品に対して直接作家に質問しすぎる人がいるが、これも良くない。
作品は作品自らが語っているものだ。
言葉ですべてを知りたいとしても不可能なこと。
作品を感じる感覚を開いて良く見ていただきたい。
この様な場は特殊なものなのかも知れない。
これを良しとして下さる方には感謝の気持ちでいっぱいだ。
僕はどこまでもこの仕事を深めていきたいと願っているが、
価値を共有して下さる方々があって成り立っていることだ。
スタッフや仲間たちのことは書いた。
それだけでなく、参加している作家たちや保護者の方々、
応援して下さる方、そういった方々がみんなで、
このプロジェクトを創っている。
誰かの指示で動いている訳ではない。
関わった人、みんながその場面において、創って来た、
その集まりが今の形となっている。
僕は同じスタッフもお客様と同じ位に大切にしている。
雇うとか、使うとかいう感覚は全くない。
一緒に創る人、仲間、同士として。
よし子が中心になって、ゆりあや学生達がいてくれることで、
僕の働きも成り立っている。
この人達の働きなくして自分に何が出来るのだろうと思う。
子供が産まれて、僕も悠太の保護者、父親となった。
これまで作家たちのことばかり考えてきたが、
少しは保護者の方々の気持ちが分かるようになってきたかも知れない。
立場が違うので、どうしてもズレるところはあるだろう。
でも、それゆえに協力し合えば、より良いことが出来るかも知れない。
特に障害をもった子の親の場合、
早く様々な事を訓練させて、少しでも可能性を増やしてあげたいと思う。
でも、長い目で見て欲しい。
結果はどうだろうか。
必死になって訓練して出来るようになったことも、
ゆっくり育てていけば、いつかはおぼえることだったりする。
悠太を見ていても感じるが、
たかだか、3年や5年くらい、みっちり一緒にいてあげていいはずだ。
友達が、とか言うけど、その後でもいくらでも作れるはずだ。
焦ることも、人と比べることも必要ない。
その子のペースでいけばいい。
早ければすべてがいいとは限らない。
一番大切なのは、大切な時期に一緒にいてあげること。
安心感と信頼感を与えてあげること。
絶対的な愛情に包まれた、最も大切な時期に、
情緒も感覚も人間として最も大切なものはこの期間に育つ。
他のものは他の時期にも身に付くが、
愛情から育つ安定感はこの時期にしか吸収出来ない。
産まれたばかりの赤ちゃんを連れて、
絵を描かせたいと仰る方も来るが、
絵なんていつでも描けますよ、とお話しする。
一緒にいて愛情を注ぐ時間を大切にしてあげて下さい。
結果はその後に描く作品にはっきり現れます。
彼らは生まれ持った素晴らしい資質を持っている。
無理させる必要は全くない。
彼らのリズムが尊重されていくことを願うばかりだ。